同じCDをWADIA850LTDとWADIA6LTDで、聞き比べてみた。
その機器の音質自体を言えば(特徴的に言うと)
850LTDはほぼ全般的に音を拾い緻密でクリアな表現をする。
6LTDは中低域が厚く、高域が薄くと音域に濃淡があり、軽い濁り感がある。
(この濁り?が重要な効果をもたらす)
音質の違いはデジマスターの個性(音作り)によるものらしい。
特徴・長所をひっくり返すと
850LTDは立体感・距離感がものたりなく
6LTDは全般的なクリアさがものたりない。
それぞれの長所=短所が、それぞれの機器に個性的な音をつくりあげている。
この特徴に着目して1枚の女性ヴォーカルCDを聴く。
すると、(デフォルメして書くが)
850LTDではセイントな雰囲気をかもしだし
「上流階級の御嬢さんが歌っている」と感じる。
6LTDでは
チャカ・カーンを髣髴させなくもないパワフルでソウルフルな雰囲気になり
やはり、低域が下がっていることで、野太い部分の表現が秀逸で
逆に高域も厚みや深みがあり
(850では軽く高鳴り気味)
たとえて言えば、
「近くの大衆酒場のステージで歌ってるちょっとはすっぱな歌のうまいおねえちゃん」
と、いっていいほど、臨場感がある。
もしかすると、
代理が大聖堂などに顔を出せる上流階級の婦人であれば
850LTDの表現のほうに臨場感を感じるのかもしれないwww
1枚のCDがかくも表情を変えるのは興深い。
CDPでもかくのごとく違うのであるから
各々のシステムの違いによって
おそらく1枚のCDを同じ表情・表現で聴くことはないだろう。
みんな違う。
その人だけの表情を聴いている。
これにおいて、
どちらが良いとか
比べようがない気がする。
あるのは、
ただただ、
その表情に魅せられたという事実だけで
それはまた、
言い換えれば、
いろんな表情を見たいという欲求につながっていき
毛色・系統の違うCDPやシステムをもちたくなり
さらに、音を追従する心地よい泥沼に入り込んでしまうことになるのだろう。
音は麻薬のごとし。と高橋はいう。
胡椒を求めて外洋に船出するのもいとわない。
そんな、スパイスとよく似ていて
良い音一つのために危険な航海も辞さない。
音ひとつ、良くするだけで
大枚をはたくということからしても
人間が作り出した「音」というスパイスは
胡椒以上の世紀の大発見(発明?)なんだね。うん。
*******2017年9月23日*****
この850LTDをblueまでもっていくと
なんと、低域にシフトして、
6LTD?という表現力が出て来ます。
メーカー側がつけたコンデンサ(約80個)を取り外しました。
(LTDにするまでにも、100個?近い電解コンデンサを交換しています。
それでも、まだ、メーカーそのままの物電解で無いコンデンサがあるわけです)
このコンデンサは
実に定評あるコンデンサだったのですが、
本来出るべき音を抑えていたところもあります。
雑味も多く、これが、WADIA・LTDの性能を阻害しているとは・・・
このコンデンサにより、
耳に聞こえない音をカットしていた様です。
変にカットすると
高鳴り気味になったり
平易な音になったりしますが
WADIA社は良い低域が出る(ひいては、高域がでる)コンデンサを
見つけられなかったところもあるし、
音質改善やLTD化で
低域他、能力が上がっているわけですが
残ったコンデンサ80個では、
低域から派生する高域をコントロールできなかったのでしょう。
このLTD 化部分をすなおに伝えていくコンデンサに交換していくと
LTD化本来の音が出てくるようになり
代理もこの850LTD- blue(前期型の方が良いように感じます)は、
お勧めできます。
この様に、CDPの能力を発揮できるようにすると
アンプ・SPは、それらを表現できる能力が問われてしまうのも事実です。
例えば、ケーブルでさらに音が表現されるようになった。
と、いう話がありますが、
本来、アンプやSPが、優れていたら
ケーブルで音が増えるのはおかしいのではないかと思うのです。
解像度が上がる。
から、今まで聞こえなかった音が表現されるということで
これは、最初のCDPから始まってきます。
音域に制限がかかり、雑味(抵抗効果?)により
澄んだ音もでないし、雑味で本来出る音が削られている。
これをかえていくのはむろんですが、
これらは、
アンプにもSP にもあるわけです。
100の音を100のまま伝えていても
アンプの解像度。伝達能力が足りてなければ
100の音のまま、伝えることが出来ず
SPでも、表現能力が足りていなければ
100の音を表現できません。
そこに良いケーブルをつけると、
雑味成分を取り除くことができ
聴こえていなかった音が出てくるわけです。
システム全般の能力をアップする時に、
現状のシステムの音がどこまでかの物を確認するために
良いケーブルは必要ですが
ケーブルで聞こえない音が出てきてしまうと厄介です。
それは、裏を返せば、
CDPやアンプやSP の発揮率がどこまでの物か判らない。
システムが80くらいの状態でしかない時に
ケーブルで100までもっていくのは良いのですが
システムが80だということが判らなくなるわけです。
多く、システムを疑う人はいないわけです。
特に苦心惨憺して作り上げていると
まさか、うちのシステムがまだ発揮率がたりてない?
馬鹿をいっておれと・・
そして、代理に怒り出すwwww
こういう意味合いで、
もっと良いケーブルを見つけたといわれても
試す気にならないのだと思います。
CDPもアンプもSPもほぼ100の発揮率になっていて
ケーブルに頼ってみてもしかたがないし
問題はシステムの性能をさらにあげられないか?
ケーブルで音をふやしてしまうということは
逆をいえば、
まだ、システムのどこかに弱い処がある。
と、言う風に考えるのだと思います。
このケーブルで音を増やせるという部分を
システム内で追従していくとしたら
非常に難しいといえるとこまで、性能を上げてきています。
あとは、もうひとつ、表現能力をあげると考えたときには
SPの容量をあげるというところかなという状態になっています。
おそらく、こういうところまでやっていこうとしたときに
CDP・アンプ・SP全般を触っていける人は少なく
触るのでも、さらなる性能アップという課題が付いてくると
ほとんど、極められたシステムになっていないと考えられます。
そのため、ケーブルでなんとかしなきゃいけない。と、言う状態に成りえるのでしょう。
それなりの経験やら電気知識やら
それなりに金をかけていたりすると
どうしても、それが、最高だという愛着を持ってしまうわけです。
そこを、それでも、まだまだだという代理の厳しい言い方から、
いろいろ、検討。試行錯誤していく。
そこが、素晴らしいわけですよ。
凝り固まったところから
抜け出ていない。
代理の言う事など、まさか。と思わず
音に対して直向きであること。
髙橋はそこは冷たい処があります。
凄い音になる。
それを信じた人だけが救われる
(いや、神様あるまいし、ですが、得をするというのも、ちょっちがうと・・)
信じない人は信じないのだから
損もしないでしょう。
別にそんなこと、気にせず、施工してみたら
ありゃ~~~~すごい!!
こういう場合がお得。
迷い迷って、信じてみようとしたら、
その気持ちが(は)、間違いなく救われる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます