杉田穂高の記事(覚書)
に、アクセスが多い。
なので、読み直してみた。
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先に、代理の思うところをかいているが、
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「太平洋戦争はアジアを解放した」「イエズス会は日本人を奴隷売買」話題のイケメン歯科医が“日本史の裏”を暴露!(インタビュー)
暴露というほど、知られていないわけじゃない。
イエズス会は、日本人を売買していた。
と、最初に知ったときも、
白人至上主義というか・・・
その考えが黒人を奴隷にするし、
アジアの各地を植民地化するし
白人以外は人間でない・・ような考え方がねっこにあると思えるから
イエズス会の日本人売買についても、
まあ、そんなものだろう。(だろうなあ・・・みたいな)
と、思って、驚きもしなかった。(後略)
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この中の言葉、
イエズス会は、日本人を売買していた。
と、最初に知ったときも・・・・
を、考え直していた。
いつ頃知ったかな・・と。
記憶を手繰っていくと、
はるか、20年ほど前・・になる。
教えてくれたのは、代理より15歳くらい年上の高橋の知人だった。
他にも、天千木・地千木の違い(違いについては、別途、書いてあるので省く)とか・・
いろいろ、高橋から伝え聞きで、聞いているが、
こうやって、掘り返すきっかけがないと書くことはない。
だが、問題は・・・
世間に周知になるのが、ずいぶん、遅いというか、
とりあげた人の知名度によるというか・・
ネット界がいろんなことをとりあげる?ようになってから、
だいぶ、周知度が早くなってきたとは思うが
まだまだ、TVによる、周知のほうが
浸透力がある(全体的な)
その浸透力があるTVも、
取り上げ方が異常だったり、かたよっていたりするし
時に、間違った考え方・捉え方を
刷り込んでいく。
なにか、TV業界の中に、思想統制のような?
一部の人間の思惑が反映されているような事例を垣間見る。
例えば、韓国式のお辞儀を日本人がする。(花子とアン)
と、いう些細な事例だが、
これが、日本の常識になりかねない。
と、いうよりも、日本式というものをしっかり判ってないない人が多くなり
指摘する人も居なければ、ドラマを作る側も気が付かない。
その後ろに韓国人プロデューサーがいたり・・・
と、蓋を開けてみれば
「日本人・日本」をもとにして作っていない理由が判ってくる。
太平洋戦争がアジアを解放した。と、いう
詳しい内容も、先に書いた人から、伝え聞いていた。
なぜ、こんなことが今更?暴露!!とまで言われるかを考えてみると
ひとつに、義務教育の中・・に問題があると思える。
実際、20年前頃か、
国旗掲揚がど~の、国歌斉唱がど~のと教育委員会がおおもめしたと思う。
はてには、校長が自殺したり・・
そんなころに、教師が授業中に
「先生は、天皇が嫌いだ。なぜなら、戦犯だから」
と、いう深く歴史をしらぬまま、どこかで刷り込まれた観念を
子供に、刷り込むと、いうことを平気で行っていた。
嫌いはけっこうだが、個人的見解を授業中に発言するな。
と、思ったし、
そのころあたりから、授業崩壊・クラス崩壊と問題がでてきて
先の国歌斉唱などをするなという、ふうな方向転換が起きた。
そのころに育った・教育を受けた人間は
刷り込まれたまま大きくなり、
「天皇?ああ、戦犯ね」
と、いうくらいの認識しかもたず
太平洋戦争でアジアを解放した・・という事をしると
ええ????吃驚!!と、なるのだろう。
その方は、国旗掲揚のことでも、一つの実例を話してくれた。
簡単に言えば、あまりにも、グローバルでなかったということで、
国旗掲揚・国歌斉唱をまともに戻してくれたのは
あるいは、オリンピックだったかもしれない。
何処の国もろうろうと国歌をうたい、国旗を誇り高く掲げる。
で、あるのに、日本は国旗掲揚に反対し、
オリンピックでは、日本の旗があがると感動を覚える。
あっちでは、排斥でこっちでは称賛という
みっともないでまかせの精神構造に辟易してきたところもあろう。
国歌もうたえない(うたわない?)日本人というのは、世界から奇異に思えたことだろう。
そして、その方が話してくれたことも
グローバル精神に通じるだろう。
左翼の幹部が、外国でひとり、何か月も暮らしていたときに
あるところで、
「日本の国旗」を見かけたそうだ。
すると、幹部の目からぼろぼろ、ぼろぼろ、涙が零れ落ちて止まらなかった。
その後、左翼の幹部は、右翼に転向した・・と。
日本人同士という国の中に住んでいると
日本を意識することはないのかもしれない。
ところが、孤独な異国で「日本の旗」を見ただけで
滂沱の涙が落ちてくる。
これに似た感覚は味わったことがある。
他県(それもかなり離れた土地)に旅行に行っていたとき
同県の№の車を見たとき、それが、たまたま近くに駐車したとき
お互い、どちらともなく
**県のどちらから?などと声をかける。
お互いが**県に居たら、声などかけることはない。
こんな「愛郷心」に似たものをひしひしと感じるのは
ほんの少しでも、グローバルな位置に立ったからだと思う。
そして、しばらくして
マッカーサーの本(タイトル忘れ)がでてきたが
そのこともすでに伝え聞いていた。
天皇陛下は
ー私のことはどうなっても良い。国民を助けてほしいー
こう言ったと聞かされた。
他の国の首相たち・他のように、命乞いをしてくるだろうと思っていたマッカーサーは
そこに、神を見ただろう。
マッカーサーを感動させた、昭和天皇のお覚悟と天真の流露 | WEB歴史街道 (php.co.jp)
「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』
人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておられます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がいらっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、
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天皇が国民を思う、国を思う。
これが、無ければ日本は植民地にされていただろうと思う。
そして、軍部の暴走とか、背景を把握しないまま
戦犯という汚名だけが先走しった。
その教育委員会や教育庁は、
いったい、なにを考えていたのだろうか?と思う。
何10年もたって
TVドラマという小さな世界でさえ
本当の日本をもみ消されている。
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そして・・・
二度あることは三度ある、ではないが・・・
古事記の世界の、国譲りも、このような「和」によって
「人徳」によって、スムーズに執り行われたのだろうと思えてくる。
上?に立つ人間の在り方を、解き明かしているともとれる記紀であると思うと
「古事記を読め」と伝えられたことも思い出した。
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