ニラと間違えて水仙の葉を食べて食中毒なんてニュースがここ1~2年で数度聞いた。水仙に毒があるなんて知らなかったけど、ニラと水仙を間違えるかねぇと思った。 農家の塀際にはニラや水仙が勝手に生えてたりするから隣同士ってのは有り得る。ニラと水仙の葉は色合いが若干違ってて水仙の方が少し青ざめた感じだ。葉の幅は水仙の方が倍くらい広い印象だ。葉を混ぜちゃったら臭いを嗅がない限り区別は難しいけど、生えてる様子は違う。 |
山梨で山の中腹に住んでる友達がいた。週末は東京方面からの登山客がその家の近くを通る。友達のお母さんが 「 畑に植えた蕗だのタラの芽を野草と思って取ちゃうんで困るよ 」 とよく言っていた。俺も府中から山梨に引っ越したばかりの頃は畑と野原の区別がつかなかった。 もっとも当時の俺は小5だったけど登山者でしかも野草を取るなんてのは人生経験豊富な中高年だ。水仙の葉を食べちゃうのは、田舎暮らしをしてない都会の中高年が自然の物なら身体に良いってことで少々怪しくても口にしちゃうからじゃないのかな。 |
冬、何時の間にか葉が茶色くなったニラが何時の間にか新芽を出して10cm以上になっていた。早速野菜炒めと玉子焼きに登場。 ニラは育てるのに手間のかからない野菜の筆頭かも。水も肥料もやらないし世話らしい世話もしない。そして植える場所も要らないので畑の際に植えたりする。なのに葉は切っても切っても出てくる。ただいくら世話をしないからといって多少はゴミや他の草を取り除く。そうしないとまな板の上で手間が増えるのだ。 |
小さな花の写真を撮る時に露出補正はよくやる。特に薄暗い山の中では黄色い花やピンクの花は白く写ってしまうからだ。露出補正すれば黄色い花はまぁまぁ思った通りに撮れる。だけど紫色の花だとそれが思う通りにならない。もう少し赤っぽいんだがなぁとかそんな感じで色味が違った写真になってしまう。 家の近くを歩いてたらそんな難しい色の小さな花が色々咲いていた。ホトケノザ、カキドオシ。仏の座(ホトケノザ)を撮ってみたが実際よりも青っぽくなってしまった。マッチの先のような蕾なんかは真っ赤で綺麗だったのにこんな紫色。画像処理すると背景が赤くなったりで全然ダメ。 そこで初めてホワイトバランスってのを調整してから撮ってみた。ホワイトバランスを知らなかったわけでは無かったけど、中々そこまで余裕が無かったというか何というか。その時は晴れとも曇りともよく分らない夕方だったので白い紙を持って出直す。 そうして撮ってみるとかなり実物の色に近い。もっともこれもモニターによる発色の違いでどう見えるのか保障の限りではないのだが… 試しに画像処理で赤味を強くしてみると更に実物に近付いた。 ホワイトバランスをきちんとやるとなれば何時も白い物を持ち歩かないといけない。ハンカチがあれば良いと思う人も居るだろう。でもそういう時に限ってチェック柄だったりして。それとやり方にもそれなりのコツのようなのがあるんだろうな。でもこうやって技を覚えていくとただシャッターを押すだけよりもカメラに愛着が湧いてくる。何でも自動でOKな機械というのは愛着感という点では今一つな感じだ。 |
中国人は辺りかまわずゴミを捨てるらしい。なので日本の花見客が捨てたゴミだらけの写真を見て 「日本にはこんなにも多くの中国人がいるのか」 って、まるで気の利いたジョークみたいだ。 中国に行ったことがないので分らないけど、少なくともこのニッポンのボッケ家の周りの河原はゴミだらけだ。というより何処の川も河川敷を歩けばゴミだらけだ。BBQの跡、釣り関係のゴミ、粗大ゴミ。年に数回台風などの大雨でゴミが流されなかったらどんだけゴミが見えることやら。 佐久市では6月の第一日曜日は市内一斉清掃日だ。ボッケ集落では当番に当たった数人だけが集落内の土手などに落ちている粗大ゴミなどを回収する。でもその頃は丁度草が生茂ったと頃だ。上手い具合に大半の大きなゴミは見えなくなる。その結果何時までも居座るゴミがある。 |
ダンコウバイは葉は手の平くらいあるというのに花は小さい。そんな花が所々で咲いてるのが目に入る。そしたらヨメがそれはアブラチャンかもしれないと水を差す。調べて見るとダンコウバイとアブラチャンの花は良く似てる。 ダンコウバイは枝から直に花が咲き、アブラチャンでは柄があるという違いがあるようだ。更に調べを進めていくとダンコウバイは雌雄異株だとあった。写真では見栄えの良さそうなのを撮ったけどどれも雄花のようだ。まだ蕾ばかりだと思った木は雌株だったのかもしれない。 |
今月下旬頃、Lumix の新機種であるGF5が発売されるそうだ。GF3の後継機種だ。何故GF4ではないのだろう。 俺が持っているのはファインダーが付いてるG3だけど、実は買った時から次機種の名前を気にしてた。G3の次だからG4、当然ジーフォーと読むのだろう。これってあの有名な痔の薬と同じじゃないか。 だから新製品名がGF5なのは4が縁起の悪い数字だからではない。恐らくG2辺りで誰かが気が付いて問題になったんじゃなかろうか。「 このまま数字を増やして新製品を出したらイメージ的にまずいですよ 」 とか何とか。 ちなみに今山梨の別荘で使われているリコーのカメラの名前は Caplio G4 wide だ。長い名前だから痔の薬は連想しなかった。それにしてもファインダーが付いてない方のモデル名にFが含まれてるってのが良く分らない。
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ブログを始めて間もない頃、まだウブだった頃はこんなコメントでも来ると嬉しくなり返事も書いていた。でも同じ文面を別のブログで見たりしてるうちにこれは所謂スパムコメントだと分るようになった。今では見つけると即削除。 下のは典型的なスタイルだ。まず記事の内容に全く触れてない。そしていきなりあれをしましょう、これをしましょうと馴れ馴れしく迫ってくる。若い女性を装ってるのでこれを見て心が揺れるとでも思っているのだろう。しかしうちのブログのように美人のコメントが多いところでは無駄なことだ。 うちのブログをブログ上でブックマークしてくれてる所がある。でもうちでは相互リンクはしていない。過去には相互リンクしなかったら相手のブックマークから何時の間にかボッケブログが消えたなんてのもあったけど、今ブックマークしてくれてる所ではそんな些細な事を気にしない心が広く好い人達なのだ。 |
一昨年度まで将棋や囲碁の情報番組として囲碁将棋ジャーナルというのがあった。スポーツの勝ち負けは報道されるけど将棋や囲碁では大きなタイトル戦の結果くらいだ。でもこの番組ではもう少し小さな勝負の勝敗を知らせたり注目局の解説をしてた。 それが昨年は番組名が将棋フォーカスとなった。ジャーナルは1時間半くらいの番組だったけどこれは30分に縮まり、しかも囲碁と将棋を交互で隔週放送。当然情報は古いし中身も大分薄っぺらになった。 4月は番組改編の月でこの将棋フォーカスが変るので期待した。そしたら中身はほぼ将棋講座。先日将棋の名人戦第一局が終ったばかりだというのにその解説もなし。そこで録画予約から消した。 最近テレビは面白くないので見ないとか若者のテレビ離れだなんて言ってる。テレビが面白くないと言ってる人はバラエティしか見てないんじゃないのかな。テレビだろうが雑誌だろうが本だろうが全て面白いなんてことは無い。また全てが役立たずということもない。そんな風に思ってた。 先日、たまたま将棋の名人戦の第一局をニコニコ動画で長時間生放送してた。う~ん、これならBSなんて要らないか。元々BS放送を見る目的ははヘビー級ボクシングのタイトルマッチを見るためだった。やがてそれは有料のWOWOWになったのでヘビー級とは縁が無くなった。今は将棋番組目的なんだけど、それも内容が今一つとなった。テレビが面白くなくなったというのを遅ればせながら実感。だいたいBS放送は通販と韓国ドラマが多過ぎて気に入らない。 |
これはなんちゃらスミレではなくスミレって名前のスミレ、だと思う。自然観察教室などでこれはただのスミレと言うとタダノスミレとメモする人が居るらしい。それが庭に幾つも咲いていた。何年か前、タチツボスミレだのエイザンスミレだの色々覚えたつもりだったけど、今年、覚え直しだな。 |
数日前、メメが後ろ足で首の辺りをかいていると毛が飛び散った。と思ってたらこんな毛も落ちていた。メメの毛だ。いよいよ毛が生え変わるようだ。 真田の曲者退治が成功したのか分らないけど、どうも最近丸っこい。腹なんてポンポコポンだ。人間用の体重計では正確に測れないけど100gくらい増えてるような感じ。 |
昨日はヨメ兄家で20~30人ほど近い親戚を呼んでの法事。法事中からクソ坊主だのダメ坊主だのと言われる坊主のお経を1時間ほど聞き、葬祭場で食事。 ヨメちゃん一族は酒が弱いので大酒飲んで暴れたり管巻いたりする人は居ない。わけの分らない説教をする人も居ない。最近は勢いの良かった人も70歳を越えたりで行事が終るとあっさり帰るようになった。なのに疲れる。 風呂に入れば疲れも取れるかと思ったがダメ。じゃぁまだ明るいけど夕飯まで布団の中に入いることにしたがダメ。試しに頭痛薬でも飲むかと夕飯30分ほど前に飲む。少し頭のモヤモヤが晴れてきたかなって感じだが今一つな気分。 この気分の悪さは昼間っからのビールらしい。といっても大瓶1本も飲んでないはずだ。でも昼間は夜と違って体温が高い。その結果血の巡りがよいから酔いも早く回るそうだ。目の前にはジュース、ノンアルコールビール、ウーロン茶、こんなのを見たらついついビールに手が出てしまう。今度から昼間は緑茶にしよう。 |
トップレベルの競泳では100分の1秒で勝負が決まることがある。100mを50秒で泳ぐとすると、1秒で進むのは2mだ。100分の1秒だと200cm÷100なので長さにしてたったの2cmだ。 この差で勝敗を分ける意味があるのかは置いといて何時も見てて気になることがある。スタートで飛び込んだ選手が浮かんだ時点で見た目で分るくらいの差が出てることだ。それが頭一つ分だとすると、頭の大きさが20cmとすれば10分の1秒くらいの差なので何だか勿体無い気がする。北斗の拳ならばスタート直後に 「 お前は既に負けている 」 って言われそう。 フリークライミングではロープをかけながら岩を登っていく。ロープをかける動作に手間取ると場合によっては腕が疲れて落ちてしまうことがある。だからロープをかけるのが上手いと登る負担がかなり減る。先日このロープがけがとても速い人がいた。俺は並くらいかと思ってたがここ最近1~2度かけるのに手間取ってしまった。ロープがけは岩を登るという動作の中では本質的なことではないので少々下手になっても練習なんてしない。しかしもっと素早く出来るようにしなくては。 |
まさか風邪が痔の引き金になるとは思わなかった。風邪引いたら腸の調子が悪くなった。軽い軟便になったけどこれが曲者だった。軟便だったり下痢の場合、便に消化液が残ってるそうでそれが肛門付近の粘膜を刺激するそうだ。風邪→下痢→痔の流れは定番の1つらしい。でも生まれて初めての軟便ってわけでもないし… 1週間ほど肛門がヒリヒリしたがこういうのは初めて。この時に患部を見れば良かったが怖くってというか何というか見れなかった。そのうちに何か大豆くらいの物が出現。不吉な予感だが後にこれは外痔核というものだと知った。いわゆるイボ痔である。歳を取ると知るつもりのない医学知識が増えていく。 俺は比較的病院が好きな方かもしれない。特に最近の歯科衛生士はびっくりするような美人が多くて、という話ではなく具合が悪いと直ぐに病院に行く。しかし肛門科には行こうか行くまいか1週間苦悶した。 医師が仙人のような超能力者で手をかざしただけで治すってんならいいが、そんな事はない。まず触診するに決まってる。恐ろしい肛門プレイだ。以前、前立腺の病気で入院した人の話を聞いたことがある。なんでも四つんばいにされたらいきなり尻の穴から指って話を聞いた。その時、臍から下の病気にはならないぞと誓った。 まぁ何というか、診察中に身体の力を抜くことに成功すれば思ったよりは何ともない。しかし診察が終って会計も済んだ時、この薬を飲んで治ったらもう来なくても良いのか思わず聞いてしまった。「 そうですよぉ 」 なんて優しくは言われなかったけど、一期一会であることを祈った。 切るほどのことはないので薬で治すことになった。2~3週間で腫れは引くと言われた。薬局では酒は良くないので飲まない方が良いよ、と。でも大して飲んでるわけではないので何時も通りに飲んでいた。しかし選りによって数日後、古きよき時代を彷彿するような宴会付きお泊まり出張。そんなこともあってか医者の言う3週間を過ぎても一向に良くなる兆し無し。 禁酒決行。それからは当初医者が言った通りの進行。腫れが引いたところで20日連続の断酒を解除。大した酒量ではないけど酒はやっぱり痔を治すのに良くないようだ。思うに痔で手術に至った人は病院に行くのを怖がったか酒を断てなかったのかな。その結果切除するしかないくらいに腫れてしまったと推定。そうなると日々の生活も大変なようだ。ちなみに今ではウォシュレットなんてのがあるので血を見ることは無かった。 |
冬はもう終ったと思って良さそうだけど、去年咲いた花などはまだこんな感じ。 今週になって急に暖かくなりウインドブレーカー無しで初めて自転車で出かけた。暖かくなったもんだと思いながら家の周りを歩いてみたら何時の間にかけっこう花が咲いていた。 家の裏ではシイタケが1つ生えていた。初収穫だ。 でもちょっと遠くを見ると高い山はまだ真っ白。というより今年は雪が多かったのかな。 |
佐久に住む前、ここには縁というほどのものは無かったがフリークライミングをしてたので数人の知り合いがいた。そんな関係だからどちらか一方でもクライミングから遠ざかると会う機会は無くなる。そのうちの1人に街でばったり会った。4年くらい前に岩場に行って以来だ。 その人はお独り様だけど、少なくとも5~6年前には 「 あれ? 嫁さんは連れて来ないの? 」 「 今日は具合が悪くて寝てる 」 なんていうバカ話をよくした。だけどもうそんな話には怖くって触れられなくなってしまった。 少し世間話をして 「 今日は休みかい 」 と聞くと 「 仕事が無いだ 」 という返事。去年の今頃、震災直後に東京の友達に 「 無事に家に帰れたか 」 と聞くと 「 家に居たから大丈夫 」 という返事。そりゃ良かったなぁでメールのやり取りは終った。少し経って 「 あの日は有休でも取ったのか 」 と聞くと 「 実は先月会社を辞めて… 」 と聞くつもりのない話が出て来た。 今から30年前、バブル時代とその前くらいの頃、街で知り合いに会うと自慢話のような話題が多かった。先月までアメリカで仕事してたよとか忙しくて大変だよって感じだ。俺はそんな話題を持ち合わせてなかったので大抵黙って聞いていた。誰でもそれなりに不安の1つや2つあるはずだろうけど、今の時代に比べたら当時は皆自信に満ちている感じだった。 当時は若かったからかもしれないが、仕事が無いのなんていう話はあまり聞いたことが無かった。会社を辞めた話の真意は次にもっと良い所に行くという事だった。でもアメリカで働いてた人は何年か前にリストラされた。街で偶然会った知り合いに 「 今日は休みかい 」 なんて不用意に聞けない時代になってしまった。 |