『つみびと』山田詠美
●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美
夏の猛暑の中で、ふと思い起こすことがある。
過去に起こった、子どもの車内放置や育児放棄などの放置事件だ。炎天下の車内に乗り込む時や、息苦しいほど暑い部屋に居る時、「あぁ、あの子たちは一体どれ程苦しかっただろう」と胸が痛む。
特に強く記憶に残っているのは、2010年、3歳女児と1歳9ヶ月男児を自宅に閉じ込めて約50日間放置し、餓死させた「大阪2児餓死事件」。事件当初は、居間の扉には粘着テープまで貼られていたことや、からしのチューブなども含め冷蔵庫は空っぽだったことなど、衝撃的でむごい話ばかり。やり切れない思いが燻り、未だ灼熱と共に記憶が炙り出されるのだ。
本作は、その「大阪二児餓死事件」をモチーフに描かれた小説だ。
タイトルの「つみびと」とは誰か。それは読む前からわかりきっている。「鬼母」と呼ばれた彼女こそ「罪人」に違いない、と。
しかし、読後その確信が揺らぐ。むごたらしい事件を引き起こした怒りの矛先に迷いが生じるのだ。
この育児放棄をした母親は、自らもネグレクトの母親に育てられている。壮絶な生い立ちの母を追うように自らも過酷な人生を歩む。ネグレクトがネグレクトを生む。負の連鎖である。
灼熱の中、幼い子どもを部屋に閉じ込め、充分な食事も与えず、家にも帰らない。とてもまともな人のすることじゃない。そう、「まとも」じゃないのだ。しかし、そもそもまともな家に育たず、まともを教わることなく育った子が、一体どうやってまともな大人になるのか。それは想像以上に困難なことなのではないだろうか。
子ども二人を死に至らしめたことは、何がどうあれ絶対に許されないことだ。しかし読み進めるうちに、自分はそれを責めることが本当にできるのだろうか?という疑問が生まれてくる。
今の自分の人格は、なにで形成されているのだろう。生まれ持った人格は何パーセントくらいで、育った環境や経験は、今の自分にどのくらい影響を与えているのだろう。彼女と私は、たまたま人生で積まれたピースが違っただけなのではないか。そんな可能性の恐ろしさを感じずにはいられない。
タイトルである「つみびと」=「罪人」。
脳内でふと変換された、もう一つの「つみびと」。それは、その罪に至るまで、沢山の苦しみや悲しみ、幾多の不幸が積み重なってしまった=「積み人」だ。
我が身に全く同じものが積み重なり「積み人」となった時、同じような「罪人」にならないという確証などどこにもない。それと同時に、いつどのようにして、積む側の人間に加担することになるかもわからない。「つみびと」は思いのほか、ありふれているのではないだろうか。
小説だからこそ読み解ける闇が本作にはある。闇の中で浮き彫りになる母子家庭の貧困問題、誰にも助けを求めることができない社会からの孤立感。彼女は、幸せになりたい、良い母親になりたい、きっとただそれだけだったのではないだろうか。その結果があまりにもかけ離れていてやり切れない。
二度とこのような悲劇をくり返さないために、自分に何ができるのか。
この書評の方は、この悲劇を繰り返さないために、書評で取り上げて人々に知ってもらうことで考えてもらい、周りにそういう人がいたら、気をつけて見守ってもらえたらいい、と思ったのだと思う。
自分もそう思う。
自分も母子家庭で息子を一人育ててきた。
育児への国からの支援金やサービスを受けることができて、周りの友人や保育所、学校の先生たちにも助けられ、息子は自立するまできた。
子育ては楽しかった思い出ばかりが残って、今の自分を救っている。
息子が6歳くらいのこと、夜中に眠っている息子を置いて、友人の誘いを受けて街へ飲みに行ったことがある。
そのときに、息子が私を捜して家を出たり、マンションで火事がなかったのは、今でも感謝している。
そういう行動の間違いを自分もした。
だから、アパートや車において買い物へ出て熱中症にしたり、火事にあってお子さんを亡くした親御さんのニュースを見て、批難できない。
私の親としての間違いを反省し、人間として恩返しや使命を果たすことで、許してもらおうと日々生きている。
笑顔をふりまき、今、周りにいる人たちといい時間を過ごしたいと心がける。
ニュースに出てくる犯罪を犯したり、被害に遭わないことに感謝し、もしそういう人にあったら、その人の責任というより、その行動に至った何か背負ったものに対して、共感する。
そして祈る。
心が穏やかになるようにと、祈る。
道で子育てしているママに会ったら、微笑んで心で応援する。
声をかけられるようになれないか、と考える。
近い将来、外国でシングルマザーの仕事を支援するような仕事もしたいと希望している。
物書きもしたい、その支援もしたいと夢は大きく、準備は健康管理とこうやって書き散らしている。
ま、自分で考えついたことを次から次へとやっていく。
すべてに感謝。
●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美
夏の猛暑の中で、ふと思い起こすことがある。
過去に起こった、子どもの車内放置や育児放棄などの放置事件だ。炎天下の車内に乗り込む時や、息苦しいほど暑い部屋に居る時、「あぁ、あの子たちは一体どれ程苦しかっただろう」と胸が痛む。
特に強く記憶に残っているのは、2010年、3歳女児と1歳9ヶ月男児を自宅に閉じ込めて約50日間放置し、餓死させた「大阪2児餓死事件」。事件当初は、居間の扉には粘着テープまで貼られていたことや、からしのチューブなども含め冷蔵庫は空っぽだったことなど、衝撃的でむごい話ばかり。やり切れない思いが燻り、未だ灼熱と共に記憶が炙り出されるのだ。
本作は、その「大阪二児餓死事件」をモチーフに描かれた小説だ。
タイトルの「つみびと」とは誰か。それは読む前からわかりきっている。「鬼母」と呼ばれた彼女こそ「罪人」に違いない、と。
しかし、読後その確信が揺らぐ。むごたらしい事件を引き起こした怒りの矛先に迷いが生じるのだ。
この育児放棄をした母親は、自らもネグレクトの母親に育てられている。壮絶な生い立ちの母を追うように自らも過酷な人生を歩む。ネグレクトがネグレクトを生む。負の連鎖である。
灼熱の中、幼い子どもを部屋に閉じ込め、充分な食事も与えず、家にも帰らない。とてもまともな人のすることじゃない。そう、「まとも」じゃないのだ。しかし、そもそもまともな家に育たず、まともを教わることなく育った子が、一体どうやってまともな大人になるのか。それは想像以上に困難なことなのではないだろうか。
子ども二人を死に至らしめたことは、何がどうあれ絶対に許されないことだ。しかし読み進めるうちに、自分はそれを責めることが本当にできるのだろうか?という疑問が生まれてくる。
今の自分の人格は、なにで形成されているのだろう。生まれ持った人格は何パーセントくらいで、育った環境や経験は、今の自分にどのくらい影響を与えているのだろう。彼女と私は、たまたま人生で積まれたピースが違っただけなのではないか。そんな可能性の恐ろしさを感じずにはいられない。
タイトルである「つみびと」=「罪人」。
脳内でふと変換された、もう一つの「つみびと」。それは、その罪に至るまで、沢山の苦しみや悲しみ、幾多の不幸が積み重なってしまった=「積み人」だ。
我が身に全く同じものが積み重なり「積み人」となった時、同じような「罪人」にならないという確証などどこにもない。それと同時に、いつどのようにして、積む側の人間に加担することになるかもわからない。「つみびと」は思いのほか、ありふれているのではないだろうか。
小説だからこそ読み解ける闇が本作にはある。闇の中で浮き彫りになる母子家庭の貧困問題、誰にも助けを求めることができない社会からの孤立感。彼女は、幸せになりたい、良い母親になりたい、きっとただそれだけだったのではないだろうか。その結果があまりにもかけ離れていてやり切れない。
二度とこのような悲劇をくり返さないために、自分に何ができるのか。
この書評の方は、この悲劇を繰り返さないために、書評で取り上げて人々に知ってもらうことで考えてもらい、周りにそういう人がいたら、気をつけて見守ってもらえたらいい、と思ったのだと思う。
自分もそう思う。
自分も母子家庭で息子を一人育ててきた。
育児への国からの支援金やサービスを受けることができて、周りの友人や保育所、学校の先生たちにも助けられ、息子は自立するまできた。
子育ては楽しかった思い出ばかりが残って、今の自分を救っている。
息子が6歳くらいのこと、夜中に眠っている息子を置いて、友人の誘いを受けて街へ飲みに行ったことがある。
そのときに、息子が私を捜して家を出たり、マンションで火事がなかったのは、今でも感謝している。
そういう行動の間違いを自分もした。
だから、アパートや車において買い物へ出て熱中症にしたり、火事にあってお子さんを亡くした親御さんのニュースを見て、批難できない。
私の親としての間違いを反省し、人間として恩返しや使命を果たすことで、許してもらおうと日々生きている。
笑顔をふりまき、今、周りにいる人たちといい時間を過ごしたいと心がける。
ニュースに出てくる犯罪を犯したり、被害に遭わないことに感謝し、もしそういう人にあったら、その人の責任というより、その行動に至った何か背負ったものに対して、共感する。
そして祈る。
心が穏やかになるようにと、祈る。
道で子育てしているママに会ったら、微笑んで心で応援する。
声をかけられるようになれないか、と考える。
近い将来、外国でシングルマザーの仕事を支援するような仕事もしたいと希望している。
物書きもしたい、その支援もしたいと夢は大きく、準備は健康管理とこうやって書き散らしている。
ま、自分で考えついたことを次から次へとやっていく。
すべてに感謝。
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