あなたがたに対して、
神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。
なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として
一人の夫と婚約させた、
つまりキリストに献げたからです。
『コリントの信徒への手紙二』 / 11章 2節 新約聖書 新共同訳
朝もやが立ちこめるころ、
静かに呼びかけてみなさい神様に、
「あなたのみ業が一日も早く成就しますように」と。
静かに夜が更けていくとき、
語りかけてみなさい、
「今日一日の無事を感謝します」と
主なる神様はいつも
あなたの祈りに耳を
かたむけてくださるのです。
▲吉田清治 (写真画像)
【経歴】
本名は吉田雄兎、別名は東司、栄司
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜。
1931年、門司市立商業学校卒。
(卒業生名簿には死亡とある)
1937年、満州国地籍整理局に就職。
1937年4月30日、李貞郁(1917年生まれ)を養子として入籍。
(李貞郁=吉田永達は1942年に結婚、戦後九州で労組運動の幹部として活動、1983年に死去した。)
1942年9月、労務報国会 下関支部に就職。
1944年5月18日、大野フサエと結婚。
1947年4月、下関市議に共産党から出馬して落選。
共産党員。
1970年頃、門司の日ソ協会の役員をしていた。
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。
その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。
(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労務報国会へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
1983年7月、『私の戦争犯罪(三一書房)』を出版。
慰安婦狩りの生き証人としてマスコミ等でもてはやされた。
しかし、後に自身の著作について
「創作 [捏造]」であることを認める。
「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」
(1996年5月号の『週刊新潮』掲載 より)
★捏造された慰安婦問題
拡散のきっかけの1つが朝日新聞大誤報
◆NEWSポストセブン 2012年08月15日07時00分
慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。
第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。
東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について解説する。
* * *
慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して誕生する。吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。
だが、『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。
この吉田の証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報をして、第1次慰安婦騒ぎが始まる。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」という大見出しを付けた記事は〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた〉というリードが付けられていた。
「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いている点が吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった。なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」てはいないからだ。彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す)として売られたと訴状などで明言しているのだ。今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。
※ 強制連行の証拠とされる資料も、
よく見ると慰安婦 (買春婦) の
「求人募集」広告であった。(上記写真)
1992年1月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、これから調べるという驚くべき回答を得た。以上のような内容を私は同年4月号の月刊『文藝春秋』に書いた。
私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も嘘であることを暴いた。金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという結論を出した。
日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。
※SAPIO2012年8月22・29日号
▲戸塚悦朗弁護士 (写真画像)
★「従軍慰安婦=性奴隷」説を世界中に広めたのは日本人弁護士
◆NEWSポストセブン 2012年08月25日 18:06
慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。
しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。
東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは捏造された慰安婦問題を世界中に拡散させた日本人弁護士のロビー活動について解説する。
* * *
2006年に安倍晋三内閣が発足するや、米議会が慰安婦は性奴隷であり日本政府は公式謝罪と補償をせよという決議を通そうとした。安倍首相が国会で国内での論争の成果に立って、権力による慰安婦連行は証明されていないと答弁したことに対して、米国メディアが激しく非難し、日米関係がおかしくなりかかるということが起きた。その背景には反日日本人らが慰安婦性奴隷説を国連に持ち込み、国際的に嘘を拡散させていたということがあった。
日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は自分のその発案について次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第25号2006年5月)。
〈筆者は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉
〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した〉
この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。
彼の国連ロビー活動は、1992年から1995年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。戸塚弁護士らの異常な活動の結果、1996年に彼の性奴隷説が国連公式文書に採用された。
※SAPIO2012年8月22・29日号
▲戸塚悦朗 (写真は毎日新聞より)
1942年東京生まれ。
1970年立教大学法学部法律学科卒業。1973年弁護士登録。
1990年ロンドン大学(LSE)大学院卒業(LLM:法学修士)。
弁護士としてスモン訴訟に取り組む。
国連人権NGO代表。
05年から、龍谷大学法科大学院教授。(2009年11月現在)
◆申命記 / 22章 17節
娘に処女の証拠がなかったと言って、
虚偽の非難をしました。
しかし、これが娘の処女の証拠です」と証言し、
布を町の長老たちの前に広げねばならない。