長年、行き来させてもらっているくっちゃ寝さんのブログで、
守り人シリーズに、新しい外伝が出ていたことを知り、早速読みました。
『風と行く者』
物語は、タルシュ帝国との戦争が終わり、人びとが復興への道を
歩み始めた頃、タンダと出かけた草市で、サダム・タラム<風の楽人>
と呼ばれる一行が巻きこまれたもめ事を、バルサが収めたことがきっかけで、
旅の護衛を頼まれる、といった場面から始まります。
中年と呼ばれる年齢になったバルサに対して、サダム・タラムの
お頭は、まだ年若い娘‥護衛をぜひにと頼まれ、バルサはかつて自分が
16歳だった頃に、やはりサダム・タラムの護衛としてジグロとともに
旅したことを否応なく思いだすことになります。
当時の一行のお頭は、今の頭の母親だということを知らされ、美しかった
その人と、隣を歩いていたジグロを思い起こすバルサ。
エオナという名の19歳の頭は、ジグロの忘れ形見ではないか‥?!
そんな胸がざわざわする側面を抱えつつ、(読み手である)私は、
痛々しかった16歳だったバルサが、何を想い、旅のあいだに何があったのかー。
そもそもサダム・タラム<風の楽人>は、なぜジグロとバルサに護衛してもらう
必要があったのか、の真相をページを繰る事で知り、懐かしい「守り人」の世界に
また浸ることができる幸せをかみしめたのでした。
物語の終盤にバルサがエオナにこんなふうに話すところがあるのです。
「人はみんな、どこか中途半端なまま死ぬもので、大切なことをつたえそこなったな、
と思っても、もうつたえられないってことがたくさんあるでしょうが、自分では
気づかぬうちにつたえていることも、あるかもしれない。」
「父と過ごした日々のあれこれは、わたしの身にしみこんでいて、ふとしたおりに
うきあがって、道を示してくれたりする。思いは血に流れてるわけじゃなくて、
生きてきた日々のあれこれに宿っているものなんでしょう。」
「きっとわたしも、ある日、どこか中途半端はまま命を終える、その先をどうこう
することは、もうできない日がかならず来る。先のことは、そのとき生きている者に
まかせるしかないんです。」
真実がぎゅっと詰まった言葉です。
物語の世界の中で、私たちは、バルサの生い立ちや境遇や悲しみや、成長過程や
考え方、かかわった人たちに取り巻くセカイまで、知ることができるわけで。
それは時に実在のこの世界よりも、ずっと身近で、ずっと自分に寄り添って
いることもあって。。。。
本から教えられるとか、読書の楽しみとか、もうそういうものを軽く越えている
なあと思ったりしています。
と同時に、俯瞰して時間も越えて、自分自身を眺めることができたとしたら、
私自身のものがたりも、こんなふうに続いていて、中途半端にいつか死んだ時、
生きてもがいてきた日々のあれこれが、ぼんやりとでも誰かの想い出の中に
何かを残せるようであれば、と夢想します。
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