うだるような暑さの中で、『極北』というタイトルの小説を、2度続けて
読みました。
春樹氏が訳した近未来小説、ということだけで後は何も知らずに
読み始めましたが、近未来というよりも、長い長い導火線の先では
もう火がついていて、私たちの元には、そのじりじりとした音が
聞こえていないだけなんじゃないかな、と思うくらい、ある意味「身近な」
あってもおかしくない、もしかしたら数年先?のセカイがそこには描かれていました。
主人公の名は、メイクピース。
両親はアメリカ国籍を捨てて、極北の地に自ら志願して「入植」して
きた人たちです。
話は、メイクピースが、自分や自分の周りのセカイに起こったことを
ノートに書きつけるように(あるいは後世の誰かに伝えているように)、
進んでいきます。
そこには心を傷める荒涼とした景色が広がり、日常生活を失った後の
人の営みの脆さに胸がふさがります。たとえばこんな描写‥
人間たちはネズミのように狡猾で、暖かい食事を手に入れるためなら、喜んで
人を二度殺すことだろう――その一方で、腹一杯食事をし、納屋に豊かな収穫を蓄え、
暖炉に火を燃やすことができれば、人はこの上なくチャーミングで、寛大になれる。
満ち足りた人間くらい節度のあるものはいない。
メイクピースは自分のことをとても「実務的な人間」だと言っています。
家の中で本を読むよりも、外に出て体を動かすことが好きなタイプ。
でも、熱心なクエーカー教徒の父は、正反対の人‥
周りの状況がよくない方向へ進み始めていると感じたときも、どうして
セカイがそうなったかをあらゆる角度から分析し、説明をすることはできても、
暖をとるための薪の準備が、自分ではできない人なのです。
とてもうまい小説だし、興味深い筋立てなので、私はかなり「入り込んで」いましたが、
それでも時折、「メイクピースのお父さんのような人」のことを考えました。
昨年の大震災の後に、私は余震におびえ、いつも通りの毎日を続けていくことに
後ろめたさも感じていて‥でも、何日か(何週間か?)たったあと、好きな音楽を聴くことや、
本を読むことはわるいことではない、自分にとって必要なことなのだと知り、やっと一息
つけたような気がしていました。
そんな私は、たぶんきっと「メイクピースのお父さんのような人」で、でもあの時に
感じた安堵は嘘ではないし、音楽や本やきれいな花や風の匂いは、やはり
「必要」なんじゃないかと思うのですが。
しかし、それさえも、絶望的な空腹の前では、何の役にも立たなくなるような、そんなセカイが
少し先にはほんとうにあるのかもしれないと思い、そんな時自分は「実務的な人」に
なれるだろうかと、問いました。
・・・・・・・・
メイクピースが居るセカイはどんなふうになっていて、メイクピースはそこで
何を思い、何に希望を見いだしたかー
ぜひぜひ、読んで、知ってもらいたいと思います。
※作者マーセル・セローは、ポール・セローの息子です。
ポール・セローは、ハリソン・フォード主演で映画にもなった
『モスキート・コースト』や『ワールズ・エンド』などを書いた人です。
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