7月の「行かなくっちゃ」。今週のはじめから精力的に次々とクリアしています‥。
順番から言うと、7月9日(日)に上井草の ちひろ美術館。10日(月)にK市立中央図書館で本を借り、
11日(火)の昼前から昼過ぎにかけて、四谷へ行ってきたのです。
9日の日曜日は、雨がすこしぱらついてましたねえ‥。行こうかやめようか迷いましたが、
翌週も雨かもしれないし‥夫も娘も「見たい」と言うし‥3人の予定が合う日で、
しかも天気も良い日となるとそんなにない気がして‥見逃すことが何よりこわかったので
「行こう!」ということになりました。
ちひろ美術館へ行ったのは初めてだったし、待望の展覧会だったし、おまけに混み混みで‥
舞い上がっていたのでしょうねえ。1階の多目的展示ホールと2階の企画展示室の両方が「長新太展」なのを
確認せずに、ずんずん1階の奥の展示ホールへ進んで行ってしまいました。
別にそれが間違っていたわけではないのですが‥そこを、時間をかけて見て、その後に「ちひろの作品」や
「ちひろのアトリエ」を見て、お庭も見て‥やっと2階へ行ってはじめて、「えっ??ここも長新太展なの???」
と思ったのです。その時間的なギャップが、なんか自分の中ではおかしくって‥。
「下の部屋だけだったら、作品が少ないと思っていた」と私が言い、「長新太といえば、漫画でその名前を知ったから、
そういう作品はないのかなあと思ってんだ」と夫も言い。意気込んで来たわりには、(私たちはとっても)
間が抜けていたのでした。
わくわく本、新歌さんのところ、フラニーさんのところ で、記事を読ませて頂いていたので、
自分なりの「見所はここ」と思っていたところはあったのです。しかし、意外なところに「感動の落とし穴」があり、
それに見事にはまってしまいました。帰る時に、その絵本をぜひ買いたいと思っていたのですが、ショップにはなく、
アマゾンで画像を探したのですがそこにもなく‥なので図書館で探してきてからあらためて、
その本について書こうと思います。
原画はどれもみごたえがありました。 『はるですよ ふくろうおばさん』 『くもの日記ちょう』 『キャベツくん』
‥どれも素晴らしかったです。それに加え『ゴムあたまポンたろう』。夫はこの作品にひどく感心してました。
原画の他には、ガラスケースに入っていた「メモ帳」がとても気になりました。直筆の原稿よりも、
原画よりももっと貴重な「ネタ・メモ」でした。きらっとひらいめいたアイデアを、さささっと書いて残して‥
それからふくらませていったのでしょう(逆に、削り落としていったのでかもしれません)‥長
さんそのメモ帳公開してもいいと、奥様に言い残していたのかなあ、なんて余計なことまで考えてしまいました。
ファンとしては、もっと別のページも見せてもらいたいけど、作家ご本人はどう思っていらしたのかあなんて‥。
もうひとつ気になったのは、グランドピアノの上にあった4枚のCD。それらを聴きながら、お仕事されていたのですね。
ジャズでしたよ、4枚とも。あのアトリエで、ジャズを聴きながら、キャベツくんやら、ポンたろうやら、らいおんやら、
なんじゃもんじゃ博士なんかを描いていたんです‥かっこいいですね~。
忘れてならないのは、『ころころにゃーん』の、ピンク色ただ一色で描かれた猫の親子の絵。
ペンのタッチを丹念に、何度も何度も自分の目で辿りました。
きゃべつくんや、キウイじいさんの緑色も、 『つきよ』 の深い青も、へんてこらいおんの黄色も、
ふくろうおばさんの濃い赤も、どれも長新太さんの「色」なのだけれど、やっぱり私にとっては、
長新太さんの「色」といえば「ぴんく」だなあと、しみじみ思いました。
長さんのピンク色がとっても好きだ、と思いました。
今春の映画化で話題になった時に、全巻セット(岩波少年文庫)を娘のための買い、彼女が読み終わるのを待って、順に1冊づつ読んでいく計画でした。1,2巻は、もう前に「まわってきて」いたのですが、私がハリー・ポッターに寄り道していたもので‥それで、すこし前にやっと第1巻を読み終えることができました。
この物語のおもろしさを、子供時代に知らなかったことを悔やんでもしかたがないので、大人になってから読むことができてよかった点を考えることにします。
それは‥なんといっても、瀬田貞二さんの日本語訳を、とても美しいと感じることができるところです。
この箇所↓がとてもいいと思うのです。いつでもすぐに読み返せるように記しておきたいと思います。
そして、ちょうどナル二アの国土が海に出会うあたりーあの大きな川の河口のあたるところーに小さな丘があって、その上に何かきらめくものがありました。それは、城でした。ピーターのほう、つまり夕日のほうにむいた窓という窓が、おりからの入り日をうけて、きらきらとかがやいていたのです。それがピーターには、大きな星が一つ、海辺におりてやすんでいるかのように、思われました。
ナル二ア国ものがたり1 『ライオンと魔女』P179より
四谷のポートレートギャラリーで開かれている、日大芸術学部写真学科卒業生13名による、
写真展に行ってきました。
中村ハルコさんの写真を見るためです。
写真展の案内の表紙に2点程彼女の写真が載っていて、せめてそれだけでも、
ここで紹介することができないだろうかと、その「元」を探したのですが見つけられませんでした。
もし見つかったとしても、勝手にコピーしてよいのだろうかとも思い‥少々手間がかかりますが、
こちらのリンク先の数枚の写真を見て頂ければと思います。
リンクさせてもらったページに、5枚の写真が縦に並んでましたよね? その一番上の
うつくしい人が彼女です。そして2枚目、3枚目、5枚目の写真は、写真展の会場で見ることができました。
光の中に立っているワンピース姿の女性の写真は、セルフポートレートでしょう。以前にも、このリンク先で
見ていたので、会場でもすぐに見つけることができました。そして、この写真の左横には、5枚目の赤っぽい写真ー
赤ちゃんの足ですよね。小さな赤ちゃんの「大きな足」の写真の上には、同じ色調の赤ちゃんの顔の
クローズアップがありました。(パンフレットにはこの写真が載っているのですが、
WEBの中では探せませんでした・残念)
さらに左上には、モノクロの満月(これはリンク先3枚目の写真です)。
こんな月の写真を見たら、ハルコの写真でなくても、胸を打たれます。
ここまで見てから、1枚1枚の写真にタイトルがついてないことに気づき‥そうか、
これは5点の組写真なんだと気づきました。
妊娠中のセルフポートレートを中心に、赤ちゃんの顔と足、モノクロの満月。そして最後の1枚は、
静かに打ち寄せるモノクロの波。その写真の下に「海からの贈り物」と小さく記された文字を見つけた時は、
心のどこかで、題名を見る前からすでに自分がこのタイトルがついていることがわかっていたような、
そんな気持ちになりました。
赤ちゃんそのものも、贈り物なら、赤ちゃんを産むことができる性を授かったこともまた、
贈り物です。ハルコの写真は、彼女そのままに、大きくおおらかなものでした。
生まれたての赤ん坊は、彼女の何番目のお嬢さんの写真なんだろう? そんなことをふと考えてしまいましたが、
それを想って私が泣くのは「違うでしょ」と思い直しました。私は作品を見たかったのであって、
泣きにきたわけではないのです。彼女が逝ってしまったから、思い出として作品が展示されているわけではなく、
彼女の撮った写真が芸術作品として感動を与えるものであるから、その会場にあるのですもの。
宮城県仙台市。私はまだ一度も訪れたことがありません。
仙台は、ハルコさんが暮らしと活動の拠点にしていたところです。いつか機会がめぐってきて、
その街を歩くことができる日が来るといいなあと思っています。
そして、アフリカで、イタリアで、イギリスで、彼女が撮った作品の数々を、
もっともっとたくさん見ることができたら‥と思います。
新しい図書館でやっと本を借りることができました。
7月1日にオープンしたのですが、なかなか行くことができず‥今日は銀行へ行った後にすこし時間がありそうだったので、返却本を持って、行ってきました。
月曜日なんだけど、オープンしているのですね~。私は「図書館のきまり」といのが全国規模であって、それによって月曜日は休館とすべし。って定められていると勝手に思っていたのですが‥。
中央図書館は駅からデッキ続きの、新しいビルの5階6階部分。片側半分が窓になっているので、とても明るく広々としています。中階段を使って6階へ行かれ、どうやら喫茶コーナー的なものも備わっているらしいのですが、まだそこまで探索はできませんでした。
本日の収穫というか発見は‥「ティーンズコーナー」と「子ども読書支援コーナー」。
「ティーンズコーナー」は中、高校生を対象としたもので、ヤングアダルトコーナーなんて名前がついてたりもしますよね。今さら珍しくもないのでしょうが、なにせ、旧中央図書館には、そういうコーナーどころか、たしかそれ用の棚もなかったような‥。なので私にとってはとても新鮮な場所でした。
磨りガラスで仕切られていて、ちょっと大人っぽい感じの椅子が何脚か置かれていて‥。あと何年かしたらそこに入り浸ることもできる私の娘が、またすこし羨ましくなりました。(私も制服姿で、友だちと一緒にそんなコーナーに寄ってみたかったなあ)
でも、本を借りるのに年齢は関係ないので、わあぁという気持ちのまま、そのコーナーから10冊選んで借りてきました。どなたが、この本は「ティーンズ」ね、とお決めになるのか知りませんが、絵本も結構あったし、へえこれも?と思うような本もありました。
次に「子ども読書支援コーナー」って何かしら? と思って覗いてみたら‥あまりの「充実」ぶりに驚きました。読み聞かせのすすめ的な本やら、わらべ唄、てあそびの本、「読み聞かせに向く絵本・110冊」が、すべてそこに数冊づつ揃えられていて‥。(今まで、リスト片手に「絵本の部屋」で探しまわっていたのにねえ~) 『季刊みづゑ』のバックナンバーだって、揃っているのです。娘の「図書館利用カード」を借りてきていたら、ここでも10冊借りてしまいそうでした。
そして、もひとつ、最後に驚いたのは、貸し出しの際にそれぞれの本のバーコードをピッとやらなくてもいいんですね~。大きくて、ちょっと厚みのあるマウスパッドみたいなやつの上に、本を数冊づつ置いて‥もうそれだけで、読み取ってくれるそうなんです。すごいですね~。(もしかして、他の自治体ではすでにこうなっていましたか?)
その昔はね、本の後ろに貸し出しカードを入れる袋がついていて、その中のカードに、自分の名前や日付を鉛筆で書き込む方式だったんだよって、語り繋いでいかないと、コンピューターがない時代にはどうやって本の貸し出しの管理をしていたんだろう、と思い出すことができなくなってしまいそうじゃないですか???
当然新しい本も多くって‥やっぱり新しい図書館はいいなあと思いながら帰ってきたのですが。もう、私がよく知っていた「図書館の匂い」はどこにもなかったことに、今気がつきました。
「ティーンズコーナー」からの10冊は以下の通りです。果たして2週間で全部読むことできるのでしょうか。(ちなみに今は娘から借りた『カスピアン王子のつのぶえ』を読んでるところです)
『西の魔女が死んだ』 梨木香歩
『風の誘い』 茂市久美子
『象の消滅』 村上春樹
『クリスマスの思い出』 T・カポーティ
『ズーム』 イシュトバン・バンニャイ
『アップルパイをつくりましょ』 マージョリー・ブライスマン
『あいうえお、だよ』 長田弘 あべ弘士 絵
『ブローチ』 内田也哉子
『ちいさいぶつぞう おおきいぶつぞう』 はな
『スクラップ帖のつくりかた』 杉浦さやか
斎藤隆夫さんの絵がなんとなく気になっていたら、図書館の棚で、「こどものとも」の
バックナンバーのカゴで、次々と斎藤さんの絵本が目に留まりました。中でも私がとても
気になったのがこの絵本です。
『月にあいにいったアギサ』
こどものとも(478号)1996年1月号
パプア・ニューギニアの民話
伊藤比呂美 文 斎藤隆夫 絵
真ん中に大きな月が出ているのも、パプア・ニューギニアのお話だということも、
(おそらく主人公の名前であろう)アギサも、とっても気になりました。が、それにも増して、
テキストを伊藤比呂美さんが書いているということと、「月に会いに行く」という表現、そして、
よくよく見れば、外国の昔話や民話によくある【再話】ではなく、文=伊藤比呂美 と
なっていることが、ひどく私を惹きつけました。
伊藤比呂美さんは、詩人であり、小説家であり育児関係の本のエッセイでも、よく知られて
いると思います。私も伊藤さんの本といえば、 『よいおっぱい悪いおっぱい』から始まり、
『おなか ほっぺ おしり』など、一連の育児エッセイを図書館で借りて読みました。
伊藤さんの、噴出すままに書き連ねていくような文章は、たまっていくばかりの自分の気持ちをも
代弁してくれているようで、小気味よさを感じていました。
エッセイを読んでしまってからは、詩の本も借りて読み‥そして6,7年前、 『ラニーニャ』
という小説で、伊藤さんが離婚をし、カリフォルニアで新しい生活を始めたことを知り、
とてもとても驚きました。
まあ、こんな感じで、伊藤比呂美さんにある種の「思い入れ」みたいなものがあるので、
この『月にあいにいったアギサ』が、伊藤さんの初めての絵本の仕事と書いてあれば、
尚更私の関心度合いも深くなるというわけなんです。
折込ふろく「絵本のたのしみ」の中で、伊藤さんは、ベルリンのダーレム博物館の
ポリネシアコーナーでのことを、こんなふうに話しています。
目の前に、大きな、帆を張った木の舟が浮かびあがりました。それも、何艘も。
おもわず涙が出ました。ああいう舟に乗って日本にやってきた記憶を思い出した
もんですから。いえ、何千年かむかしのはなしです。(中略)たしか、ハチの針や
ヘビの歯のささったカヌーや、大きな古びたイリモの木も、展示されていたような
気がします。
この時の印象が残っていたのでしょう‥お話の前半は、アギサがスズメバチやミツバチ、
シロヘビのくにを通り抜ける際に、カヌーをひっくりかえして、その下に隠れて身を守っています。
そもそも、なぜ、アギサがそんな危険な「くに」を通ってまで、月に会いに行こうとしたかといえば‥
むかし、ひとびとは、月のしょうたいを しらなかった。
月が だれで、どこに すんでいるのか、みんなが
いろんなことを いいあって、けんかになる。
だから アギサが カヌーを つくり、「月に あいにいってくる」といって、
ほそい月の でているほうへ、こいでいった。
この始まりの数行は、とても見事です。たったこれだけも文章で、話の中心に、まっすぐに
入って行くことができますし、パプア・ニューギニアの人たちが月を擬人化どころではなく、
自分たちと同じように生きているものと思っていることがよくわかります。
月に あいにいってくる
とっても新鮮で、なんだか心がざわっとする言葉です。
スズメバチ等のアクシデントを乗り切って、アギサはついに、大きなイリモの木の下に
辿り着きます。
そこにはとしとったひとが居て、夜明け前に起きれば月に会えるだろうと、教えてくれます。
しかし、くたくたに疲れていたアギサは、目を覚ますことができません。
3日後に、今度はちいさいこどもがやってきて「ゆうがたには 月に あえるよ」
細い月が空に出ているのに、アギサはついうとうとしてしまいました。
それからまた10日後。ふとったひとがやってきて「月は きっと ここにくる。イリモの
きに のぼって、そらへ とんでいくから」
今度こそはとしっかり見ていたアギサは、月の正体を知りました。
アギサは わかった。
「おれは ずっと 月と はなしていたんだ。
ちいさいこどもも、ふとったひとも、としとったひとも、みんな月なんだ」
うれしくて、あんしんして、このよる、アギサは ぐっすり ねむった。
月の正体をアギサが知り、安心して家路に着いて、お話は終わり‥となるところですが、
ここで、もう一つとってもいいなあと思ったのは‥次の日もまたふとったひとがやってきて、
こんな会話をアギサと交わすのです。
「月に あえたかい」
「あえたとも」アギサは わらいながら こたえた。
「あんたが 月で、ここが 月のすみかだ。
ありがとう。しりたいことが、やっと わかった」
このところ毎晩空は曇っていて、星ひとつ見えませんが、次に満月を見たときには、
私はまちがいなくふとったひとを思い出し、月のひと たちのことを想うと思います。
最後になりましたが。斎藤隆夫さんにとって、この絵本は3作目にあたるそうです。
斎藤さんの絵独特の「首の角度(傾け方)」が、とてもいいアクセントになっていて、
大好きです。
6月は5回金曜日がありましたが、毎回学校へ出かけて行きました。
第1週目は、当番ではありませんでしたが、「勉強会」があり‥高学年向きのお薦めの絵本を各自1冊持ち寄る‥という内容で、実際に何人かがみんなの前で読んでから、意見を交わすという方法で行いました。
私が持っていったのは『ラチとらいおん』。 (実際に読んだ時の記事はこちらにあります) もう1冊『あな』はどうかなあ? 『あな』については、メンバーのみんなはどんな反応を示すかな? とも考えましたがやめておきました。万が一、「その絵本はちょっと‥」なんて意見が出たら、その後なんとなく読みにくくなってしまうし。それに、たとえ「?」の意見の方がいても、私は大好きな絵本なので、きっとどこかで、いつか読みたくなってしまうと思ったので‥。
第2週目は、娘の居る4年生のクラスへ行き、 『おまたせクッキー』。
第3週目は、5年生のクラスで『おとしものしちゃた』。
第4週目は、6年生のクラスで、今日これから書こうと思っている『四人のなまけもの』というお話を読みました。
そして、先週の金曜(第5週目)は、ミーティングの予定だったので、他のメンバーの1年生のクラスでの「読み聞かせ」を聞かせてもらいました。
われながらがんばった6月だったなあと、ジガバーサン(ジガジーサン→じがじさん→自画自賛)しています・笑。
さて、本題の『四人のなまけもの』。この話は「おおきなポケット」2004年4月号に載っていたものです。
『四人のなまけもの』 ウイグルの昔話
大塚勇三再話 斎藤隆夫 絵
なんでこのお話を6年生のクラスで読もうと思ったのかといえば‥〈理由1〉外国の昔話が好きだから 〈理由2〉斎藤隆夫さんの絵が気になって 〈理由3〉小4のうちの娘がおもしろがって聞いてくれるので 〈理由4〉時間的にちょうどいい などがあげられます。
去年の年度始めの6年生のクラスで、やはり「おおポケ」の中から『まめじかカンチルが穴におちる話』というのを読んだのですが、その時もだいたい同じような理由から、その話を選んだような気がします。(あちらの絵は、柚木沙弥郎さんでしたが)
『四人になまけもの』は、斎藤隆夫さんの木版画がすごくいいです。黒がとっても効いています。その上、4人の男たちの服装や帽子にも注目です。「ウイグル」というと、現在の中国のウイグル自治区のことなのかなあと思いますが、中国というよりも、中東とか、トルコとかそっちに近いような感じを受けます。
ウイグルの人たちは、森に散歩に行く際に、大きなパンのかたまりを一つと、ヨーグルトの入った甕を持っていくのです。そんな話の始まりを聞いただけでも、(私は)文化の違いにわくわくしてきます。読み始める前に、6年生にも、「ここに住んでいる人たちは、おべんとうに大きなパンと、飲み物としてヨーグルトを持っていくみたいですね~」と話してみましたが、興味を持ってくれた子いたでしょうか‥。
おべんとうを前にした「4人のなまけものの男たち」の心配は、ヨーグルトがちょっぴりしかないので4人分には足りないということ。
こいつは、どうしても水をたして、ふやさなきゃならないな。
一人の男の提案に、あとの3人も賛成しましたが、川がすぐそばにあってもみんな水を汲みにいくのを嫌がって押し付け合いが始まります。(みんななまけものですからね~)
そして、とうとう、さわぎくたびれて、なかのひとりが、いいました。「いいか、こうきめようや。みんな、口をきかないんだ。まっさきにしゃべったやつが、水をくみにいくんだぞ。」
4人は口をつぐんで座り続けているうちに、居眠りを始めます。その沈黙を破って登場するのが、一人の狩人と、数匹のイヌたち。狩人に話し掛けられても、襟首をつかまれて、ユサユサゆすぶられても、誰も何にも言いません。はらぺこが我慢できない狩人に、ついにはパンを食べられても、さもさもうらやましそうに、目をひからせているだけです。
ほんとに我慢強いですねこの男たち。「ばか」がつくくらい‥。
最後にはもちろん、水を汲みに行く男が決るのですが、その時には
といってもね、ヨーグルトは、もう、かげもかたちもないんですから、水でうすめようもないのでした。さあ、ヨーグルトもなくなって、おはなしも、これでおしまい。
大塚勇三さんのお話し運びはほんとにみごとです。声に出して読むと、そのよさがほんとによくわかります。
ほとんどそういう意識はないんですが、でも、7月1日からは、1年の後半ですね。
1月に新しい年が始まった時は、気持ちもあらたまり、それなりの決意(?)で臨むのですが、2月3月と寒さに耐えているうちに、なんとかこの寒さを乗り越えようという気持ちのほうが強くなり。そうして、4月に新学期を迎えると、気候もいいし、新しく学校の年度も始まるしで、なんかまた気持ちがあらたまってしまって‥だから、4月から3ヶ月しか経っていないのに、え~もう1年の後半なの???というのが正直な気持ちです。
7月。うかうかしていると、すぐに夏休みに(小学校がですが)入ってしまうので、気を引き締めないといけないですね。
ちひろ美術館の長新太展 には、何があっても行かなければ‥だし。
7月18日オープン予定だったK市立(新)中央図書館が、1日(土曜日)に、オープンしたので、早く行ってみたいし。
四谷にある、日本写真会館5Fポートレートギャラリーでも、大変気になる写真展が、7月4日~17日まで開かれます。フォトグラフィティ1980-2005〈日本大学芸術学部写真学科卒業生の会〉
写真学科卒業生の13名の方による写真展で、その中には、よくテレビや雑誌でお名前等をお見かけする方もいらっしゃるようです。私が個人的に知っている(正確には知っていた)人もお二方いて‥そのうちの一人は、いつか「めぐりあわせ」というタイトルで書いたことがある、中村ハルコさん です。
彼女が残した写真に向き合うのは、嬉しいようで恐い‥。写真展のことを知らせたら、そう友人がメールの返信に書いてきましたが、私もまったく同じ気持ちです。今ここで、「向き合っている場面」を思い浮かべただけで、鼻の奥がつんとしてきて困ります。
でも、せっかく訪れた機会なので、正面からきちんと、彼女の作品に向き合ってこようと思っています。
そうそう。
7月30日には、忘れてならない、荒井良二さんのサイン会も、丸善丸の内店で開催されます。
他にも、商店街の七夕まつりや、町内会主催の納涼大会もあるし(今年はカキ氷担当らしい‥)、暑がってばかりいられませんね。(そうそう、絵本おじさんの錦糸町・3回目もあるだろうし)