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Unknown ()
2007-12-23 11:17:51
赤裸々な自分をさらけ出す。

表面的な欠点や思い癖などは意識できても、なかなかその奥にある自分って見えないものですね。

「お姫様ものは苦手」
そんなこともきっかけとなって、
「好き」と同時に「嫌い」の奥に何か見えるかもと思い始めました。
批判を受けると落ち込んだりむっとしたり(時には反省したり)でしたが、宝はその奥なのだわ、とも。

闇と聞くと、私などマイナス面ばかり考えていましたが、そうではないんですね。
自分の“闇”を認められれば他者を受け入れられる器が広がる。
それが、きっと自分を開くことに繋がるかもしれない。

まずは闇(自分自身)を探す旅に出なくては。
そこには一緒に光もあるのでしょう。

神話、読み始めました。
(まずは子供向けのものからですが・・・)
古事記は神様の名前や神関係?が把握できず(情けない)ちょっと棚上げです。
神話の神さまって意外と人間くさい(?!)などと思ったり。
(生と死、再生を読み取るまではまだ行き着けません・・・)

語りたい物語に出会いたい。
それには話を物語にしていくことも勉強せねば。(国語苦手・・)

でも今は「聞いていて苦痛でない語り」そこからです、私の場合。
道が遠くて、わくわくします(やけくそ)
出会えた聞いてくれる人に向き合っていく。

魂を揺るがす語り は私にとっては目標と言うより、いつかもらえたら嬉しいご褒美のようなものかもしれません。

るかさんの言葉も、歩き始めるきっかけであり歩き始めたことへのご褒美のような気がします。

たくさんの感謝をこめて。

・・・こんな私情ばかりのメッセージをコメント欄に投稿してもいいのでしょうか?もしなんでしたら非公開にしてくださいね。
 
 
 
ぴかぴか (るか)
2007-12-23 14:07:56
風さん

闇も光も自分のなかにあるのですね。
闇があってこそ光が存在する。
ふたつでひとつなのですね。

語りたいも書きたいも自分の心がそれを
求めます。私情でいいのじゃないでしょうか。

わたしもきっかけをたくさんいただいて
ここまで生きてこられました。

それは一杯のおいしいお茶だったり
あんじょうおしゃっしゃ という
ことばであったり
まなざしであったり
掌のぬくもりであったりしました。

でもせなかを押していただいたら
一歩を踏み出すのは自分の足なのです。
よしいこう...と決める自分のこころ
なのです。

そうやって余裕がすこしできたら
こんどは道で佇んでいるひとに
声をかけたり無言で微笑んだり
手をさしのべたり....

そうやってたすけあっていければ
いいのだと思います。
ふしぎなものでそこからまた力が生まれます。
わたしもまた風さんから温もりを
いただいて木枯らしのなかを
歩いています。

ユーモアと笑いも忘れないでね。
得がたいものを風さんは持っていますよ。
 
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