コメント
ひたすら懐かしい・・
(
angelsroad
)
2010-06-01 12:41:41
マリイ・ルゥは小学生の頃にコミックスを買ってもらい、何度も読みました!懐かしいです!!今でもとってあるかも。ほんとに、あのドレスにうっとりしていたものです。
るかさんの少女マンガ史・・何度も読んでおります~
知らなかったこともたくさんあり、勉強になります!
私は少し後の時代ですが・・。山岸涼子さん、萩尾望都さんや竹宮恵子さん、樹村みのりさん、森脇真末味さんが大好きでした!たまらなく70年代~80年代の漫画の雰囲気に浸りたくなる時があるのでした・・。
るかさんのお家の屋根裏部屋、貴重なお宝がざくざくですね~!お邪魔して、おもいっきり読んでみた~い!と、毎回思っています(笑)
少女まんが史
(
luca
)
2010-06-03 07:54:19
萩尾望都 山岸涼子 大島弓子 さんの時代が少女漫画のピークだったように思います。
三人のことが書きたくて 少女まんが史を書き始めたのですが......
発見がたくさんありました。時間がほしい!!
屋根裏部屋ならぬわが六畳はすさまじいことになっております。そのうちおいでくださいませ。
おそうじができたころ.....
非難?
(
素ー
)
2014-05-21 23:58:01
この記事ほとんど同意しますが、作品上で飛鳥幸子を模倣と呼んだというのは、どの作品のどのへんになるのでしょうか?気になるのですが。
週刊マーガレット
(
luca
)
2014-05-22 03:02:27
その号 あるいは 切抜きを持っているか 棄ててしまったか 記憶がないのです。さがすのはちょっとたいへんです。週刊マーガレットであることは間違いありません。飛鳥幸子が こうもり男爵を描いていたころではないかと思います。コミック化したときは やや乱暴に消されていました。お役に立てなくてすみません。
ありがとうございます。それから・・
(
素ー
)
2014-05-22 20:42:54
ありがとうございます。
それだと探して確認のしようもないですね。
怪盗こうもり男爵と同じなら学生たちの道の頃で、匂いが消えた頃だとしたらDr.アシモフの華麗な冒険の頃になりそうですが・・
いったいどんな表現だったのでしょう? それもわからないでしょうか。
こういうせんさくは、太島弓子が綿の国星で「捕まえる 分析する これがマニアです」というのと同じ本能のようですが・・・、
私は批評の多い花びら日記のファンなので、彼女の実際のことへの批評について知りたいと思っています。・・(^ ^;)
まちがい、ストーリー
(
素ー
)
2014-05-22 20:44:52
なお、本文中の間違いを二つ。
1 月3000枚はありえないです。そんなに雑誌もありません。300枚ならわかりますが。
マーガレット、セブンティーン、それぞれの別冊が重なればそれぐらいになるでしょう。
2 「いしだたみ」のストーリーは少し違います。
東京から京都の寺に、最近亡くなった父親の分骨だかなんだかで、少女が墓参りみたいにやってきます。
そこで出逢った舞妓さん(芸妓になる直前日)と知り合って京都案内されますが、清水の舞台で彼女の不思議な超然とした悟ったような視線が語られるのが、ひどく印象的に描かれます。
(ずっと後になって、俯瞰と言う言葉の意味を知ったとき、このシーンを想いだすことが多くなりました)
彼女の部屋に行ったときに、実は父親の隠し子だと気づきます。
そこからは本文記事の通りです。
東京のもともと天真爛漫そうな元気で真っ直ぐな少女が、京都祇園という人の影を抱えた古い都の中で、人のすべてを天の視座で見つめるという今の姉の視点に出逢って、覚悟やら何やらやりとりしたあげく、そのまま分かれていくという点が特徴に思えます。
今から見れば、新旧の女性の生き方の対比にも見えますが、作品では圧倒感と淋しさがまさって見えました。これは昔の少女漫画の伝統みたいなものかも知れないけど、ジェシカの世界のように上京した作者の孤独の表れかもしれませんね。
Unknown
(
Unknown
)
2014-05-22 23:55:21
3000枚とあるのは たしか 西谷さん自らが某雑誌で語っていた数字ではないかと思います。描くことに追われ 莫大な税金がきて驚いたというようなことが書かれていました。しかし 記憶違いの可能性もあります。
西谷さんは 連載雑誌の余白のコマに 飛鳥幸子のカットを描いて 真似をしていると糾弾していました。わたしはちょっといやな感じがしました。なぜなら 飛鳥幸子は模倣などしていなかったからです。当時はものがたりのコピーも絵柄やカットのコピーもあたりまえの時代でした。池田理代子さんなどひどいものでした。
しかし飛鳥幸子は才能とセンスのある漫画家で コピーなどする必要もなかった。わたしは西谷さんの嫉妬だと今も思っています。
たぶん、
(
素ー
)
2014-05-23 20:17:10
・ 桁のズレか年との混同かでしょうね。
・ なるほどそれはたしかにそうですね。
この辺は、漫画ばっかり書いてる孤独な人のとりやすい行動、と解釈するとおもしろい。
また、りこうでいい子に育った者は、大きくなってから自分の悪意や結果に気付かずにやってしまう、とかあるのかな。
それと、お嬢さんのわがまま・嫉妬というのも彼女は描いてますしね。
・・そう考えると、彼女の作品はかなり自己表現なのかもしれませんね、 ・・ (^ ^;)。
(萩尾望がCOM'71の少女漫画特集で言ってた、少女雑誌の世界でその頃自己表現をしていたのは西谷祥子ぐらいしかいなかった、と)
飛鳥幸子はまあ模倣というならそうかも。レベルの高い、センスに昇華した寄せ集めですね。才能とほぼ同義ですけど。
特定のキャラがじつは西谷さんのお気に入りの何かに似ていたとか?
しかしほんとうは彼女の理想に近かったから気になったと想像したくなります。
西谷祥子が漫画家を止めたのが高橋留美子の出現(成長?)にショックを受けたという話がありました。少年少女の共生や手塚治虫への先祖返りとか。その点では、飛鳥幸子はそれに近かった。石森章太郎と同じ雑誌に載っても自然だし。自分がやりたい気持ちを抑えてやってないことをやられていると。
かなり好きに書きましたが、いや妄想です。
もう少しで半世紀過ぎる。
古き佳き
(
luca
)
2014-05-29 09:54:43
いずれにしましても よき時代 のどかな時代でした。
いまや 暗黒前夜です。
それでも 自分を癒す自分の世界をつくることはできます。.....ジェしかのように。
「怪盗こうもり男爵」
(
きょんママ
)
2015-11-08 14:22:50
luca様 はじめまして
西谷先生と飛鳥さんの例の事件(?)を検証してて こちらにたどり着きました。古い話なので、私の記憶も曖昧ですが、多分「われら劣等生」連載中ではなかったでしょうか? 左ページの中央より下の方、細い横長のコマの背景の余白に それは書かれていたように思います。飛鳥さんのカットとその横に「人まねばかりしてると のびないよ」のセリフ。実は当時、週刊少女フレンドに飛鳥さんが連載していた「怪盗こうもり男爵」第1話の中で、こうもり男爵が 偽こうもり男爵に向かって言う場面・・・
「まったくもって ぶれい千万だ。かってに人のまねをして」「人まねばかりしていると のびないよ」
このこうもり男爵のセリフを そのまま飛鳥さんに投げ返したんですよね。
ショックでした。確かに、飛鳥さんの絵は西谷先生の影響を受けてはいたけれども、それは 飛鳥さんだけにあらず・・・他にも いろんな作家さんが西谷先生の影響を受け、あの瞳を真似する方もいましたから・・・
私は、西谷先生も飛鳥さんも大好きだったんですが、
この頃から西谷先生の作品に 以前ほど魅力を感じなくなってしまいました。
この事件は、当時マーガレットとフレンド両誌を リアルタイムで読んでいた人にしか解らなかったと思います。この件をもう一度、検証したくて「われら劣等生」のコミックを持ってる方に確認したのですが、そのシーンは無かったそうです。私は連載当時のオリジナルは 処分してしまったので(若気の至りで)、確認の仕様がありません。
luca様が オリジナルをお持ちでしたら、お暇な時にでも確認して頂けたら嬉しいです。
お返事遅れてごめんなさい
(
luca
)
2015-11-10 21:04:30
我ら 劣等生
たしか そのくらいでしたね。
わたしもオリジナルは持っていないと思います。総集編にはすでに削除してありました。
週刊マーガレット そのままとってあるのは エースをねらえ!!の時代のものです。
西谷さんは時代を読み取る才をお持ちでした。最近は漫画を見ることもないのですが たとえば 萩尾望都さんたちが起こした流れは必ずしも本流ではなかったのだと感じます。
少女マンガの少女たちは 迷いもし不安ももっていますが 根っこにあるのは現実的世俗的な...幸福願望のバリエーションのように思います。西谷さんの作品には献身も薄幸もありますが それ以上に生きることへの不安から現実を豊かに幸福にするための (いい意味の)利己主義といいますか 自分中心主義がある。そのDNAを少女マンガの少女ったいは受け継いでいるように思います。
あの事件もそれが 思わず はみ出してしまったのでしょう。
それでも わたしは 失われてしまった あのまなざしがときどき 懐かしくなるのですが....
今一度 風花 や 石畳や 金色のジェニィが読んでみたい...
ああ、そういうセリフ
(
素ー
)
2015-12-10 19:09:29
こうもり男爵の方は単行本で見たことあります。
しかし、当時の人はほとんどこれからの人ばかりで、それぐらいのものを見ても、だからどう?て、感じですね。そもそも作品中に使う以上、別の演出効果があったのでは?と思うし、コマの流れと絵がわからないと、ほんとに自分のまねをしているという意味なのかどうか、疑問に思えます。
しかしわれら劣等生の時だとしたら、飛鳥作「こうもり男爵」のすぐ後に西谷作「ギャングとお嬢さん」が来るわけですね。まるで意識してるみたい、青年男性が実質主人公だという点で。ひょっとするとそれかなあ、西谷祥子は自分がまねをしていると書かれた気分だったりして?
(これは、まあお笑いネタです。そういえば、われら劣等生には、外人と日本人の少女同士の決闘未遂がありましたっけ。反映してると妄想すると楽しいかな。こういう、女の子のけんかをお笑いとして見る楽しさって、西谷祥子から学んだですね。)
調べると、こうもり男爵にはシリアスで危険な背景がありそうですね、
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/idea/ideavol1/idea4/ideachan_asuka.htm
。そんな予想が実現したら、西谷祥子の危険なイギリス青年像によく重なるライバルみたいです。ウィキペディアでは、西谷祥子は青年を描くことに魅力を感じていたけど、人気の確保としてより低年齢層を狙ったということですからね。西谷祥子が描いたのに、飛鳥幸子が描けなかったのは、やはりフレンド誌の方針なのか、新谷かおるばりの代物だったのか、もし書いていたら女石森っぽいイメージになった気が、、など空想します。
方向性、記憶
(
素ー
)
2015-12-10 19:11:32
二人とも少年マンガが元でしょう。われら劣等生の前のジェシカの世界の抒情感は、どうも石森リリシズムと似ていると思えます。それは少女マンガも少年マンガも発展すれば同じになると思えた最後の時期ではないかと思います。それから二つの分野は別々の方向に流れていき、二人もそれによって立場や作風を変えていった。10年ほどして、講談社と集英社に後れを取っていた感のある小学館から高橋留美子が少年・少女マンガの両立させる作風で現れた。それに西谷祥子はショックを受けて辞める気持ちになった、ということですかね。
わたしが少女漫画を読んでいたのは、少女自営業者(漫画家)が増えていくという時代の流れが楽しかったからです。生産者と消費者に分けられた生き方でなしに、手芸のような趣味から始まって独立して自分で市場を作り出す、作り手と受け手のユートピアみたいな、アマチュア発明家物語みたいな。
もう一つは、それ以前にたまたま見かけた西谷短編が印象にあったせいもあります。一番早いものが途中までしか読んでない話で、日本で孤児院出のような欧米人ハーフの派手な美少女が、そのせいでふつうの仕事につけずに転落していくような話を、その幼馴染(孤児院仲間?)の目から報告している話があり、それって金髪のジェニーでしょうか? 講談社時代の作品だったりして。
復刻版の在庫がどれだけあるのか知らないが、短編を電子化してほしいですね。絶版専門のマンガ図書館Zにもないです。
金色のジェニィ
(
luca
)
2015-12-14 01:57:53
混血少女のものがたりは 金色のジェニィですね。
アイザック・アシモフは SF作家です。銀河帝国興亡史 クラーク ハインラインとならぶ御三家
若かりしアイザック・アシモフの容貌 とくにカールした前髪が 飛鳥さんのアシモフにそっくりです。バジル氏につながるとは知りませんでした。
わたしは 西谷さんの 飛鳥さんへのコメントには悪意を感じました。
漫画家 は すべからく?唯我独尊です。実は語り部も同じですが...。個人的には 西谷さんが飛鳥さんのなかにある 上質なウィットとか洒落た感じ に嫉妬なさった と 感じています。
少女漫画は 一時 少年漫画を凌駕しましたね。わたしが大江健三郎などうち棄てて 少女漫画に走っていたのは まさにその時代 少女漫画が未踏の地を赫々と照らしていたときです。ここに書いているのは そこに連なる松明の持ち手の記憶です。
もう 戻ることはないでしょう。天才の出現と時代がマッチしない限り。
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るかさんの少女マンガ史・・何度も読んでおります~
知らなかったこともたくさんあり、勉強になります!
私は少し後の時代ですが・・。山岸涼子さん、萩尾望都さんや竹宮恵子さん、樹村みのりさん、森脇真末味さんが大好きでした!たまらなく70年代~80年代の漫画の雰囲気に浸りたくなる時があるのでした・・。
るかさんのお家の屋根裏部屋、貴重なお宝がざくざくですね~!お邪魔して、おもいっきり読んでみた~い!と、毎回思っています(笑)
三人のことが書きたくて 少女まんが史を書き始めたのですが......
発見がたくさんありました。時間がほしい!!
屋根裏部屋ならぬわが六畳はすさまじいことになっております。そのうちおいでくださいませ。
おそうじができたころ.....
それだと探して確認のしようもないですね。
怪盗こうもり男爵と同じなら学生たちの道の頃で、匂いが消えた頃だとしたらDr.アシモフの華麗な冒険の頃になりそうですが・・
いったいどんな表現だったのでしょう? それもわからないでしょうか。
こういうせんさくは、太島弓子が綿の国星で「捕まえる 分析する これがマニアです」というのと同じ本能のようですが・・・、
私は批評の多い花びら日記のファンなので、彼女の実際のことへの批評について知りたいと思っています。・・(^ ^;)
1 月3000枚はありえないです。そんなに雑誌もありません。300枚ならわかりますが。
マーガレット、セブンティーン、それぞれの別冊が重なればそれぐらいになるでしょう。
2 「いしだたみ」のストーリーは少し違います。
東京から京都の寺に、最近亡くなった父親の分骨だかなんだかで、少女が墓参りみたいにやってきます。
そこで出逢った舞妓さん(芸妓になる直前日)と知り合って京都案内されますが、清水の舞台で彼女の不思議な超然とした悟ったような視線が語られるのが、ひどく印象的に描かれます。
(ずっと後になって、俯瞰と言う言葉の意味を知ったとき、このシーンを想いだすことが多くなりました)
彼女の部屋に行ったときに、実は父親の隠し子だと気づきます。
そこからは本文記事の通りです。
東京のもともと天真爛漫そうな元気で真っ直ぐな少女が、京都祇園という人の影を抱えた古い都の中で、人のすべてを天の視座で見つめるという今の姉の視点に出逢って、覚悟やら何やらやりとりしたあげく、そのまま分かれていくという点が特徴に思えます。
今から見れば、新旧の女性の生き方の対比にも見えますが、作品では圧倒感と淋しさがまさって見えました。これは昔の少女漫画の伝統みたいなものかも知れないけど、ジェシカの世界のように上京した作者の孤独の表れかもしれませんね。
西谷さんは 連載雑誌の余白のコマに 飛鳥幸子のカットを描いて 真似をしていると糾弾していました。わたしはちょっといやな感じがしました。なぜなら 飛鳥幸子は模倣などしていなかったからです。当時はものがたりのコピーも絵柄やカットのコピーもあたりまえの時代でした。池田理代子さんなどひどいものでした。
しかし飛鳥幸子は才能とセンスのある漫画家で コピーなどする必要もなかった。わたしは西谷さんの嫉妬だと今も思っています。
・ なるほどそれはたしかにそうですね。
この辺は、漫画ばっかり書いてる孤独な人のとりやすい行動、と解釈するとおもしろい。
また、りこうでいい子に育った者は、大きくなってから自分の悪意や結果に気付かずにやってしまう、とかあるのかな。
それと、お嬢さんのわがまま・嫉妬というのも彼女は描いてますしね。
・・そう考えると、彼女の作品はかなり自己表現なのかもしれませんね、 ・・ (^ ^;)。
(萩尾望がCOM'71の少女漫画特集で言ってた、少女雑誌の世界でその頃自己表現をしていたのは西谷祥子ぐらいしかいなかった、と)
飛鳥幸子はまあ模倣というならそうかも。レベルの高い、センスに昇華した寄せ集めですね。才能とほぼ同義ですけど。
特定のキャラがじつは西谷さんのお気に入りの何かに似ていたとか?
しかしほんとうは彼女の理想に近かったから気になったと想像したくなります。
西谷祥子が漫画家を止めたのが高橋留美子の出現(成長?)にショックを受けたという話がありました。少年少女の共生や手塚治虫への先祖返りとか。その点では、飛鳥幸子はそれに近かった。石森章太郎と同じ雑誌に載っても自然だし。自分がやりたい気持ちを抑えてやってないことをやられていると。
かなり好きに書きましたが、いや妄想です。
もう少しで半世紀過ぎる。
いまや 暗黒前夜です。
それでも 自分を癒す自分の世界をつくることはできます。.....ジェしかのように。
西谷先生と飛鳥さんの例の事件(?)を検証してて こちらにたどり着きました。古い話なので、私の記憶も曖昧ですが、多分「われら劣等生」連載中ではなかったでしょうか? 左ページの中央より下の方、細い横長のコマの背景の余白に それは書かれていたように思います。飛鳥さんのカットとその横に「人まねばかりしてると のびないよ」のセリフ。実は当時、週刊少女フレンドに飛鳥さんが連載していた「怪盗こうもり男爵」第1話の中で、こうもり男爵が 偽こうもり男爵に向かって言う場面・・・
「まったくもって ぶれい千万だ。かってに人のまねをして」「人まねばかりしていると のびないよ」
このこうもり男爵のセリフを そのまま飛鳥さんに投げ返したんですよね。
ショックでした。確かに、飛鳥さんの絵は西谷先生の影響を受けてはいたけれども、それは 飛鳥さんだけにあらず・・・他にも いろんな作家さんが西谷先生の影響を受け、あの瞳を真似する方もいましたから・・・
私は、西谷先生も飛鳥さんも大好きだったんですが、
この頃から西谷先生の作品に 以前ほど魅力を感じなくなってしまいました。
この事件は、当時マーガレットとフレンド両誌を リアルタイムで読んでいた人にしか解らなかったと思います。この件をもう一度、検証したくて「われら劣等生」のコミックを持ってる方に確認したのですが、そのシーンは無かったそうです。私は連載当時のオリジナルは 処分してしまったので(若気の至りで)、確認の仕様がありません。
luca様が オリジナルをお持ちでしたら、お暇な時にでも確認して頂けたら嬉しいです。
たしか そのくらいでしたね。
わたしもオリジナルは持っていないと思います。総集編にはすでに削除してありました。
週刊マーガレット そのままとってあるのは エースをねらえ!!の時代のものです。
西谷さんは時代を読み取る才をお持ちでした。最近は漫画を見ることもないのですが たとえば 萩尾望都さんたちが起こした流れは必ずしも本流ではなかったのだと感じます。
少女マンガの少女たちは 迷いもし不安ももっていますが 根っこにあるのは現実的世俗的な...幸福願望のバリエーションのように思います。西谷さんの作品には献身も薄幸もありますが それ以上に生きることへの不安から現実を豊かに幸福にするための (いい意味の)利己主義といいますか 自分中心主義がある。そのDNAを少女マンガの少女ったいは受け継いでいるように思います。
あの事件もそれが 思わず はみ出してしまったのでしょう。
それでも わたしは 失われてしまった あのまなざしがときどき 懐かしくなるのですが....
今一度 風花 や 石畳や 金色のジェニィが読んでみたい...
しかし、当時の人はほとんどこれからの人ばかりで、それぐらいのものを見ても、だからどう?て、感じですね。そもそも作品中に使う以上、別の演出効果があったのでは?と思うし、コマの流れと絵がわからないと、ほんとに自分のまねをしているという意味なのかどうか、疑問に思えます。
しかしわれら劣等生の時だとしたら、飛鳥作「こうもり男爵」のすぐ後に西谷作「ギャングとお嬢さん」が来るわけですね。まるで意識してるみたい、青年男性が実質主人公だという点で。ひょっとするとそれかなあ、西谷祥子は自分がまねをしていると書かれた気分だったりして?
(これは、まあお笑いネタです。そういえば、われら劣等生には、外人と日本人の少女同士の決闘未遂がありましたっけ。反映してると妄想すると楽しいかな。こういう、女の子のけんかをお笑いとして見る楽しさって、西谷祥子から学んだですね。)
調べると、こうもり男爵にはシリアスで危険な背景がありそうですね、http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/idea/ideavol1/idea4/ideachan_asuka.htm。そんな予想が実現したら、西谷祥子の危険なイギリス青年像によく重なるライバルみたいです。ウィキペディアでは、西谷祥子は青年を描くことに魅力を感じていたけど、人気の確保としてより低年齢層を狙ったということですからね。西谷祥子が描いたのに、飛鳥幸子が描けなかったのは、やはりフレンド誌の方針なのか、新谷かおるばりの代物だったのか、もし書いていたら女石森っぽいイメージになった気が、、など空想します。
わたしが少女漫画を読んでいたのは、少女自営業者(漫画家)が増えていくという時代の流れが楽しかったからです。生産者と消費者に分けられた生き方でなしに、手芸のような趣味から始まって独立して自分で市場を作り出す、作り手と受け手のユートピアみたいな、アマチュア発明家物語みたいな。
もう一つは、それ以前にたまたま見かけた西谷短編が印象にあったせいもあります。一番早いものが途中までしか読んでない話で、日本で孤児院出のような欧米人ハーフの派手な美少女が、そのせいでふつうの仕事につけずに転落していくような話を、その幼馴染(孤児院仲間?)の目から報告している話があり、それって金髪のジェニーでしょうか? 講談社時代の作品だったりして。
復刻版の在庫がどれだけあるのか知らないが、短編を電子化してほしいですね。絶版専門のマンガ図書館Zにもないです。
アイザック・アシモフは SF作家です。銀河帝国興亡史 クラーク ハインラインとならぶ御三家
若かりしアイザック・アシモフの容貌 とくにカールした前髪が 飛鳥さんのアシモフにそっくりです。バジル氏につながるとは知りませんでした。
わたしは 西谷さんの 飛鳥さんへのコメントには悪意を感じました。
漫画家 は すべからく?唯我独尊です。実は語り部も同じですが...。個人的には 西谷さんが飛鳥さんのなかにある 上質なウィットとか洒落た感じ に嫉妬なさった と 感じています。
少女漫画は 一時 少年漫画を凌駕しましたね。わたしが大江健三郎などうち棄てて 少女漫画に走っていたのは まさにその時代 少女漫画が未踏の地を赫々と照らしていたときです。ここに書いているのは そこに連なる松明の持ち手の記憶です。
もう 戻ることはないでしょう。天才の出現と時代がマッチしない限り。