ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか -23- カミカゼ(余話)

2025年02月25日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
「やあ、久しぶり」
と元気な声で来店したのは、県南で農業を営む乾さんである。
乾さんは40代半ばのがっちりした体つきで、その割には豪快に飲むというタイプではなく、
私の店ではいろんなカクテルをゆっくりと楽しむ人である。
「本当ですね。3ヶ月ぶりですか?」
私が問うと、
「うん、米の収穫時期は何かと忙しなくてね」
とひとつ伸びをして、
「取り敢えず、ソルティドッグを」



「ただいま、そう言えば、乾さんは法人を作って、米作りを相当広くやっているような話でしたね」
「自分の町でも高齢化が進んで、特に農業従事者にはそれが顕著なんです。そういう方々が、田を荒らすのは忍びなくて米作りを頼んでこられてね」
「本当に、日本の米は大丈夫でしょうか?米まで輸入ということになったら危ないですね」
「そうね、食料自給率を上げないといざ紛争というときには、日本人は飢え死にです」
「農業の経験も知識も無い官僚が農業政策を決めていますから、先行きは暗いですよね」
と言って乾さんの前にソルティドッグを置いた。
「一農業人としてはお上には従うしかないです」
と言って乾さんはグラスに口を付けて、
「ところでマスター、先日ブログで読んだんだけど、あの菊田さんとかいう方と和ちゃんの話。あの結末は気になるなぁ」
とニヤッとして私から話を聞き出そうとした。
「・・・・・」
私が戸惑っていると、カウンター奥の端に座っている年輩のお客さんから注文が入った。

「マスター、もう一杯頼みますよ」
「あなた、今日はそれくらいになさったら?」
と隣の上品な女性が柔らかく釘を刺した。
「では、今日最後のカミカゼをどうぞ」
と言って、私はカクテルグラスを置いた。
そのグラスを持った年配のお客さんは連れの婦人に向かって、
「初めて会ってからもう50年か。長い間一緒にいてくれてありがとう和ちゃん」
と言って隣の女性の持つ、ピンクレディの入ったグラスに会わせた。
「私こそ、少しも長くないくらい幸せだったわ、翔平君」
と、婦人は悪戯っぽく笑って、乾さんを見た。

乾さんは、口をぽかんと開けて私を見ると、
「じゃあ、あれがあの・・」
と言葉にならず年配のご夫婦を、目を一杯開いて見つめていた。
その様子に私は笑いを堪えきれずについ声を漏らした。

そのご夫婦は時々名も知らぬ駅においでになります。
どんな様子かですって、どうしても気になるようでした名も知らぬ駅に来ませんか。
コメント
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