3月1日~3日の2泊3日で沖縄の八重山4島巡りのツアーに奥方と一緒に参加した。
熊本ー沖縄ー石垣図飛行機を乗り継ぎ石垣空港で、他の参加者と一緒になってまずは石垣鍾乳洞へ。
追々分かるのだが、このツアーには、福島・山梨・東京・広島・熊本等々から計25名の参加者があり、
そんな集め方もあるのかと感心したものだ。
那覇空港で昼食。まずは一杯というメニューで生にミミガー、島豆腐、豚の塩焼きを肴
石垣島を始め何処に行ってもハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇り、
ガイドによると年中咲いているとのこと。
この旅行中ほとんど曇りの日が続き、時には雨も降ったせいか、南の島にしては体感はかなり寒かった。
さて、旅程は1日目は石垣島の鍾乳洞のみの観光でホテルに行って夕食。
花は何処でも咲き誇っている
2日目は高速船で西表島に渡り、マングローブのクルーズ、次に西表島の近くにある由布島へ牛舎で海を渡る。
マングローブクルーズ
牛車で約500mの海を渡る
由布島の植物園で見た翡翠葛。実に美しい
次に再び高速船で竹富島に渡って観光し、石垣島に戻って夕食を食べてホテルに帰着。
竹富島で見たデイゴの巨木。赤い花をつける沖縄の県花
3日目は川平湾に行ってグラスボートで珊瑚を見る。
そのあと真珠店や石垣焼きの窯元でショッピング、最後になんとか村で沖縄の民家の造りを見て空港へ。
参加者の自宅が各地に渡っていて、我々熊本組8人の出発時間が最も早く、
ということで、12時に空港で解散する。東京組は3時間程の待ちになるということだった。
川平湾に浮かぶグラスボート
このツアーで行った石垣島の景勝地、川平湾は私の思い出の地である。
大学1年生の冬、鹿児島から台湾に船で行ったときのこと、
沖縄を経由して石垣島で5,6時間の停泊があって、その時川平湾に行ったのだ。
まだ沖縄の返還前のことで、パスポートではなく黄色の入国許可証みたいなものを持参して沖縄に行った気がする。
沖縄では通貨はUSドルで、車は右側通行だった。
その時の船は3,000トンという小型の客船で、今のクルーズとは月とすっぽんである。
鹿児島の錦江湾を出るや否や、東シナ海で揺れに揺れ、台湾の基隆に着くまで全く食事が入らなかった。
まだ夜も明けやらぬ基隆沖に船が停泊し、入国審査が始まるまで待つ間に基隆の街明かりは今でも鮮明に思い出す。
初めての海外旅行の台湾で、3週間程掛けて台北から台中、台南、高雄、台東、花蓮と一周し、
台東近くの鄙びた温泉のバス亭でバスを待つ間に、喧嘩腰で言い合いしている年配の2人の言葉が日本語だったのには吃驚した。
日本の占領時になされた日本語教育が当時はまだ強い影響を残していたのだろう。
20才の若者は台北のある店の店員の女性に淡い恋心を抱き、
彼女に教えてもらった「雨夜花(ウヤホエ)」の歌詞とメロディー一部は今でも口ずさめる。
川平湾の曇り空の中でも美しい海を見て、57年前のまだ何者でもなかった若者の自分を懐かしく思いだした。
あの頃の自分は、今のような人生を想像もしていなかったに違いない。
そう思いながら今回のツアーを終えた。
熊本ー沖縄ー石垣図飛行機を乗り継ぎ石垣空港で、他の参加者と一緒になってまずは石垣鍾乳洞へ。
追々分かるのだが、このツアーには、福島・山梨・東京・広島・熊本等々から計25名の参加者があり、
そんな集め方もあるのかと感心したものだ。
那覇空港で昼食。まずは一杯というメニューで生にミミガー、島豆腐、豚の塩焼きを肴
石垣島を始め何処に行ってもハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇り、
ガイドによると年中咲いているとのこと。
この旅行中ほとんど曇りの日が続き、時には雨も降ったせいか、南の島にしては体感はかなり寒かった。
さて、旅程は1日目は石垣島の鍾乳洞のみの観光でホテルに行って夕食。
花は何処でも咲き誇っている
2日目は高速船で西表島に渡り、マングローブのクルーズ、次に西表島の近くにある由布島へ牛舎で海を渡る。
マングローブクルーズ
牛車で約500mの海を渡る
由布島の植物園で見た翡翠葛。実に美しい
次に再び高速船で竹富島に渡って観光し、石垣島に戻って夕食を食べてホテルに帰着。
竹富島で見たデイゴの巨木。赤い花をつける沖縄の県花
3日目は川平湾に行ってグラスボートで珊瑚を見る。
そのあと真珠店や石垣焼きの窯元でショッピング、最後になんとか村で沖縄の民家の造りを見て空港へ。
参加者の自宅が各地に渡っていて、我々熊本組8人の出発時間が最も早く、
ということで、12時に空港で解散する。東京組は3時間程の待ちになるということだった。
川平湾に浮かぶグラスボート
このツアーで行った石垣島の景勝地、川平湾は私の思い出の地である。
大学1年生の冬、鹿児島から台湾に船で行ったときのこと、
沖縄を経由して石垣島で5,6時間の停泊があって、その時川平湾に行ったのだ。
まだ沖縄の返還前のことで、パスポートではなく黄色の入国許可証みたいなものを持参して沖縄に行った気がする。
沖縄では通貨はUSドルで、車は右側通行だった。
その時の船は3,000トンという小型の客船で、今のクルーズとは月とすっぽんである。
鹿児島の錦江湾を出るや否や、東シナ海で揺れに揺れ、台湾の基隆に着くまで全く食事が入らなかった。
まだ夜も明けやらぬ基隆沖に船が停泊し、入国審査が始まるまで待つ間に基隆の街明かりは今でも鮮明に思い出す。
初めての海外旅行の台湾で、3週間程掛けて台北から台中、台南、高雄、台東、花蓮と一周し、
台東近くの鄙びた温泉のバス亭でバスを待つ間に、喧嘩腰で言い合いしている年配の2人の言葉が日本語だったのには吃驚した。
日本の占領時になされた日本語教育が当時はまだ強い影響を残していたのだろう。
20才の若者は台北のある店の店員の女性に淡い恋心を抱き、
彼女に教えてもらった「雨夜花(ウヤホエ)」の歌詞とメロディー一部は今でも口ずさめる。
川平湾の曇り空の中でも美しい海を見て、57年前のまだ何者でもなかった若者の自分を懐かしく思いだした。
あの頃の自分は、今のような人生を想像もしていなかったに違いない。
そう思いながら今回のツアーを終えた。
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