ファジーネーブル
「こんばんは」
複数の声がして、先頭で入ってきたのは馴染みの高山さんだった。
「おや、今夜はお三人ですか?」私が声を掛けると、
「ええ、空いていますか?」と高山さん。
「ご覧の通り大丈夫ですよ。予約も入っていないので、ごゆっくりどうぞ」
先客に一つ席を詰めてもらい、並びの3席を作って座ってもらった。
高山さんの隣に同年配か少し年下の女性、その向こうに前頭部が薄くなりかけた男性が座った。
「マスター、僕はマッカランをロックで。君らは何がいい?」
二人の方に顔を向けて高山さんが訊いた。
「何がお勧めかな?」連れの男性が私に声を掛けてきたので、
「そうですね。無難なところでソルティドッグはいかがでしょう」
「じゃあそれで」
「承知しました」とマキちゃんの方に顔を向けると、頷いてグラスを準備し始めた。
「由布さんはどうする?」高山さんが隣の女性に問うと、
彼女は落ち着いた様子で私の方に、
「甘いカクテルを頂けますか。あまり強くない方がいいけど」
「桃はお好きですか?」私が訊くと、
「大好きです!」こっくり頷いて微笑んだ。
「では、ファジーネーブルをお作りします」
「今日は中学卒業25年記念の同窓会がありましてね、その流れなんです」と、高山さん。
「それにしては人数が少ないですね」と私。
「2次会でバラバラになって、3人でここに流れ着いたんです」
「うちは港ではなく駅ですから、流れ着くというより、終点に着いたというところでしょうか」
「それもそうだ。で、向こうのムサイのが松田、隣がゆうさん。由布と書いてゆうですね。実はこの3人は中学3年間同じクラスだったんです」
「仲良し3人組ですね」
と言って、由布さんの前にファジーネーブルのロンググラスを置く。
ファジーネーブルは、ピーチリキュールにオレンジジュースを注いでステアする。
ピーチのリキュールにオレンジジュースを加えるので、
ピーチなのかオレンジなのか、その味の曖昧さをファジーと表現して命名したと言われている。
甘くて飲みやすい上に、アルコール度は低いので、女性好みのカクテルとしては人気がある。
ピーチリキュールのレシピでは王道である。
マキちゃんが作ったソルティドッグとマッカラン・ウイズ・アイスが、松田さんと高山さんの前に置かれる。
3人のグラスがそろったところで、
「乾杯!」とそれぞれのグラスに口をつける。
「おいしい!」由布さんはそう言って、私の方に顔を向けると、にっこりと頷いた。
今年40才になる高山さんは、フランチャイズ展開しているコンビニチェーンのオーナーで、
業績はまあまあだが、最近は人手不足で店員の確保が大変だと嘆くことが多い。
それとなく話を聞いていると、松田さんは熊本市内の会社の課長クラスで、
由布さんは、個人営業のフラワーコーディネーターというところのようだ。
3人ともそれぞれの家族があり、男女2人の子どもと、その内の一人が中学2年生というのも共通しているそうだ。
「俺たちの中学時代と比べると、今の中学生は理解を超える存在だよな」
松田さんの言葉に、他の二人も深く頷いている。
それはいつの時代もそうなのだ。
特に変化の激しい今の時代に生きている子どもたちには、ゆっくり安らげる時間さえままならないのかもしれない。
子どもへの愚痴話で盛り上がっていたが、2杯目のグラスを空けた頃から、松田さんが睡魔に襲われ始めた。
高山さんに指を指されて松田さんの方を見た由布さんは、
「クスッ」と笑った顔を高山さんの方に振り向かせた。
その笑い声が聞こえたのか、松田さんがカッと目を開いて、
「オレ、帰るわ」と言うや、
立ち上がって、覚束ない手つきで財布を取り出し、千円札を数枚出して、それを
「高山、これでいいか」と言ってカウンターに札を置いた。
「今勘定してもらうからちょっと待てよ」と、高山さんが私に目配せをする。
私が勘定書きを書く前に、
「いいから、お前はもうお少し由布さんを接待しろ」
「いやいや、そういうわけにはいかんだろ」と言う高山さんの袖を引いた由布さんが、
「いいじゃない、せっかく松田君がああ言ってくれているんだから」と言い、
その由布さんの顔をじっと見た高山さんが座ると、
「じゃあな」と松田さんは二人に手を上げて帰って行った。
由布さんのおかわりは、再びファジーネーブルだった。
高山さんは3杯目のマッカラン。
「由布さん、家の方は大丈夫なのかい」
「旦那がいるから大丈夫よ。高校生の娘も帰っているし、こう見えても時々女子会で飲み歩きしているのよ」
「へ~え、中学生の時、僕のマドンナだった由布さんが飲み歩きかぁ」
「幻滅した?それより、高校生になったとき、高山君をデートに誘ったけど相手にしてくれなかったじゃない」
「いやぁ、あのときは本当に意外で、思い人から誘われるというのが想定外で、狼狽えて首を横に振ったんだよ」
「そんなことだと思ったわ。高山君は昔から自己評価が低かったよね。女子の間では結構評判よかったのに」
「まさか!」
「本当だってば」
「もう一度誘ってくれたら、今頃は稼げる女房を持って、左うちわだったのか。残念なことをしたなぁ」
「フフッ、残念だったわね。美人の妻と左うちわを逃がしてしまって」
「仕方ないさ、人生なんて何処でどう変わるか誰にも分からないよ」
「そうね、仮定の人生を羨んでもどうしようもないわね」
「由布さんにお願いがあるんだけど、高校生の娘さんに、うちの店でバイトをやってくれないかな?」
現実に戻ったように高山さんが訊くと、
「娘の学校ではバイト禁止なの」
「そうか、じゃあ無理だな」
「娘の部活の先輩だった子が今年から大学に通っているから、その子に訊いてあげるわ。私もよく知っている子だから」
「よかった。頼むよ。これで今夜の同窓会に来た甲斐があったというもんだ」
「なに言ってんの。かってのマドンナに会えたのが一番の収穫だったんでしょ」
からかうように笑顔で言った由布さんに
「そうそう、もちろんそれが一番さ」
とこれも笑って答えた高山さんは、
「マスター、お勘定お願いします」
松田さんも含めた割り勘で支払いを済ませた二人は、にこやかに店を後にした。
その後、二人に何か発展があったのか、ですって?
さあ、それはどうでしょうか。
結構いい雰囲気ではありましたが、ご期待のような方向に行くのとはちょっと違うような。
気になって仕方ない!と。
では、一度「名も知らぬ駅」にお出でになって、本人に確かめてみますか
「こんばんは」
複数の声がして、先頭で入ってきたのは馴染みの高山さんだった。
「おや、今夜はお三人ですか?」私が声を掛けると、
「ええ、空いていますか?」と高山さん。
「ご覧の通り大丈夫ですよ。予約も入っていないので、ごゆっくりどうぞ」
先客に一つ席を詰めてもらい、並びの3席を作って座ってもらった。
高山さんの隣に同年配か少し年下の女性、その向こうに前頭部が薄くなりかけた男性が座った。
「マスター、僕はマッカランをロックで。君らは何がいい?」
二人の方に顔を向けて高山さんが訊いた。
「何がお勧めかな?」連れの男性が私に声を掛けてきたので、
「そうですね。無難なところでソルティドッグはいかがでしょう」
「じゃあそれで」
「承知しました」とマキちゃんの方に顔を向けると、頷いてグラスを準備し始めた。
「由布さんはどうする?」高山さんが隣の女性に問うと、
彼女は落ち着いた様子で私の方に、
「甘いカクテルを頂けますか。あまり強くない方がいいけど」
「桃はお好きですか?」私が訊くと、
「大好きです!」こっくり頷いて微笑んだ。
「では、ファジーネーブルをお作りします」
「今日は中学卒業25年記念の同窓会がありましてね、その流れなんです」と、高山さん。
「それにしては人数が少ないですね」と私。
「2次会でバラバラになって、3人でここに流れ着いたんです」
「うちは港ではなく駅ですから、流れ着くというより、終点に着いたというところでしょうか」
「それもそうだ。で、向こうのムサイのが松田、隣がゆうさん。由布と書いてゆうですね。実はこの3人は中学3年間同じクラスだったんです」
「仲良し3人組ですね」
と言って、由布さんの前にファジーネーブルのロンググラスを置く。
ファジーネーブルは、ピーチリキュールにオレンジジュースを注いでステアする。
ピーチのリキュールにオレンジジュースを加えるので、
ピーチなのかオレンジなのか、その味の曖昧さをファジーと表現して命名したと言われている。
甘くて飲みやすい上に、アルコール度は低いので、女性好みのカクテルとしては人気がある。
ピーチリキュールのレシピでは王道である。
マキちゃんが作ったソルティドッグとマッカラン・ウイズ・アイスが、松田さんと高山さんの前に置かれる。
3人のグラスがそろったところで、
「乾杯!」とそれぞれのグラスに口をつける。
「おいしい!」由布さんはそう言って、私の方に顔を向けると、にっこりと頷いた。
今年40才になる高山さんは、フランチャイズ展開しているコンビニチェーンのオーナーで、
業績はまあまあだが、最近は人手不足で店員の確保が大変だと嘆くことが多い。
それとなく話を聞いていると、松田さんは熊本市内の会社の課長クラスで、
由布さんは、個人営業のフラワーコーディネーターというところのようだ。
3人ともそれぞれの家族があり、男女2人の子どもと、その内の一人が中学2年生というのも共通しているそうだ。
「俺たちの中学時代と比べると、今の中学生は理解を超える存在だよな」
松田さんの言葉に、他の二人も深く頷いている。
それはいつの時代もそうなのだ。
特に変化の激しい今の時代に生きている子どもたちには、ゆっくり安らげる時間さえままならないのかもしれない。
子どもへの愚痴話で盛り上がっていたが、2杯目のグラスを空けた頃から、松田さんが睡魔に襲われ始めた。
高山さんに指を指されて松田さんの方を見た由布さんは、
「クスッ」と笑った顔を高山さんの方に振り向かせた。
その笑い声が聞こえたのか、松田さんがカッと目を開いて、
「オレ、帰るわ」と言うや、
立ち上がって、覚束ない手つきで財布を取り出し、千円札を数枚出して、それを
「高山、これでいいか」と言ってカウンターに札を置いた。
「今勘定してもらうからちょっと待てよ」と、高山さんが私に目配せをする。
私が勘定書きを書く前に、
「いいから、お前はもうお少し由布さんを接待しろ」
「いやいや、そういうわけにはいかんだろ」と言う高山さんの袖を引いた由布さんが、
「いいじゃない、せっかく松田君がああ言ってくれているんだから」と言い、
その由布さんの顔をじっと見た高山さんが座ると、
「じゃあな」と松田さんは二人に手を上げて帰って行った。
由布さんのおかわりは、再びファジーネーブルだった。
高山さんは3杯目のマッカラン。
「由布さん、家の方は大丈夫なのかい」
「旦那がいるから大丈夫よ。高校生の娘も帰っているし、こう見えても時々女子会で飲み歩きしているのよ」
「へ~え、中学生の時、僕のマドンナだった由布さんが飲み歩きかぁ」
「幻滅した?それより、高校生になったとき、高山君をデートに誘ったけど相手にしてくれなかったじゃない」
「いやぁ、あのときは本当に意外で、思い人から誘われるというのが想定外で、狼狽えて首を横に振ったんだよ」
「そんなことだと思ったわ。高山君は昔から自己評価が低かったよね。女子の間では結構評判よかったのに」
「まさか!」
「本当だってば」
「もう一度誘ってくれたら、今頃は稼げる女房を持って、左うちわだったのか。残念なことをしたなぁ」
「フフッ、残念だったわね。美人の妻と左うちわを逃がしてしまって」
「仕方ないさ、人生なんて何処でどう変わるか誰にも分からないよ」
「そうね、仮定の人生を羨んでもどうしようもないわね」
「由布さんにお願いがあるんだけど、高校生の娘さんに、うちの店でバイトをやってくれないかな?」
現実に戻ったように高山さんが訊くと、
「娘の学校ではバイト禁止なの」
「そうか、じゃあ無理だな」
「娘の部活の先輩だった子が今年から大学に通っているから、その子に訊いてあげるわ。私もよく知っている子だから」
「よかった。頼むよ。これで今夜の同窓会に来た甲斐があったというもんだ」
「なに言ってんの。かってのマドンナに会えたのが一番の収穫だったんでしょ」
からかうように笑顔で言った由布さんに
「そうそう、もちろんそれが一番さ」
とこれも笑って答えた高山さんは、
「マスター、お勘定お願いします」
松田さんも含めた割り勘で支払いを済ませた二人は、にこやかに店を後にした。
その後、二人に何か発展があったのか、ですって?
さあ、それはどうでしょうか。
結構いい雰囲気ではありましたが、ご期待のような方向に行くのとはちょっと違うような。
気になって仕方ない!と。
では、一度「名も知らぬ駅」にお出でになって、本人に確かめてみますか
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