出会いが旅。
そんな旅行をしていると、ツアーの旅にはなかなか行けない。
それはそれなりに、楽しいこともあるのだが、
思いもかけない出会いやハプニングのある個人旅行の楽しさにはまると、
どうしても物足りない感じで終わってしまう。
さて、1997年のベトナム旅行以来、東南アジアを中心に旅を重ねてきたが、
その旅には必ずと言っていいほど、何らかの出会いがあり、ハプニングがあった。
それを少し整理しておこう。
まず、最初の旅となった1997年のベトナム3人旅。
最初のハプニングとも言えるのは、トラブルで始まった。
ホーチミンからダナンへ列車で移動し、ダナンから車でホイアンに入った。
この当時は、ベトナムへの旅行者はきわめて少なく、ホイアンも実にのんびりした町だった。
我々もまだバックパッカー的な発想はなく、ホイアンの宿はホイアンホテルという一流ホテルだった。
このホテルは今でも営業しているが、高級ホテルの中くらいの位置づけになるのだろうか。
ホイアンホテルの前で。2005年に行ったときもほとんど変わっていなかった。その時は勿論泊まらなかったが。
ここで、フエ行きの車を手配してもらうことになり、
責任者が「フランスニューカー」と「普通の車」のどちらがいいかと聞いていた。
「フランスニューカー」は45$、「普通車」は30$という。
ここは奮発して「フランスニューカー」にしようということになり、翌朝期待に胸弾ませて「フランスニューカー」を待った。
ところが、やって来たのは中古車屋も匙を投げるような年代のカムリ。
責任者は、手配がどうのこうのと逃げを売って、45$を値引きしようともしない。
頭に血が上った我々は、「何ば言よっとか!」的な熊本弁と、拙い英語で相手を罵倒するが、
強かな相手はのらりくらりと我々の悪態を躱し、
結局15$の値引きのはずが、9$までしか値引きさせられず、我々の完敗だった。
「フランスニューカー」のガタガタカムリは、フエに行く途中の山道では、エンジン負担を減らすためにエアコンを切り、
我々に窓を全開させ、エアコン車で汗をかきながらの道行きとなった。
ホイアンホテルという一流ホテルの従業員が、必ずしも一流とは限らないという教訓を得たハプニングであった。
さて、フエに2晩滞在し、観光も終えてハノイへの移動もまた寝台列車で行くことになった。
ハノイ行きの列車が出るまで、待ち時間が約5時間というとき、
フォン川沿いの公園で休憩している我々に子ども達が話しかけてきた。
いつの間にか同じグループの大人も加わって、
英語ありベトナム語の辞書を引きだしての会話ありで、すっかり仲良くなると、
フエで出会った子どもや青年たち。
一人の女性が我々を家に招待したいと言い出した。
今夜の列車でフエを発つことを告げると本当に残念な顔をした。
その心の温かさに触れた我々も残念でならなかった。
どうしようもない待ち時間はすっかり楽しい時間に変わって、肉体の疲労と反比例して気分は上々だった。
ホイアンホテルでの苦い経験もまた旅の思い出ではあるが、
やはり出会いやハプニングは楽しいものに限る。
フエの公園での出会いは、我々のそれからの旅のきっかけともなる出会いだった。
そんな旅行をしていると、ツアーの旅にはなかなか行けない。
それはそれなりに、楽しいこともあるのだが、
思いもかけない出会いやハプニングのある個人旅行の楽しさにはまると、
どうしても物足りない感じで終わってしまう。
さて、1997年のベトナム旅行以来、東南アジアを中心に旅を重ねてきたが、
その旅には必ずと言っていいほど、何らかの出会いがあり、ハプニングがあった。
それを少し整理しておこう。
まず、最初の旅となった1997年のベトナム3人旅。
最初のハプニングとも言えるのは、トラブルで始まった。
ホーチミンからダナンへ列車で移動し、ダナンから車でホイアンに入った。
この当時は、ベトナムへの旅行者はきわめて少なく、ホイアンも実にのんびりした町だった。
我々もまだバックパッカー的な発想はなく、ホイアンの宿はホイアンホテルという一流ホテルだった。
このホテルは今でも営業しているが、高級ホテルの中くらいの位置づけになるのだろうか。
ホイアンホテルの前で。2005年に行ったときもほとんど変わっていなかった。その時は勿論泊まらなかったが。
ここで、フエ行きの車を手配してもらうことになり、
責任者が「フランスニューカー」と「普通の車」のどちらがいいかと聞いていた。
「フランスニューカー」は45$、「普通車」は30$という。
ここは奮発して「フランスニューカー」にしようということになり、翌朝期待に胸弾ませて「フランスニューカー」を待った。
ところが、やって来たのは中古車屋も匙を投げるような年代のカムリ。
責任者は、手配がどうのこうのと逃げを売って、45$を値引きしようともしない。
頭に血が上った我々は、「何ば言よっとか!」的な熊本弁と、拙い英語で相手を罵倒するが、
強かな相手はのらりくらりと我々の悪態を躱し、
結局15$の値引きのはずが、9$までしか値引きさせられず、我々の完敗だった。
「フランスニューカー」のガタガタカムリは、フエに行く途中の山道では、エンジン負担を減らすためにエアコンを切り、
我々に窓を全開させ、エアコン車で汗をかきながらの道行きとなった。
ホイアンホテルという一流ホテルの従業員が、必ずしも一流とは限らないという教訓を得たハプニングであった。
さて、フエに2晩滞在し、観光も終えてハノイへの移動もまた寝台列車で行くことになった。
ハノイ行きの列車が出るまで、待ち時間が約5時間というとき、
フォン川沿いの公園で休憩している我々に子ども達が話しかけてきた。
いつの間にか同じグループの大人も加わって、
英語ありベトナム語の辞書を引きだしての会話ありで、すっかり仲良くなると、
フエで出会った子どもや青年たち。
一人の女性が我々を家に招待したいと言い出した。
今夜の列車でフエを発つことを告げると本当に残念な顔をした。
その心の温かさに触れた我々も残念でならなかった。
どうしようもない待ち時間はすっかり楽しい時間に変わって、肉体の疲労と反比例して気分は上々だった。
ホイアンホテルでの苦い経験もまた旅の思い出ではあるが、
やはり出会いやハプニングは楽しいものに限る。
フエの公園での出会いは、我々のそれからの旅のきっかけともなる出会いだった。
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