ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか -3-

2008年05月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
「よっ、マスター。また来ちゃった。」
扉を開けるなり、O(オー)さんがにこやかに入ってきた。
確かに、昨日今日と連チャンである。
時々思うのだが、こんなに頻繁に飲みに来て、家内は大丈夫なのだろうか。
いやいや、マキちゃんみたいに商売っ気がないことを考えてはいけない。

Oさんの指定席は、L字型の短い直線の端っこ、つまり壁際の席である。
Oさんはマキちゃんのお気に入りで、というか、
マキちゃんがOさんのお気に入りなのか。
どちらにしろ浮いた関係ではない。
Oさんにはもう大学に入ろうかという娘さんもいて、
そんなことが全部分かっていると、なかなか浮いた話にはならない。

Oさんは気さくな人柄で、見知らぬお客さんとも気楽に話をする。
今日は日本酒ファンの、Tさんが来ていて、
これも高森町は山村酒造の、「霊山」のファンであるマキちゃんがいて、
どうやら3人で日本酒の話で盛り上がっている。
カクテルバーで、日本酒の話もないだろう、と思うのだが。

そういえば、以前にも一度3人が一緒の時があって、
日本酒の話が盛り上がって、確か小国町のどぶろくを次回飲もうという話になり、
本当にOさんが、「風ノ杜」だったかのどぶろくを持参して、
3人で、「美味い、こりゃあ美味い。」などと、おだを上げていたことがある。
よりによって、このわたしのカクテルバーでのことなのだ。

そうはいいながら、Oさんはクラッシュドアイスに、マッカランの12年ファインオークのロック。
Oさんは長い馴染みの、筋のいいお客さんだが、
なぜかカクテルにはほとんど興味を示さない。
スコッチか、バーボン。ウィスキー党である。

今日はマキちゃんが、知り合いからもらってきたという冬瓜を、
少し濃いめのコンソメで炊いたものがある。
若干大きめの四角に切った、熱々の冬瓜の上部を少しくり抜いて、
ズワイガニのほぐし身(カニ缶のもの)をそこに入れ、
炊いたコンソメのスープに、白だしとみりんをほんの少し加えて、葛でトロトロにした出汁をかける。
本来日本酒のつまみだ。

ウィスキーに合えばいいのだがと思いながら、そっとOさんに椀を出すと、
瞬く間に椀の中を空にして、
「おかわりできる?」ときた。
仕入れたのは、カニ缶5個までだから、今日は一人一椀だけで品切れ、と告げると、
Oさんは、芯から残念そうな顔をした。

わたしはOさん用に、特別に氷と水を用意している。
別に贔屓しているわけではなく、ウィスキーを注文するほかのお客さんにも、同じものを提供している。
ウィスキーのロックや水割りは、その味が、もろに水の影響を受けるので、
最低でもミネラルをーターでないといけない。
水道水なんて、どんなに熊本の水の質がいいといっても、とんでもないことなのだ。

長年ウィスキー党を貫いてきたOさんは、
わたしの用意した氷と水でないと、ウィスキーが不味い、と言うようになった。
本当に分かって言っているのかどうかは定かでない。
最初に自分でこれを試したときは、確かに普通の水より美味い!と感じた。
ただ最近では、わたしも、多分こちらの方が美味い、という思い込みのようなものがあるのだから、
Oさんの味覚をとやかく言うことはできない。

ウィスキー好きの皆さんに準備している氷と水がどんなものですかって。
それをお試しになりたければ、一度、名も知らぬ駅に来ませんか。

※この話及び登場人物も基本的にはフィクションです。

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