ユースホステルは当時のお金で千円位で一泊二食(朝、晩)出来た。JRの方は北海道周遊券(20間有効)が二万円位だったかな?
ブーツだけは新調したが衣服は横浜と同じモノ。若いって素晴らしい。
ボストンバッグに着替え少々とカメラバッグに一眼レフ、広角レンズ、望遠レンズ、フィルム20本を入れて上野駅から夜行八甲田に乗って出掛けていた。
八甲田は早朝に終点の青森駅に着く。青森から函館までは青函連絡船で約四時間の船旅になる。函館➡札幌間は300kmは有るのだ。ノンストップで札幌駅に着く頃には夕方近く。
北海道周遊券は便利なのだが利用できるのは急行の自由席までなのだ。当時、新幹線は東京➡博多間のみだ。社会人になって飛行機に乗るのは時間を金で買う事だと先輩方が言っていたのを思い出す。
青函連絡船で海峡ラーメンを食べる。その後移動中は昼メシは駅弁?
いやいやそんな贅沢はしていない横浜で買ったフランスパンをちぎって食べていたと思う。堅いフランスパンを喰えるとは歯は未だ未だ丈夫だった。
上野駅出発のまだ翌日の夜だ。
贅沢はサッポロビール園でジンギスカン食べ放題とビール飲み放題になる!!!
サッポロビール園から出て午後10時過ぎの釧路行きの汽車(電車では無い、当時電化しているのは小樽ー札幌間位だったかな?)に乗る。
まるで今風に言えば「乗り鉄」だな!釧路駅に着くのは早朝だ。漁師町だけあって早朝から営業しているお店があった。
今回の目的地は道東の浜中だ。
釧路駅からまた汽車に乗り2時間半!
畑正憲氏がどうぶつ王国で有名にした場所だ。
浜中駅から浜中ユースホステルまではバスで5分、歩いて40分だ。浜中駅近くの信号機以降霧多布の町中までは信号機は無い。
浜中ユースホステルは眼下に霧多布を望む高台にある。霧多布は漁港なので海沿い。
こんな情景は道東では普通なのだと思った。鉄道は山側、町は漁港からの発展が多いのか離れているケースが殆どだ。
霧多布を望む高台の直ぐ下は霧多布湿原が広がる。浜中ユースホステルの隣には浜中観光ホテルが建っていた。
その日は雪になった。
元々、一面銀世界だったがやはり降る雪は横浜育ちには新鮮だ。まぁここまでは楽しい世界。
翌日は汽車はストップ、テレビからは学校の休校放送が流れている。吹雪!!!
お隣の浜中観光ホテルからタクシーがスタックしたので助けて欲しいとSOSの電話があり僕らはユースホステルのお客様だが吹雪の中タクシーを押しにホテルに向かった。
スタックしているタクシーを押して吹雪の中に送りました。大丈夫なのかな???
ユースホステルに帰ってくるとストーブがまるで暖かくない。顔をストーブの上に近づけても全然感じない。感覚がまるで機能していない。
昨日、ストーブにあたった時は10分と我慢できないほど熱かったのに!!!