新型コロナに勝つ!(るーくパパ&れいあ)

我が青春の町、金沢八景!

当時の金沢八景はその名に申し訳ないほどに汚れていた。


色々な原因は有るのだろうが公害と言うなの汚染。ヘドロが溜まった川や湾。見るも無惨。奇形はぜ報道などもこの頃。


学生写真も幾分報道よりなのはこの少し前にあった学生運動の名残りなのか?


工学部も機械科、電気科などコンピューターが普及する前の分かりやすい表記だった。僕の記憶では機械科なのだが写真部の思い出ばかりだ!


文化部と言えど一年生は雑用係をする。写真部と言えば薬品作りだ。現像液、停止液、定着液をフィルム用とプリント用の計6種類用意する。


失敗は許され無い。撮影が全てパーになる。当時も既に調合済の薬品の粉は写真屋さんで売っていたが何故だか我が部は単品の薬剤を天秤で計って調合していた。化学科も学部にあるのでそちらの名残?


当時はヘドロまみれだった八景には八景島が出来て海岸線も埋めたてられて当時の姿は無い。



でも野島が見える。


この出島の様な作りの社は現在だ。
その付け根には料亭があった様な?松田聖子の映画のロケ地になっていた実家設定の料亭。駅前の喫茶店青木は?


建物は駅前開発で変わったが残ってました。ベーカリーとカフェの併設も当時のまま。でも無くなってしまった店の方がはるかに多い。


朝露で植物に付いた水滴の様に儚いものなのかも知れません。










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