みつ・ようちゃんのダンス チャンネル
2011年 10月 | |||
日 | 曜日 | 会場・練習時間 | |
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10/2 | 日曜日 | 広島市東区中山 中山福祉センター 昼1時~4時 住 所 : 〒732-0024 広島市東区中山南1-5-39 是非遊びに来てくださ~いぃ |
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10/9 | |||
10/23 | |||
10/30 |
● 2011年 7月11日
朝から目が虚ろで、元気が無く、声をかけても反応が鈍い
トイレ後、歩けなくなり サンを抱えて家に帰り、即病院へ
熱が41℃まであり 先生から非常に危険な状態と告げられた。
点滴等の処置をしてもらう間も私はサンの傍を離れない。
食欲も落ちているので 半日入院をした。
点滴のおかげか、家では少し歩き、自分で水分を摂った
水分摂取後、嘔吐をし 食欲もなく、呼吸がしづらいようだ。
● 2011年 7月12日
朝を向かえ病院へ
熱は39.8℃になっていた、だが変な呼吸をしているので
肺のレントゲンを撮ると、肺炎を発症し、腹水も以前より増えてる為
入院をする事になった。
夕方、病院に電話をし様子を聞くと
腹水を1ℓ取った事・嘔吐がある事・黒い下痢をしている事を告げられた。
黒い下痢は腸からの出血によるものだという。
肺炎が落ち着くまで、栄養点滴で体力をつけなくては非常に危険だと
しかし入院中にショック状態に陥り、急変する可能性があると言われた。
● 2011年 7月14日
朝10時に病院へ電話をしたが 主治医が緊急オペ中で
2時頃に電話がかかってきた。
サンの今の状態と今後の話をしたいので、病院へ来てほしいと
午後の診察開始時間の4時に病院へ
サンと面会を許されICU室で点滴の管に繋がれ 虚ろな顔をしていた
「サン」
名前を呼ぶと私に気付いたのか 顔を上げ 私に近寄ろうとするが
力が入らないようだ
サンを撫でながら 主治医の話を聞く。
サンの時間はもう短く、病院で最期を迎えるより
家族の元で、残された時間をと
肺炎から貧血状態・胃腸管出血・食欲、水分摂取までもない
そして、もう歩く力は無いので 在宅介護は大変かもと・・・
家に帰ると病院では自分で水分を摂らなかったが
いつもの水置き場へ 歩いて行き 水を飲んだ
夜は床で一緒に眠った。
夜中、スポーツ飲料を薄めて スポイトで口に含ませたり
熱があるのか 暑いようで扇風機を近くに置いたり
その日はサンもあまり眠れていなかった。
● 2011年 7月15日
朝6時頃 スポーツ飲料とポタージュを5ml飲んだ。
朝7時前 いつもの用に部屋の扉を開けると サンは立ち上がり廊下へ
しばらくすると 大量の尿をした。
外でトイレをするように覚えてしまったので、我慢していたのかな
その後、部屋に戻り、寝床に横たわる。
AM9:45
サンが苦しみから解放されました。
● 2011年 7月16日
朝を向かえ、サンの身体を綺麗に拭いて、ブラッシングもした
こんなに毛づやもよく 眠っているようないつもの顔
10時 今日はとても天気が良く 太陽がサンを迎えにきたような天気だ
まさか、我が子の為に喪服を着るとは・・・
家族なのだから 最期まで 立会をした。
サンと最期の別れをした。
遺骨を拾う時に 骨に緑色は付着していたので 聞いてみると。
強いクスリを使用していたこにはよくみられますよ。
そっか・・・ 頑張ったね・・・ ゴメンネ・・・
9月1日がサンの49日。
まだ 私達は前を向けない。 当たり前だよね・・・。
私は 出来た人間じゃない
だからサンと同じ病気の子の為にデーターを残してもいいなんて思えない
もっと長く一緒に居たい
まだ 完全な治療法のない病気【悪性組織球肉腫】憎いよ
少しずつ 動物医療の進歩が進んできている
食事も おかげで自命も伸びてきている
その為に人間と同じように 今までに無かったような病気が現れる。
サンは幸せだったのかな・・・
私は胸を張って言えるよ
幸せだって・・・。
2011年7月15日朝9時45分
サンは7歳で 太陽になりました。
眠っているようでした。
私達にとって 何よりの救いは 最期を看取れた事。
もう サンを苦しめる病気から解放されるんだよ。
もう 強いクスリを飲まなくってもいいんだよ。
本当はもっと・・・ もっと長く一緒に暮らしたかったよ・・・。
でも、サンの病気は意地悪だったね・・・。
サンの事、凄く苦しめてたね・・・。
辛かったよね。
何かで見たよ、虹の橋の傍で 痛みも苦しみもない
幸せな場所があるって
そこで、私達を待ってるって・・・
でもねサン・・・。
私達の事、待ってなくていいよ。
何に生まれ変わるかは 判んないけど、
誰よりも 誰よりも、幸せになって。
誰よりも 幸せで 誰よりも 健康で 誰よりも 幸せな人生を送ってね。
サンが私達を忘れても
大丈夫 私達は サンの事忘れないよ
サンが生きてた証 サンは永遠に私達の子供だよ。
私達はサンの事 ちゃんと幸せにできたかな・・・?
幸せにできたかは自信が無いよ・・・
でも 誰よりも サンの事を愛してたよ
だって 私達の子供だもん
ゴメンネ。。。
幸せにしてあげなきゃいけないのは私達なのに・・・
私達がサンから 幸せな日々を貰ってた・・・。
ありがとう。。。
だからサン・・・
誰よりも 幸せになってね。
太陽のような我が子 サンへ
あなたを最も愛していたと胸を張って言える 親バカより・・・。