7月16日
デリーの空港で合流したのはGNH主催の「スピティ谷の旅」ツアー。
一昨年ラダックでお世話になった山本高樹氏がまたガイドを務めてくださる。
しかしこのツアーの出発はマナリから。
そのため本日インドに到着した他の3名とともに徹夜のドライブでマナリに行くべく車の手配がされている。
国際線の到着ゲート前に行ってみるとラダックでもご一緒した方が2名、初めてお会いする方が1名。
無事に合流して迎えを待つが、約束の時間になってもそれらしき者は現れず、渋滞のためとかで30分ほど遅れてやって来たのはいつものインドらしいこと。
そんなわけで空港を出発したのは22時15分。
狭い車内だけれどマナリまで寝て行こうか、と考えていると、どうも運転手の様子がおかしい。
やたらとあくびをして見るからに眠そうで、始めは話しかけていたりしたガイドの女の子も途中から寝てしまって、そうなると居眠り運転が心配でこちらは寝るどころではない。
道端に車を停めて噛みタバコを買ったり路上トイレを繰り返し、その後はこちらのトイレ休憩も兼ねてドライブインでチャイ休憩。
チャイはしゃれたレストランよりもこういう所の方がおいしいのでそれはいいのだが、
その後もチャイ休憩を繰り返して、明るくなってからはとうとう30分の睡眠時間を与えたのだが、それでも運転手はしゃきっとしない。
朝9時になって、どこの町だったか、こぎれいなレストランで朝ご飯。
店内にはここを訪れた映画スターや有名人の写真などもあって
ラチャ・パラタ&ジンジャーティー、60ルピーもおいしい。
車はすでにチャンディガールを過ぎて山道に入っていて、このあたり(がどこかはっきりしないが)はマンゴーの産地らしく、道端にマンゴー屋台が出ている。
カザに住んでいるガイドがスピティでは買えないから、と車を停めるので、我々もマンゴーをお買い上げ。この3つで30ルピー、小さいのが特に甘くておいしかった。
ちなみに屋台の横に立っている青いシャツの男が居眠り運転手、こんな時にはしっかり起きている。
道はさらにくねくねと険しくなって、結局一睡もしないままマナリに到着したのは14時10分。
600キロの道程で16時間もかかったが、運転手のためにたびたび休憩しなければ2時間は早く到着したはず。
インドでもプロの運転手なら夜中の運転とわかっている時はそれなりの準備をしているはず、とブリブリ怒りながら今夜の宿へ。
ツアー・リーダーの山本氏が待っていてくれたのはSnow Peak Retreat。
スイスあたりにでもありそうなしゃれた外観のホテルだが、我々一行5名に割り当てられたのは背後の別館で、なんとこの1棟が貸し切り。
建物の真ん中にはこんな共用スペースがあり
広い部屋にはテラスも付いて、ここでお茶をいただき、山本氏に運転手の不満をぶちまけたらすっかりご機嫌も直ってしまった。単純。
さて一休みしたら時刻はすでに16時過ぎ、このホテルは町の中心からはかなり離れた山の上にあるので町に出ることはやめ、すぐ近くにあるハディンバ・デヴィ寺院にお参りに。
入口の前には毛糸の編み物などの土産物屋台がたくさん並び
簡単な食堂の並ぶ向こうには遊園地まである。
寺院の門を入るとヤクや、中型犬ほどの大きさがあるアンゴラウサギを抱えたおばさんがいて、これらは観光客との写真用。
このお寺に来たのは14年ぶりだが、昔はこんなのはなかった、と思いながらこれも見違えるほど立派になった参道を行くと
小さな寺院の周りに中で参拝しようと言う人たちがぐるりと列を作っていてびっくり。
以前は杉林の中の静かな寺院で、インド人の姿など見かけなかったのだが。
この寺の中にはご神体である大きな岩があるのだそうで、大きな木製の屋根と白い土壁が日本的にさえ見えるこの建物は1553年創建。
柱や屋根の下にもたくさんの彫刻がある。
ハディンバとはマハーバーラタに登場する女神さまだそうだ。
寺の門を出て、土産物屋台の並ぶ向かい側にはハディンバの息子、ガトートカチャを祀る祠もある。
と言っても大きな木の根元にいろいろな捧げものが置かれているだけなのだが
なぜか女の子たちに人気のようで、次々にお参りに来ていた。
ここからホテルの方に戻り、さらにその先まで小路をたどってみると
また小さな祠のある、なかなかいい雰囲気の村。
標高2000mのここにはリンゴの木がいっぱいで、さすがに汗だくだったデリーとは気温がまったく違ってさわやか。
徹夜の長旅で疲れているのでこの夜はおとなしくホテルで夕食になったが
インド人向けのビュッフェは辛いばかりで、残念ながらあまりおいしくなかった。
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デリーの空港で合流したのはGNH主催の「スピティ谷の旅」ツアー。
一昨年ラダックでお世話になった山本高樹氏がまたガイドを務めてくださる。
しかしこのツアーの出発はマナリから。
そのため本日インドに到着した他の3名とともに徹夜のドライブでマナリに行くべく車の手配がされている。
国際線の到着ゲート前に行ってみるとラダックでもご一緒した方が2名、初めてお会いする方が1名。
無事に合流して迎えを待つが、約束の時間になってもそれらしき者は現れず、渋滞のためとかで30分ほど遅れてやって来たのはいつものインドらしいこと。
そんなわけで空港を出発したのは22時15分。
狭い車内だけれどマナリまで寝て行こうか、と考えていると、どうも運転手の様子がおかしい。
やたらとあくびをして見るからに眠そうで、始めは話しかけていたりしたガイドの女の子も途中から寝てしまって、そうなると居眠り運転が心配でこちらは寝るどころではない。
道端に車を停めて噛みタバコを買ったり路上トイレを繰り返し、その後はこちらのトイレ休憩も兼ねてドライブインでチャイ休憩。
チャイはしゃれたレストランよりもこういう所の方がおいしいのでそれはいいのだが、
その後もチャイ休憩を繰り返して、明るくなってからはとうとう30分の睡眠時間を与えたのだが、それでも運転手はしゃきっとしない。
朝9時になって、どこの町だったか、こぎれいなレストランで朝ご飯。
店内にはここを訪れた映画スターや有名人の写真などもあって
ラチャ・パラタ&ジンジャーティー、60ルピーもおいしい。
車はすでにチャンディガールを過ぎて山道に入っていて、このあたり(がどこかはっきりしないが)はマンゴーの産地らしく、道端にマンゴー屋台が出ている。
カザに住んでいるガイドがスピティでは買えないから、と車を停めるので、我々もマンゴーをお買い上げ。この3つで30ルピー、小さいのが特に甘くておいしかった。
ちなみに屋台の横に立っている青いシャツの男が居眠り運転手、こんな時にはしっかり起きている。
道はさらにくねくねと険しくなって、結局一睡もしないままマナリに到着したのは14時10分。
600キロの道程で16時間もかかったが、運転手のためにたびたび休憩しなければ2時間は早く到着したはず。
インドでもプロの運転手なら夜中の運転とわかっている時はそれなりの準備をしているはず、とブリブリ怒りながら今夜の宿へ。
ツアー・リーダーの山本氏が待っていてくれたのはSnow Peak Retreat。
スイスあたりにでもありそうなしゃれた外観のホテルだが、我々一行5名に割り当てられたのは背後の別館で、なんとこの1棟が貸し切り。
建物の真ん中にはこんな共用スペースがあり
広い部屋にはテラスも付いて、ここでお茶をいただき、山本氏に運転手の不満をぶちまけたらすっかりご機嫌も直ってしまった。単純。
さて一休みしたら時刻はすでに16時過ぎ、このホテルは町の中心からはかなり離れた山の上にあるので町に出ることはやめ、すぐ近くにあるハディンバ・デヴィ寺院にお参りに。
入口の前には毛糸の編み物などの土産物屋台がたくさん並び
簡単な食堂の並ぶ向こうには遊園地まである。
寺院の門を入るとヤクや、中型犬ほどの大きさがあるアンゴラウサギを抱えたおばさんがいて、これらは観光客との写真用。
このお寺に来たのは14年ぶりだが、昔はこんなのはなかった、と思いながらこれも見違えるほど立派になった参道を行くと
小さな寺院の周りに中で参拝しようと言う人たちがぐるりと列を作っていてびっくり。
以前は杉林の中の静かな寺院で、インド人の姿など見かけなかったのだが。
この寺の中にはご神体である大きな岩があるのだそうで、大きな木製の屋根と白い土壁が日本的にさえ見えるこの建物は1553年創建。
柱や屋根の下にもたくさんの彫刻がある。
ハディンバとはマハーバーラタに登場する女神さまだそうだ。
寺の門を出て、土産物屋台の並ぶ向かい側にはハディンバの息子、ガトートカチャを祀る祠もある。
と言っても大きな木の根元にいろいろな捧げものが置かれているだけなのだが
なぜか女の子たちに人気のようで、次々にお参りに来ていた。
ここからホテルの方に戻り、さらにその先まで小路をたどってみると
また小さな祠のある、なかなかいい雰囲気の村。
標高2000mのここにはリンゴの木がいっぱいで、さすがに汗だくだったデリーとは気温がまったく違ってさわやか。
徹夜の長旅で疲れているのでこの夜はおとなしくホテルで夕食になったが
インド人向けのビュッフェは辛いばかりで、残念ながらあまりおいしくなかった。
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木造のお寺、昔は日本のお寺のような懐かしさを感じていましたが、
今見ると、最近マイブームの北欧・東欧の木造教会に通じるものを感じます。
最近、東欧にすごく魅かれているんです。
ロシアにもそろそろ呼ばれているような。
マナリは15年前からだと結構変わりましたよ。
裏道に入れば昔のままですが。