Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

プーリアの旅 6 グロッタリエ

2018-11-08 18:58:44 | ヨーロッパ
10月15日 続き

チステルニーノからは南西に、イタリアン・ブーツのヒールを横断する形に進む。

目的地への近道と言うことで、車は畑の中の石垣に囲まれた細い道を行く。
 
対向車もないこの道が楽しくて、丘の上からも見えた通り、周りにはトゥルッリがいっぱい。
  
  
 
三角屋根のてっぺんの飾りがソース瓶の栓のようでかわいい。

遠くに海辺のタラントの町を望み、1時間でやって来たのはグロッタリエと言う町。

 町の高台に立派なお城があるが、ロンプラにも載っていないこの町は実は陶器の町と言うことで
 
Quartiere della ceramicheと言う一角には陶器の工房がずらり。
 
ニワトリの絵が伝統的な柄だそうだが、スタイルの違う各工房のタイルが一同に並べられているのも楽しい。

お店は70もあるとのことなので、ケイコさんおすすめの店を中心に見て回る。

まずは町を代表する作家だというニコラ・ファザーノ氏の工房へ。
 
ファザーノと言う名の工房は他にもいくつもあって、この町の陶芸一族らしい。

 
こちらはご夫婦で絵付けをされているお店。
 
素敵な洗面台(ほしい!)があるこちらの製品は明るくてカラフル。
たくさん並んでいる丸いものはプーリア独特のプーミという魔除けの卵だそうで
 
ベランダの手すりに飾られることが多いようだが、しゃれたランプになったものもある。

 
他のお店もいくつか覗かせてもらうと
 
不思議なお祭りの様子を描いたものがあったり、サボテンの飾り物があったり。

 
しゃれた壁画があるかと思うと
 
タイル張りの階段があったり。
これは明らかにシチリアはカルタジローネの有名な大階段の真似だけれど、本家の142段に対してわずか11段と、この謙虚さがかわいい(笑)。

2時間の滞在で5,6軒のお店を見て回って
 戦利品はこちら。
唐辛子柄のお皿はニコラ・ファザーノさんのもの、小さなプーミはマグネット。
どのお店でもとてもしっかりと梱包してくれたので、スーツケースに入れて何の問題もなく日本に持ち帰れた。
どれもかわいくて大満足、プーリアのいい思い出になる。

このグロッタリエと言う町、バーリから鉄道で来ることもできるのだが、本数は少なく、しかもお店は13時から16時過ぎまでシエスタと実に難易度が高い。
そこでチステルニーノと合わせて車で案内していただいたのだが、おかげで陶器の買い物も重さを気にすることなく、心置きなくできた。

ルティリアーノの宿には19時半に帰着。
夜はきゅうりと果物で済ませた。


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断舎利進行中

2018-11-07 12:46:26 | 雑談
このところ続けざまに買い物で失敗をしてしまった。

お店で見て買ったけれど使い勝手が悪かったり、ネットで買って合わなかったり。

そこで人もすなる「メルカリ」に手を出してみることに。

するとなるほどよく出来ていて、特に感心したのは商品の発送方法。
システムでQRコードを入手したらコンビニの端末で宅配を手配、すると伝票には送り主も受取人も名前や住所が記載されることなく、ちゃんと相手先に届くようになっている。
これなら安心。

売れるかな、と思った商品は特にカメラなど瞬殺。
購入した値段からそれほど値引きすることなく、出品したその日に売れてしまったのには驚いた。

今のところ5品を出して3品が売却済み、もう1品にも引き合いが来ているので思ったよりずっといい確率。
こうなると要らない物を次々に出したくなっちゃう。

そんなことをしている最中、今度はこんなものを見つけた。

片付けで子どもを救おう 古着ボックス

これは古着をまとめて送るとその売り上げで開発途上国にワクチンが送られると言うもの。
3000円弱の費用で古着が処理できて、それが少しでもボランティアに貢献できるなら一石二鳥と早速申し込んでみた。

するとメール便で大きな袋が届いて、これに古着を入れてみると入る、入る。
 大きさの比較のために隣にマンガ本を置いてみたが、思った以上の容量。

以前から古いスーツなど処分しなくてはと思いつつ、あまりの量にどうしたものかと考えているうちに何年も経ってしまった。 
要らない物を引っ張り出してみると結構ブランド物があって、昔はこんな贅沢をしていたか、こんなサイズも以前は着られたか、といろいろ感慨はあるが、いずれにしろ着られないのですべて袋の中へ。

期待したほどクローゼットがスカスカにならなかったのはどれだけ詰め込んでいたかの証明だが、一通り整理するとちょうど袋がいっぱいになった。

袋をとじたら宅急便屋さんに引き取りに来てもらったが、荷物をみたお兄さん、「これは車に持ち上げられるかな」と思案顔。
重さはおそらく50キロぐらいになっただろう、「ぎりぎりですね」と言われながら引き受けてもらえて一安心。

片づけ始めるとおもしろくなっちゃうのはいつもの癖、次は何を処分しようか。


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プーリアの旅 5 チステルニーノ

2018-11-05 19:45:41 | ヨーロッパ
10月15日 続き

お昼少し前、ケイコさん夫婦の車に拾われてまたお出かけ。

目指すはイトリア谷。
世界遺産で、プーリアでほぼ唯一有名なアルベロベッロもここにあるが、へそ曲がりなのでその町には行かない。

しかし谷に入ると
 
オリーブ畑の中、あちらこちらに特徴的な石の三角屋根が見えてくる。
トゥルッリと呼ばれるこの建物は元々畑の中の物置小屋だったようで、住居として密集して建てられているのはアルベロベッロだけのようだが、三角屋根は周辺でもたくさん見られるのだ。

そんな景色の中を走ること1時間15分で目的地、チステルニーノの町に到着。
旧市街のすぐ外にある公園の見晴らし台に立つと

イトリア谷の景色が一望。

チステルニーノとは「オストゥーニの向かい」と言う意味だそうだが、そのオストゥーニの町はここからは見えず、遠くに見える白い町はロコロトンド。
 
眼下の三角屋根の間をおもちゃのような列車が行くが、これは乗り継ぎが悪くて利用を断念した私鉄のSud-Est線。

この公園の背後には屋上に聖ニコラの立つ塔と聖母教会があって
 
ここからが旧市街。
 間の細い道を少し行けば
 
すぐに時計台のある中央広場に出てしまって、ここから四方にまた細い小路が出ている。

ところでこの町に来たかった理由の一つは壁にも書いてある通り、お肉。
 
Macelleriaとはお肉屋さんで、店先で選んだ肉を焼いてもらって、その場で食べられるので有名とのこと。
残念ながら食堂は夜のみ営業の肉屋が多いのだが
 ケイコ義父おすすめの一軒は昼も営業していたので、旧市街入口にあるこちらで早速お昼。

 
カラフルな唐辛子が下がる店先の冷蔵ケースの中にはお目当てのボンベッテが何種類もあるので、全種類一つづつ焼いてもらうようお願い。
 
屋内席もあるが、店の脇のテラス席で待つことしばし。
 これが豚肉巻のボンベッテ。
中に巻かれているのは生ハムやらルッコラやら、ちょっとピリ辛の味付けの物もあるが、ペコリーノなどチーズを巻いたものが多くて全部で9種類。
正直各種チーズの違いはあまりわからなかったが、どれもシンプルな味付けで肉を食べていると実感できる。
でも一番おいしかったのはボンベッテならぬレバー焼きだったかも。

ボンベッテは1kg15ユーロの量り売り。
これにポテトとサラダ、飲み物を入れて一人2800円ほどで超満腹。

食後はカロリーを少しでも消化すべく、旧市街の散策へ。

中央の広場から脇に入ると
  
どこも白い建物同士は頭上でつながっていたり
  
トンネルアーチで下をくぐり抜けたり。

玄関が2階にある家が多くて
  
これも白い階段が絵になる。

  
鉢植えなどきれいに飾った家も多く、シエスタ時だからか、カメラを持ってうろつく観光客が我々の他に2,3組いるだけで静かながら、ちゃんと住人の存在が感じられる町。

   
  街灯や古い水道栓にも萌える。

  
地図も持たずにうろつくうち、旧市街の反対側にある16世紀の総督邸にもすぐ出てしまうが、複雑に入り組んだ小路は地図を見ても無駄。適当に迷子になるのが正しいと思うが、小さな町は1時間もかからず一回りできてしまう。

このかわいい町を堪能したら、次へ向かおう。


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プーリアの旅 4 ルティリアーノ散策

2018-11-02 15:06:43 | ヨーロッパ
10月15日

この日も朝食はケイコさん宅で。
 
サラダやフルーツ、ヨーグルトとともに用意された本日の主役は大きなマテーラのパン。
これは前日に食べたアルタムーラのパンとライバル関係にあるやはりおいしくて有名なパンだそうで、昨晩お義父さんが店にあった最後の一つを自分で食べようと買った物を息子夫婦が我々のために強奪貰い受けてくれたもの。
皮はアルタムーラより硬く、中は黄色味はやや薄いがやはりもっちりとしておいしい。
硬い皮が好きならマテーラ、柔らかい中身が好きならアルタムーラに軍配が上がるだろうか。

しっかり朝食を摂ったら、ケイコさんに案内されてルティリアーノの町の探索へ。

ルティリアーノは人口2万人弱の小さな街ながら11世紀ごろからの歴史があるそうで
  
細ーい石畳の小路を抜けて行くと教会の尖塔が見えて、これが町一番の聖母&聖ニコラ教会。

 
正面扉の両脇にはライオンがいて、11世紀のものという扉の上の十二使徒とキリストはお地蔵さんみたい。
 脇扉の上の聖母子は15世紀のものだそうだが、こちらもかわいらしい。
 
ロマネスク様式の教会内部もすっきりと清楚で、床のタイルが美しい。

  
町のもう一つのランドマークはノルマン時代の塔。街中には他にも貴族様のお屋敷がいくつかあって
 宿の正面に見えるこれも15世紀の邸宅ながら今は空き家とか。

宿の斜め向かいにはこの町のグルメショップがあり
  
ご主人のパオロさんはケイコさんの添乗で日本にも来たことがあるとのことで、大きなボローニャ・ソーセージを抱えて大サービス。
 冷蔵ケースにはこんなものもあった。

 
外を通りかかっただけではちょっと気付かない、こちらは調理器具のお店。
 
にこやかな店主のアンナさんが持っている先の尖ったトングはアリタリア機内の料理番組で見て気になっていたもの、4ユーロでお買い上げ。
他にものり巻き器なんてものまで売っていて、海外のスシ・ブーム、恐るべし。

こちらはこの街の特産品、フィスキエットという土笛の工房。
 
笛なのでもちろん吹くことができるが、吹き口さえあればデザインはなんでもありなようで
 
カネゴン(?)ももちろん笛。熱心に説明してくれる芸術家、フィリッポさんの感性はよくわからん。

この日はちょうど町に市が立つ日、ということで散策の最後はその会場へ。
 
衣類や雑貨の屋台もあるが、我々の関心はもちろん生鮮食品。

  
カラフルな野菜がいろいろ並び
 例のサボテンの実も売られている。道端にいくらでも生えているのに。
柿もポピュラーなようだが、こちらの人はぐじゅぐじゅに柔らかいのが好みとか。

この時期、北イタリアで人気のポルチーニはこの辺りでは取れないらしくてキノコを扱う店は少なく
 
その代わりケッパーの塩漬けを大量に売っていたがどう使うのだろう。

  
見たこともない葉物野菜もいろいろあって興味深く
 
中でもこの小さなメロンのようなものはなんだろう、と見ていたら店のお姉さんが切って味見をさせてくれた。
食べてみるとかすかに甘みのあるきゅうりで、みずみずしくておいしい。

今回のご縁がなければ訪れることはなかったであろうルティリアーノ。
イタリアはこういう小さな町こそ面白い。


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プーリアの旅 3 マテーラ

2018-11-01 18:51:43 | ヨーロッパ
10月14日 続き

宿で休んだ16時、再びケイコさんが迎えに来てくれて、また車に分乗にしてマテーラへ向かう。

街を出ると周りはブドウとオリーブの畑ばかりで、夜飛行機から見た地上が真っ暗だった理由を納得。
 所々にマッセリアと呼ばれる大きな農場の建物が見えるが、昔はここに地主を始め小作人や使用人、その家族たちも集団で暮らしていたとか。

1時間ほど走った所で丘の上に白い家々が見えだして、
 それが目指すマテーラの町。
ここはプーリアから一歩出たバジリカータ州になる。

マテーラは世界遺産として有名になったが、洞窟住居で貧しく非衛生的な生活をしていた人々が古い住まいから退去させられたと聞いていたので、旧市街があるだけの小さな町だと思っていた。

ところが実際に来てみると新市街は大きくて、ブランドショップなども並ぶにぎやかな町。
しかも来年はEUの「文化の街」に選ばれたのでさらに観光誘致に邁進しているそうで、やっぱり来てみなければわからないものだ。

新市街で車を降り、まずはヴィットリオ・ベネト広場の展望台に立ってみると

目の前に広がるのは観光案内でおなじみの景色。石造りの家々が折り重なって建っているが、ここから見るとあまり洞窟住居という感じではない。

ここからケイコさんに案内されて階段を降りて行くと
 
ちょっとした土産物屋通りのような所を通って
 
サン・ピエトロ・カヴェオソ教会の前へ。ここからは町の下の渓谷が見え、崖の上の洞窟こそ初期の修道僧たちがお籠りしたところだ。

 
教会の隣には大きな岩がそびえていて、ここを見ると確かに岩がくりぬかれて住居になっている。
 
下の家の物か、突然立っている煙突もかわいい。

  
さらに広場から見えた丘の上の教会を目指して階段を上がって行くと、途中にはあちこちにホテルやB&Bの表示が。
元の住民が退去させられた後、最近になって修復が進んで洞窟ホテルになっているわけだが、車も入れないこんなところに大きなスーツケースでも持って泊まりにきた日には大変なことになる。

階段は思ったほどは大変ではなく、やがて丘の上のカテドラルの前へ。
ここから見えるのは丘の反対側のバリザーノ地区。

こちら側はカヴェオソ地区となる。

丘のてっぺんのカテドラルは13世紀に建てられたもの。
 
外見はあっさりとしたロマネスク様式だが、脇の入り口から中に入ってみると
  
内部は華やかすぎるバロック様式。
 
わずかに13世紀のマドンナのイコンと14,5世紀のフレスコ画が見られ
 
柱頭にも少しロマネスク彫刻が残っている。

ケイコさんの案内はここまで、集合時間までしばらくは自由時間ということなので、通り過ぎてきた岩窟教会の内部を見ようと来た道を戻る。

 これがサンタ・マリア・デ・イドリス教会の入り口。
もう一つ、サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会との共通入場券が5ユーロで、内部には11世紀から17世紀ごろまでのフレスコ画がある(写真撮影は禁止)。
 

トルコのカッパドキアの岩窟教会を思い出すが、内部は小さく、フレスコ画の状態もいいとは言い難い。

教会を出た所で時刻は19時近く。
 
丘の家々に明かりが灯り始めていい雰囲気だ。

最後にもう一つ、一般の洞窟住居を保存しているカサ・グロッタを見学。
18世紀初めに作られたと言うこの家に1956年まで人が住んでいたそうだが
 
この部屋に何人が生活していたのか、ベッドの脇には家畜も同居。
 
部屋の奥には堆肥置き場、排水設備はないのでトイレはオマル、と確かにこれでは衛生環境は悪かっただろう。

 
入口のすぐ脇には台所があって、こちらは狭いながらなかなか便利そう。
 そのそばにあるこの穴は水を汲む井戸だが、このサッシと呼ばれる洞窟住居地区の地下には雨水を貯めて分配するための用水路システムがあったのだそうだ。

グロッタの見学を終えて外に出ると空はもう真っ暗。
 

集合場所である出発点の広場に戻ってみると
 
観光客だろうか、大勢の人で大にぎわい。


最後にサッシの夜景を眺めてルティリアーノに戻った。


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