カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

3.11

2012年03月11日 | ☆東日本大震災  

 2011年3月11日、あいつがやってきました。
 ものすごい揺れ。カエサルは職場の廊下を歩いているところで、何かにつかまらないと立っていられないほどなのだけど、つかまろうとするものが全部ゆれているわけでどうしようもありません。揺れが大きいだけじゃなく、長かったですから、立っていられたのが不思議なくらいですね。
 そんな中、カエサルが何を考えていたかというと、まず、カメラ。カメラを取ってきて、写真を撮らなくちゃとばかり考えていました。揺れがおさまり、部屋に戻り、最初に撮ったのがこの写真です。




 動けないでいる負傷者がいないことを確認・・・をしながら、職場のあちこちの写真を撮っていました。
 もちろん、ひどいことになっています。でも、写真として、「ひどい状況」というのを撮ることができるかどうかと言うと、難しいですね。
 このとき、カエサルが考えていたのはそんなことです。すでに屋外退去の指示が出ていて、同僚から促されて、外に出ました。




 この日は午前授業で、学校に残っていたのは部活動をしていた子どもたちだけでした。楽器や竹刀を持ったまま、グランドに集まっていました。泣いている子もいて、笑っている子もいました。








 カエサルの職場では、こういうときに備えての防災対策をしています。発電機を始動させ、投光器やジェットヒーターをつけ、非常用食料などの準備を始めました。訓練のときと同じですね。
 このとき、カエサルは、出したらしまわなくちゃいけないよなぁ・・・などと思っていました。この日、飲み会が予定されていたので、この時点でも、行くつもりだったんですよ。一段落したら、そういうのに行くことができるだろうと思っていました。




 体育館は損傷が激しいということで、武道場が緊急避難場所になりました。子どもたちには修学旅行気分みたいなところもありましたね。ただ、ふさぎこんでいるような子がいるということもわかっていたようで、はしゃいだりするような子はいませんでした。
 そうした中、ご近所の方も一人二人となく集まり始めました。




 予報通りに、雪が降り始めました。でも、雪はたいした敵ではないだろうなと思っていました。心配だったのは、夜です。
 発電機があり、投光器があるとは言え、「電気のない夜」というのは、カエサル自身、数えるほどの経験しかありません。食料の蓄えや夜具の備えもあるとは言え、心の準備まではありませんからね。本当に一晩をすごすことができるのかという不安はありました。




 緊急避難所に、テレビが搬入されました。絶え間なく余震に襲われているとは言え、基本的にやることはないわけですから、格好の娯楽になるだろうなと思いました。本当に、そう思ったのですよ。
 ラジオでのニュースは小耳にはさんでいました。直接聞いたときもあったし、人づてに聞いたりもしました。津波が来て、大きな被害が出ているということは知っていました。でも、「200人の遺体が確認されました」「○○地区は全壊です」などと言われても、理解できないでいたのです。
 テレビでのニュース画像を見て、悪い冗談だと思いました。正直な感想です。こんなときにそんな画像を流すなよ、と思いました。本気にしてしまいそうでした。
 不謹慎な冗談を口にしようとして、その寸前で、ここに残っている子どもたちの半分くらいは、こうした地区に住んでいるんだということを思い出しました。




 就寝の準備です。
 食事の準備です。
 とにかく、この夜をすごさねばなりません。


 門番に立ちました。カエサルの職場は公的な避難所ではないのだけど、ご近所の方がいらっしゃれば、受け入れることになります。電話とかは使えない状態だったので、病院の方とか、消防署の方とかが直接いらっしゃったりもします。そうした方々のための案内役みたいな仕事です。
 絶え間なく訪問者があるというわけではありません。車の中で待機しているわけなのだけど、その間、カーラジオから流れてくるニュースで原発事故のことを知りました。




 何事もなかったかのように、夜が更けていきます。
 後になって考えてみると、津波被災地や原発被災地のことを考えてみると、本当に「何事もなかった」と言っていいと思います。

 この後、カエサルは帰宅します。生活環境としてはこのまま職場にいた方がいいわけですけど、ひょっとしたら家が崩壊しているかもしれなかったわけで、そういうことを考えながら職場にいるよりは、実際に帰ってみたほうがいいと思ったわけです。
 電気も水道もなく、懐中電灯さえなかったんですけど、でも、自宅に帰れば周囲の人に気兼ねしなくてもいいという思いはありました。怖くなったら怖いと言えばいいし、怒りたくなったら怒ればいいし、泣きたくなったら泣くこともできます。
 ある意味、正解だったと思います。泣いたり、喚いたりしたわけじゃないですけど、少なくとも、酒を飲むことはできました。真っ暗な家の中で、ライターの火を頼りに、酒とコップを確保しました。奇跡的に、ポータブルラジオも発見しました。
 絶え間ない余震の中、明日からどうなるんだろうなどということも考えましたけど、少しだけですね。ラジオの声に励まされながら、いつのまにか眠りに落ちました。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
卒業生さん、こんにちは。 (カエサル)
2012-03-11 16:16:06
 この大震災では、津波や原発事故ばかりではなく、各地でいろんな出来事が起こりました。そうした中のほんのひとつを残しておきたいと思いました。
 匿名でやっているブログなものですから、「職場」とか「子どもたち」の写真とかは控えめにしたかったんですけどね。こうした写真を抜きにしてしまうと、カエサルの3.11ではなくなってしまうので、忸怩たる思いを抱えながら掲載することにしました。
 喜んでいただけて、嬉しいです。

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上総さん、こんにちは。 (カエサル)
2012-03-11 16:08:26
 1年が経ってしまいました。何らかの総括めいたことをしたいと思ったのですが、うまくいきません。とりあえず、この日、カエサルの周りで起こったことを振り返ってみようと思いました。
 ニュースを聞いても理解できない、そういうことが起こったんですよね。

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Unknown (卒業生)
2012-03-11 11:08:41
ここはわたしの通った学校でした。
記事にしていただいて、知ることができて良かったです。
本当にありがとうございます。
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1年 (上総)
2012-03-11 08:54:45
>200人の遺体が確認されました」「○○地区は全壊です
>悪い冗談だと
いったい何が起きたのだろう。
全壊ってどういうこと?

地震があって津波が来て、数時間の出来事。
忘れてはいけないですよね。
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