カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

◎2011年3月13日(震災生活の始まり)

2017年02月12日 | ☆東日本大震災  

 熊本地震を経験された方の手記に触発され、東日本大震災のとき生活を振り返ってみるというシリーズの2回目です。
 今回は、2011年3月13日の仙台。東日本大震災3日目です。この日あたりから「震災生活」が始まったという気がしています。それまでは「生活」どころの話ではなかったと言っていいと思います。


 2011年3月13日、帰宅しました。12日の未明にも帰宅しているので初めての帰宅というわけではないんだけど、日中から家にいるのは初めてということになります。さっそく震災生活の準備を始めることにしました。
 電気も水道もガスもない中での生活を始めるわけで、家の中で一番日当たりのよいところに「震災生活センター」を開設することにしました。
 カセット式のコンロは、職場から借りて来たものです。ポリタンクはカエサルが持っていたものですけど、水は職場からもらってきました。


 家の中にある食料をかき集めました。インスタントラーメンがけっこうあったので、さしあたっては何とかなるだろうと思いました。
 これらは、ストックしていたというわけではありません。買ってきたものをどこかに置いたのだけど、どこに置いたかを忘れていたようなものがあちこちにあったということになります。助かりました。自分のズボラな性格に感謝したいと思いました。


 タバコや電池なども集めてみました。
 左下にある青いのは、ヘッドランプです。頭につけるタイプの懐中電灯ですけど、これは役に立ちました。たとえば、トイレに行くとき、片手に懐中電灯を持って、片手で用を足すというのはたいへんです。11日と12日の夜は、そういうことをしていました。
 こういうもの、震災になった後は絶対に買えないと言ってよいと思います。防災用品として買っておいてもいいし、片手で用を足す練習をしておいてもいいと思います。カエサルとしては、どちらかと言うと、後者をオススメします。
 防災用品をいくら揃えても、震災時に、それまでと同じような生活を送ることはできません。少しでも快適な生活を送ろうとするより、不快な生活に耐えようとする覚悟のようなものが必要なんだと思うのです。


 夜になってしまいました。

 公衆電話が使えるという話を聞いていたので、電話をかけに行ったのです。明るいうちに帰って来るつもりでいたのだけど、並んでいるうちに日が暮れてしまい、電話ボックスに入ったときにはメモしていた電話番号が読めませんでした。
 街灯もなければ、家々から漏れてくる灯りもありません。夜っていうのは、本当に暗いんですね。生まれて初めての経験でした。星空が綺麗でした。でも、星明かりではメモは読めません。そんなことになるとは思っていなかったので、懐中電灯を持っていかなかったし、いつもならポケットに入っているライターもありませんでした。順番を待っている方はまだまだいるし、電話をかけるのはあきらめて帰ろうかとも思いました。
 そこに、カエサルの前の前あたりにいた方だったと思うのですが、懐中電灯を持って戻って来てくれて、カエサルのメモを照らしてくれました。並んでいる間にちょっとした会話はしたと思いますが、見ず知らずの方です。その方も、明るいうちから列に並んでいて、電話ボックスに入ったときには暗くなっていて苦労されたのだと思います。自宅が近かったのだと思いますが、その後に並んでいたカエサルたちのために懐中電灯を持って戻って来てくれたのですね。
 震災中は、信じられないようなことばかりが起こります。

 写真は、何度も何度も使っているものです。自分で言うのも何ですけど、いい写真だと思っています。灯りは、アウトドア用のろうそくです。起き上がりこぼしみたいになっていて、なかなかのスグレモノです。


 ラーメンをつくってみました。震災後、自宅での初めての食事です。
 写真は、さきほど紹介したヘッドランプを使って撮影しました。

 2011年3月13日、東日本大震災の3日目。
 この日の時点でカエサルは、津波のことや原発のことも知っていました。自宅で生活することができるというだけでシアワセなことだと思っていました。不謹慎な言い方になるかもしれませんが、アウトドアみたいな生活を楽しむ気分さえありました。電気・水道・ガスがいつごろ復旧するのか、商店や飲食店の営業がいつごろ再開するのか、まったくわからなかったわけですけど、どちらかと言うと、楽観的な気分でいたような気がします。それがよかったという気もしています。

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