メモリーカード/リーダー・ライターを買いかえた(USB2-W33RW)。IOデータのmicroSDがアダプター無しで読めるタイプ。デザインもよろしい。amazonで検索、値段も安くなっていた。これまでのカードリーダーではmicroSDが直接読めない、アダプターでは認識されない場合もあった。現在扱うカードはCF、SD、microSD、メモリースティック、スマートメディア等。もちろんUSB2、33種類のメモリーカードに対応する、とある。
強風に身をかがめて道行く人の傘がひっくり返る。この光景は、台風中継の定番だ。この不自由さを一人一人自らが体験していた、にも関わらずわれわれは傘に何らの進化も与えなかった。風が吹けば傘がひっくり返る。当然の摂理として受け入れてきた。
だがここに有史以来連綿と続いたこの摂理に、敢然と立ち向かった若者が現れた。オランダのデルフト工科大学の学生だ。彼らは傘がひっくり返るのは人の心理に反している、だいいち不自由だ、と考えたらしい。後半は同感である。そしてついにわれわれの前に、どんな強風にもひっくり返らない驚くべき形状の傘を提示したのだ。その名を
という。今や世界中でヒットし典型的なサクセスストーリー展開となっているらしい。amazonで5250円と案外安い。コマーシャルをYouTubeでどうぞ。
センズ アンブレラ SENZ Umbrella Mini Navy 折傘 ネイビー
価格:(税込)
発売日:
初めて腕時計を買ってもらったのは、中学の時。SEIKOで、文字盤がブラック。かっこよかった。親父は「見にくいぞ!」と常識的でナンセンスなアドバイスくれたのを覚えている。息子のセンスの良さに驚くところだったのだ。自分で買った時計は3、4個くらいだろう。人生で使う時計の数は知れている。だから少しくらい高くても、と思ってる人もいるだろう。私は違う。収入は限られている、欲しいものは無限だ。時計ごときに趣味性を発揮するゆとりはない。いくら豪華な時計付きブレスレットでも自分で作ったもんでもないし、自慢にはならんでしょう。かざりじゃないのよ時計は、と納得させる。
ソーラーで電波時計が出たら買いたいと思っていた。5、6年前にカシオからでた。デザインも重さも大きさも価格も手ごろだった。我が家の時計はほとんど電波時計だ。それほど几帳面な性格ではないが、時計には求める。テレビがアナログだったときNHKの時報と電波時計を見比べながらカウントしたものだ。ピッ、ピッ、ピッ、ピーン。テレビは今もアナログだった。時報はなくなった。デジタルだと合わないらしい。デジタルも不自由なものだ。
せっかちだからか、単調な同じ動作をするとき、気がついたらなぜか数を数えてる。数えても意味ないのに、なぜか数える、あるいは読む。トイレのTOTOの文字、パンツのメーカーのロゴを何度読んだことか。家電のマニュアルをトイレに置いとけばゆっくり出来るかも。一度に2つのことが出来ると単純にうれしい。同居者によると、非常にいらだつ。同感である。
たぶんすいてたのだろう、数分早く着いた電車に乗り遅れたことがある。遅れることはあっても早まるというのはどうか。腹立たしい。空いてる市内電車の運転手と車掌が、速く走れたと自慢げに話し合っていた。それは、客を出来るだけ乗せないで走ったということだろう。ったく、何が自慢になるか分からない。時計の話だった。今持ってる動く腕時計は1個。文字盤はもちろん黒だ。5年の時が時計自体にも刻まれている。全く美しい。
マウスが不調。スクロールしなくなった。このままではきわめて不便、買い換えるのはしゃくなので掃除を試みることにした。以前は簡単に分解し掃除できたが、このタイプは少々やっかいだ。たぶん、中にびっしり手あかがこびりついているので分解するほかない。
裏側の輪っかは2重になっていて、外側の輪っかは接着剤で止めてあるのだ。少しずつマイナスドライバーで外していく。割らないようにしよう。内側の輪っかはピンが数本穴に入っているだけ。これも真上に慎重に外す。次に後ろ側に2本ピンが見えるからえぐると意外に簡単に外れる。その時左右のボタンが取れることがあるが、ピンを折らなければ心配ない。左右のボタンは外す必要はない。基盤からの配線を抜く。抜かないと作業が困難。配線の方向は覚えておく。忘れても自然な方向だから間違うことはないだろう。
ふた側にトラックボールの格納場所が3本のビスで止めてある。ビスを+ドライバーで外す。抜いたらコマが落ちるかもしれないが心配ない。ピンに手あかが付着しているのが分かると思う。掃除する。ついでにボールも磨いておく。ゴミなどは爪楊枝(つまようじ)で取る。すべてばらばらになっても部品点数数点だ。コマの方向は磁石のついた方が鉄板の接点の方、裏返して取り付けるので間違いやすい。写真は間違っている。格納するプラスチックの出っ張りが一番長い方が、受けの溝に入る。うまく入ればパチッと感触がある、ここが肝。後は収まるように組んでいく。
内枠を入れ、最後に外枠を白のビニールで止める。瞬間接着剤は効かない場合もあるし、次に掃除する時外しにくい。これでスクロール動作が蘇った。脇のボタンにがたが出たが、いいとしよう。紙を折って挟んでおいた。
元に戻せなくなっても、自己責任でお願いします。
携帯電話を買ったのは、もうだいぶ前になる。上原さくらがコマーシャルに出ていて、革のミニスカートがかわいかった(今でも完璧にかわいい)ので、確かデジタルツーカーだったと思うが、新会社を応援したい気持ちもあってこの会社にした。機種変更は3台目。2台目は携帯ごと海に落ちて変更。3台目は同僚がテレビが見られる機種(ワンセグではない)が面白そうだったので、現在の機種V603SHとなった。いつの間にか会社はボーダフォンからソフトバンクになった。料金設定もたぶん昔のまま。安くしたいが、よく分からないし、おっくうなのでそのままだ。機種変更もずいぶん高くなったし、やっかいなマニュアルとの格闘を思うと簡単には変えられない。各社の料金体系はどこも分かりにくく、どうせうまくは立ち回れない。一方の固定電話は、IP電話にしたのでずいぶん安くなったと思う。そういえば固定電話の債権はどうなったのか。NTTに寄付したのだろうか。携帯を持って初めて分かることは、いついかなる時も持っていなければならないという、強迫観念にかられることだ。便利になるということは、一方で非常に不便になることを意味する。会社の災害時確認に必要なのでメール受信は出来るが、ウエブにアクセスしたことはない。2行書くのに10分はかかる。携帯電話が出来るまではアマチュア無線やCB無線に憧れた。離れていても話が出来るということは、恋人同士でなくても快感には違いない。昔は電話代が高くついたものだ。やはり親方日の丸NTTだったからか。私もアマチュア無線の免許を取ったが、見知らぬ人と話は出来ないシャイな性格なので、アンテナが折れ、無線機は車についたまま使ってない。CBも買ったが、港で使っていたら漁師に怒鳴られた。漁業者もCB無線を使ってたのだ。物騒な世の中、今では小学生から持つ携帯電話。夜、帰宅途中の女性も耳に電話を当てている。話は変わるが、洋画を見ていていつも思うのだが、役者は何であんなにかっこよく携帯を操るのか。それが、なぜかっこいいと、私自身思うのか。携帯振付師がいるのだろうか。進化し続ける携帯。ついに音声認識も出来た。次は同時翻訳。目の前の外国人と電話で話せる日も近い。マイク兼スピーカスティックアダプターを突き出す観光客を随所で見かけるようになるかも。将来は生まれたとき体に埋め込まれるバイオ携帯でしょうな。SF映画に出てくるテレパシーとは、埋め込まれた携帯のことかも。バイオメモリーとは、世代を重ねてもほとんど劣化しない生物の遺伝子に書き込む。コンピュータもいまとは全く違う形になっているはず。