歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

勝つと必ず連敗が・・・

2012-07-18 03:28:07 | 日記
担当氏からメールきたな。。。
明日(あ・・・とっくに今日か)あたり、序章と1章だけ送って見よう。
実はかなーり変更点がありまくりで、どうなるものやら。。。
それをこの時間まで、まとめていたものですが。


もうひとつは、新作最終章執筆に入ったところで、
「近所の大学図書館が試験期間中で、在学生しか入れない。
そこにしか、資料ないのに!!」
という、手痛いミスで停滞中。
資料は他から取り寄せ中なので、その間は前段の見直しと・・・



久々のベイ
すごい!勝ったのに連敗ストップじゃない!!



智本光隆

豊臣蒼天録紀行23―余談 丸型ポストは現存している?―

2012-07-15 13:25:58 | 日記
さてと、「豊臣蒼天録紀行」もそろそろ終わるのですが・・・
取材中、何気に気になったことがあります。
それは、、、



関ヶ原駅前


「あれ、めずらしい。古いポストだ」
と、最初はそんな程度に思っただけですが。



旧醒井郵便局(醒井宿資料館)の前



石山駅から瀬田の唐橋に行く途中ですね。


ちなみに、写真撮ってないのですが、垂井でも1つ見かけてます。
で、今回の取材でも、、、



関西某有名神社


場所は新作の舞台が割れるので(w


・・・妙に多いなーと。
智本光隆は京都の大学出身ですが、京都市内で特に見た記憶ないのですが。
(調べたら駅前にひとつあるらしいが・・・昔からあったかな?)


うちの近所だと昭和が終わるころに、一気になくなって行きました。
近所の観光地公園に、1つだけ残っていましたが、
それも平成の4、5年には撤去されたはず。
現在だと観光地の景観に合わせておいてあるものか、
個人の敷地に、趣味?で飾ってあるものだけですかね?


美濃、近江の地域は丸型ポスト現役なのかと、
暇があったら、数えたいかも(w



智本光隆

中華そば・つけ麺 中村屋

2012-07-12 01:58:02 | 日記
取材中に出会っているラーメンシリーズ!!



中華そば・つけ麺 中村屋(四日市)


本店は大垣らしいですが、、、
実はつけ麺は、そんな好きなほうではないんですねー
昔、高崎に一軒好きな店あったけど、知らない間になくなっていたり(w
でも、こちらのは・・・



あ・・・箸を入れ忘れた。


780円(煮卵入り)です。
麺の触感、けっこう好みでした。
あと、スープは魚介系かなぁ。こんな感じの、好きですね。
中華そばも食べに行こうかと思っていたのですが、滞在期限のが終わりました(w
こんど、四日市を訪れる機会あったら是非に!!!



智本光隆

今宵は休もう(って、ブログは更新w)

2012-07-10 01:00:28 | 日記
精神と時の部屋がほしいなあ・・・
もしくは、エヴァンジェリンの別荘でも可。
取材旅行から帰還以来、よく言えば順調ですが、ひっきりなりに仕事してます。
この仕事、時々自分で休養ポイントみつけないと。
ボクシング世界チャンピオン・内藤大輔氏のトレーナー曰く、
「休みの日に練習しているのは、さぼっているのと一緒だ!」とか。
割と体力の限界、突然襲ってくるのでねぇ。
かなーり久々に、アルコール入っているとか、いないとか(w
この仕事、主戦場はやっぱり夜が多いので、呑む機会などなく。
数年前に、胃腸をひどく痛めたことも原因なんですけどね(w


この仕事はじめて、数年たちましたね。
やりたいことをやれている・・・幸せだなと思います、これは本心で


大学の時の話ですが、当時は歴史群像大賞の優秀賞をとったばかり、
「覚悟きめるか、それとも就職か?」を悩みました。
・・・まあ、リーマンショックの年なんですが。今から思えば、選択肢・・・というか、なんというか(w
その時か、○クルー※から派遣の人かな・・・名前は忘れてしまいましたが、
・・・上司は「ぽん太さん」というあだ名だそうで。
その人が「なんでも相談して下さい!」というので、一度「いや、いいです」と遠慮したんですけど、
「どんなことでも!」というから、
「プロになるか、それとも・・・」を相談したら、
ざっくりと「それは私に相談することじゃない!」と言われてしまいましたねぇ。
なら、聞くなって


ちょっと、独善的というか、自己語りな相談員さんでしたけど、
こっちの相談もレアケースに過ぎましたか。だから、1度は遠慮したんだけども。
「40過ぎて目指せばいい」と言われましたけど、
「いや、今執筆しないかと言われているんです。新書一冊分。辞退したら、話が終わってしまう」という会話、
最後の最後までかみ合っていなかったな。。。
横で聞いてた就職課の人は、理解してくれてたのに。
・・・その一冊はのちに、『関ヶ原群雄伝』になるわけですが・・・
基本、他人の相談事にはまるで向かない人でしたが、
今でも時折思い出すと、「活力」にはなっているかもですね。


・・・そして、今もって気になるのは、、、
ぽん太さんてどんな人やねんと!!!
ちょっと、見てみたい!!



智本光隆

豊臣蒼天録紀行22―覚醒の清水―

2012-07-07 12:39:25 | 豊臣蒼天録
さて、紀行もそろそろ終わりに近づいておりますが、
関ヶ原から作中の流れ通りに西へ・・・と。
今回は、、、




醒ヶ井宿でございます。
作中の時期は、醒井となりますが。
伊吹山の大白猪から死傷を受けた日本武尊命は、瀕死の状態でこの醒井へとたどり着き、
この地に伝わる「居覚の水」で覚醒し、一時的に命をつないだと神話にはあります。



別雷皇宮



加茂神社






そして、「居醒の水」です。
夏には梅花藻(バイカモ)という淡水植物が、水中に白い花を咲かせるそうですが、
ちょいと季節外れか(w


『豊臣蒼天録』の第2巻最終版、秀頼はこの地で意識を失います。
あの一連の流れは、プロット時点からあるにはありましたが、
イメージ的に固まったのは、醒井のこの場所に立ってですかね。
・・・いや、ちょっと飲んでみたときかな(w




そして、神話の英雄・日本武尊命。
さまざまな伝承で、結構おなじみですが、銅像ってはじめてみましたね。
この地で命をつなぐも結局、大和の地に帰ることなく命を散らせました。
弟橘媛(オトタチバナヒメ)とは、黄泉で再会できたのでしょうか?




地蔵川で見かけた光景。
再び、夏がやってきますね。