Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

葛根廟事件(かっこんびょうじけん)

2013年08月14日 | 身辺雑記
今年の7月にひょんなことから、この事件を知りました。
ウィキペディアですから、どこまでが本当なのかは分かりませんが、この葛根廟事件についてはいくつもの本に書かれているようです。

終戦の日を迎えるにあたり、戦争を正しく認識し、戦争の被害者は誰なのかを考え、日本と日本の家族のために亡くなられていった方々に想いを馳せ、感謝しご冥福を祈りたいと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E6%A0%B9%E5%BB%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

<1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦を布告し、さらに8月9日未明に満洲国、朝鮮半島、樺太などに侵攻を開始した。

8月10日と11日の両日、興安(別称、興安街ないし王爺廟。現在の内モンゴル自治区ヒンガン盟のウランホト)が爆撃を受け、興安の都市機能はほぼ破壊された。

11日午後4時、興安街在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結、興安総省参事官浅野良三の指揮の下、行動隊が組織された。
行動隊の当初の目的地は100キロメートル離れたジャライトキだったが、12日からの降雨や興安軍による馬車の略奪などにより計画を変更。
興安街の南東約40キロメートルに位置する葛根廟を経由し列車(白阿線)で白城子(現在の吉林省の白城)へ避難、同地で関東軍の保護を受けつつ列車でさらに南下するという計画を立て、徒歩で移動を開始した。

8月14日午前11時40分頃、行動隊が葛根廟丘陵付近まで到達したところで、ソ連軍中型戦車14両とトラック20台に搭乗した歩兵部隊に遭遇したため、浅野参事官は白旗を掲げたが、機関銃で射殺された。
ソ連軍は丘の上から行動隊に対し攻撃を開始し、戦車が機関銃で攻撃を加えながら、避難民を轢き殺していった。戦車の後方からは、ひき殺された人々がキャタピラに巻き込まれ宙に舞いだしたという。
ソ連軍戦車は攻撃をある程度続けると、丘に引き返し、何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返した。
戦車による襲撃が止むとトラックから降りたソ連兵が生存者を見つけ次第次々と射殺し、銃剣で止めを刺していった。
2時間余りの間に非武装の女性、子供を主体とした1,000人以上が殺害され、生存者は百数十名にすぎないとされている。
殺害を免れた者も戦車に轢かれたり、被弾して負傷したものや、家族が殺害されたものがほとんどであり、大勢が自決した。犠牲者のうちの200名近くの児童は、興安街在満国民学校の児童であった。

生存者に対する襲撃も執拗を極めた。生存者は、中国人暴民によって、身につけている下着にいたるまで身ぐるみ全てを剥がされるなどした。また、暴民から逃れようとして川で溺死した者もいた。
ある女性はソビエト兵に子供を殺され、続いて襲ってきた暴民に衣服を全てはぎ取られた上に鎌で乳房を切り落とされている。
暴民たちは、生き残った母子を見つけると母親を棒で殴りつけ、子供を奪っていった[2]。親を殺された子供達は、生き残った大人のもとに集まっていたが、暴民たちはその子供たちをも同様に奪っていった[2]。当時は日本人の男児は300円、女児は500円で売買されるのが一般的であった。

8月15日の終戦後も、避難民に対する襲撃は続いた。
事件後に10人余りの婦女子の一団に加わった12才の少女の証言によると、少女が加わった女性たちの一団は、暴民に襲われて衣服を奪い取られ暴行を受けるなどしながら、一週間余りをかけて葛根廟駅から10キロのところにある鎮西駅にたどりついた。
女性たちは駅から少し離れたところにある畑の空き家に身を寄せることにしたが、夜になるとソビエト兵に発見され、深夜まで暴行が行われた。
暴行が終わるとソビエト兵たちは屋外に積まれてあった枯れ草を家の中に投げ入れては火を付け、女性たちを焼き殺そうとした。
少女と妹は窓のそばにいたために難を逃れることができたが、他の女性たちは火の周りが早く脱出できなかったようであると証言している。
助かった少女はその後、残留孤児として生きてゆくことを余儀なくされた。

一方、中国人、モンゴル人、朝鮮人のなかには生存者に食事を提供する者もおり、中国人のなかには子供を手厚く育てる者もいた。
行動隊の生き残った子供は、さまざまな経緯から中国残留孤児となっていた。
また、多くの女性が中国残留婦人となることを余儀なくされた。

この事件は戦後、第二次世界大戦におけるソ連の戦争犯罪として取り上げられており、暴民ではなく一国の軍隊の攻撃によって無差別的に大量虐殺されたジェノサイドであり、その点では終戦時に満洲の日本人難民が遭遇した悲劇のなかでも最大のものである。>

夏休みは駆け足で

2013年08月12日 | 身辺雑記
3日間の休日を楽しんできました。

浜頓別町でカラーマンホール発見!
北海道浜頓別町(はまとんべつちょう)
北海道浜頓別町(はまとんべつちょう) posted by (C)海老名誠

北海道浜頓別町(はまとんべつちょう)
北海道浜頓別町(はまとんべつちょう) posted by (C)海老名誠
冬になると飛来するクッチャロ湖のコハクチョウのデザインです。

そのクッチャロ湖を覗いてみました。
クッチャロ湖
クッチャロ湖 posted by (C)海老名誠

今回は50kmに参加しました。
北オホーツクウルトラマラソン
北オホーツクウルトラマラソン posted by (C)海老名誠
トレーニングを積んで100kmに挑戦したいですね。


父の日

2013年06月22日 | 身辺雑記


娘が贈ってくれたプレゼントを今日いただきました。

ありがとう。
太陽のタマゴ、美味しかったです。

いつも家族へ向けてくれる心遣いが嬉しいです。

今の悩みは、残念なイケメン店長と部下とのパイプ役なんですね。
気苦労も多いんでしょうね。

ストレスのはけ口は見つかりましたか。
健康に注意して頑張り過ぎないように、
後から悔やまないように、
自分自身に負けないように、
貴方が望む貴方に近づくように、
貴方らしく頑張ってください。

いつでも、
どこでも、
家族が、
貴方を応援しています。



クロマメ

2013年06月07日 | 身辺雑記
DSCF8635
DSCF8635 posted by (C)海老名誠

パソコンでお仕事をしていたら、
「イツッ!」
腿の辺りがチクチクする。

見ると黒豆のタンゴ、じゃなかった。
黒猫のタンゴ、あれは皆川おさむか。
黒豆は丹波だ!

そう、この子は、クロネコヤマトの宅急便!
いやいや、黒猫のタンバって名前になったらしい。

クライマーが、雪山をアイゼンとピッケルで登るよりも軽々とタンバは私の肩まで登ってきた。

しかし、爪で引っかかれて結構痛い。

椅子に座っている私の肩から、ヒョイと飛び降りた。
ついこの前まで満足に歩けなかったのに、猫ってこんなに小さいけど、野生があるんでしょうか。

時々、お姉さんのまみちゃんにちょっかいを出してかじられたり、辺りのものを手当たり次第かじったり、元気に走り回ったりしてます。





新しい家族が来ました その2

2013年05月11日 | 身辺雑記
まっくろくろすけ
まっくろくろすけ posted by (C)海老名誠

ちっちゃ!

初めて見た時の完走です。
否、感想です。(ここで走ってどないすんねん!、明日しっかり走らんかい!!)

まみちゃん(いつの間にかそういう名前になったようです)のお友達が欲しいと、同居人(安心してください息子です)
何を安心するんだか分かりませんが、
まあ、兎に角、動物保護センターに行かなくっちゃ、って思っていたんです。

ところが、数日前に、この同居人が突然、
「知り合いのところに子猫が居るんだけど、・・・。」
等と、申告して来ましたな。

断る理由もないので、
「いいんじゃないの」
と云う私の返事に、戸惑い気味に喜んでいました。

私の反応が予想外だったらしい。
私がダメだと言うと思っていたようなのですね。

世の中は、自分が思ってもいないことが起こるもんですよ。

自分がこうしたいと思い、
その気持ちを相手に上手に伝えられたら、
結果はついてくるということなのかな。

ダメな理由をあれこれ考えるよりも、
先ずは行動してみて、その結果でその先の行動を考えることだって有りかもしれないですよ。

慎重さは必要だと思いますが、私は過度の慎重よりもおっちょこちょいぐらいの行動力を支持したいですな。
何しろ自分がおっちょこちょいだからね。(^^)

さて、同居人は「まっくろくろすけ」(そういう名前に決まった訳ではない)を迎えに行き、帰宅途中で掛かり付け動物ドクターに診てもらい、お話も聞いてきたようです。

ミルクもしっかり買ってきていました。
あと2週間ぐらいは、ミルクだそうです。

しばらくは、同居人の子育てが見られそうな今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

連休最後のお楽しみ

2013年05月06日 | 身辺雑記
御殿場から
御殿場から posted by (C)海老名誠
御殿場からの富士山の眺め!

今日は、マンホール神社へのマンホール1000枚奉納祈願用にと、ちと足を伸ばして9枚程かき集めてまいりました。
本日も取りこぼしがあったり、意外なレア物を拾ったりと楽しい時間でした。

マンホールが気になる方は、「足下の風景」「マンホール」「海老名誠」で金策してみてください。

間違えた!
お金が欲しいのは私の方です。
ついつい、・・・。

検索してみてくださいませませ。

柏餅の日

2013年05月05日 | 身辺雑記
神奈川県平塚市紅谷町(べにやちょう)
神奈川県平塚市紅谷町(べにやちょう) posted by (C)海老名誠

今日、五月五日は何の日かと云えば端午の節句ではない!

たんごとして、
否、だんことして、
今日は端午の節句ではない。
端午の節句は旧暦の5月の最初の午の日、今年は新暦の6月13日らしい。

ところで、昔から子供の日にマンホールの蓋を持ち上げた子供は病気にならず元気に育つとか、
マンホールの蓋を1000枚集めてマンホール神社へ奉納すると満願成就、願いが叶うとかいわれているらしいので、今日もせっせと集めに行ってきました。

平塚には大量のマンホールがあるらしいとの情報。
なんせ、町内ごとにマンホールに書かれた文字が違うし、同じ町内に数種類のマンホールがあるようです。

って、ことで、朝も早よから車と飛ばし、平塚で19枚ものブツをゲットできました。

余勢をかって返す刀で、在らぬ方向へ車を飛ばしたのですが、これがそれ、いつもの事前調査不足で残念な結末。
トホホ状態!!


昔から、端午の節句にはちまき・柏餅・菖蒲湯と相場は決まっているようですが。
5月5日が子供の日となってからは、柏餅の日となったな。

そんな訳で、今日は柏餅を家族で食べるべく平塚の和菓子屋さんへ。
開店前だったが売ってくれました。

その後、実家へ持って行ってみんなで食べようと思ったのに、・・・。

まあ、居る人だけで食べればいいか状態。
母は、粒餡とこし餡の二つを仏壇へあげました。

味噌はないのと聞かれて、母が味噌餡好きだったことを思い出しました。

息子は味噌餡を知らないらしく怪訝な様子。
次回は味噌餡も買って来なくっちゃな。

マンホールの神様と、柏餅の神様に立派な大人になれるようにお祈りをした今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

マラソン疲れは斑鳩廻りで赤福も賞味期限切れ

2013年04月29日 | 身辺雑記
奈良県斑鳩町奈良県斑鳩町 posted by (C)海老名誠

先週の土日月と大忙しの旅行をしてきました。

先ず、20日の午前中に川崎でコーチングのお勉強。
終えて、品川から新幹線で名古屋へ。
三重の津で旧知の方のご案内でお店回りと会食。
日曜日は志摩でハーフマラソンを走り、午後から奈良へ。
21日は近鉄のフリー切符を使い倒して、こちらがフラフラ倒れる寸前で帰宅となりました。


出発前から、旅行中まで、兄上様からは、
「土産は赤福!あかふく!!アカフク!!!」ときついお達し。

あの賞味期限切れ事件で一躍全国区に、・・・。
いや、お伊勢参りのお土産で有名なあの赤福とな!

さすれば、銃後の守りを委ねたる兄上様には、是が非でもお届けせねばなるまいと、・・・。

「すいませ~ん、これって、もっと日持ちするやつないんですか~?」

あの賞味期限切れ事件のお店で何と無神経な口利きだろうか。

店員さんも慣れたもの、
「ええ、これ以上はね~!」

赤福な~、どうしようかな~!

考えあぐねることしばし。

俺が昔赤福だった頃、
兄貴は赤ムクレで、
姉貴はおたふくだった!

分かるかな~、分かんね~だろ~な~!

♪シャバダバだ~!


昨日、やっと母上の下へご無沙汰のご挨拶に伺いました。

勿論、兄上様ご所望の賞味期限切れ赤福持参で、・・・・。
と一時は思いもしたのですが、・・・。

まあ、ここは饅頭で如何でござろうか。
兄上様にはお会いせずに、とっとと辞去致しました。

今度お会いする時が、ちと怖い!
饅頭こわい(^^)

兄上様は、今でも赤ムクレだろうか?等と考察する今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

ローカルバスで

2013年03月25日 | 身辺雑記
昨日のこと

駅前からバスに乗車したのは私一人。
途中で一人乗り込んできましたが暫くして下車されました。
終点までは貸切状態です。

最前列の座席に座っていたので、我知らず「バスが遅れているんだ」等と運転手さんに話しかけていました。

「今日はマラソン大会がありましてね」
「私もそれに参加して来たんですよ」
「そうなんですか~」

そんな遣り取りで、交通渋滞やマラソンの話で盛り上がり、やがてコーチのお仕事の話へとなりました。

「いや~、そうなんですか~」
{へ~、そうですか~」

男同士でも、話は盛り上がる盛り上がる。
初対面の方にでもこんなに気軽に話せる私も珍しい。

運転手さんの返事が心地よかったのかも知れません。

暫く話しているうちに、私の話に運転手さんが反論してきました。
「・・・・・こう云うこともあるじゃないですか」
私はすぐさま、
「その通りです。全く仰るとおりです。そこが問題なんですよね」

そこから、人はそれぞれ違いますよね。
御社でもいろいろな方々が居られるのではないですか。
等と、コーチモードに突入してしまいました(^^;)

それにしても、バスの運転手さんに走行中に話しかけてはいけないんですよね。
やっぱり、監視カメラの付いてないバスって、気兼ねせずに居られて素晴らしい。

終点で降りるときに、
「もう終点なので残念です。もっと話がしたかった」
と仰って下さいました。

その時に彼から、ご自身の主張を受け入れて貰えた嬉しさを感じました。

一期一会
袖すり合うも他生の縁
旅先で楽しい想い出を残すことが出来た運転手さんに感謝の今日此の頃皆様如何お過ごしでしょうか。

【コーチング基礎編】第3回「受容する」
http://kokucheese.com/event/index/73886/
コーチングを初めて学ぶ初心者の方からプロとして活躍いただいている方まで
幅広い方を対象に、豊富な実践を通じて、コーチングの魅力を堪能していただきます。

講座は以下のように、【知識習得】【事例観察】【実践練習】 の3つで構成されています。
途中に昼食休憩がありますので、午前だけ、午後だけの参加も可能です。

【知識習得】10:30~12:30
 基礎知識の確認ならびに理解を深めるための簡単な演習を行います。

【昼食休憩】12:30~13:30
交流を深める時間としてもご活用ください。

【事例観察】13:30~14:30
プロコーチによるデモ・セッションを観察し、コーチングのコツをつかみます。

【実践練習】14:30~16:30
相手を変えて、コーチングの実践トレーニングを行います。
参加者の希望に応じて役割(コーチ、クライアント、オブザーバ)を選択できます。
したがって、初心者の方でも安心ですし、集中的なスキル強化も可能です。

-----------------募集要項-----------------
■講演名■ 第3回「受容する」参加者募集
■講 師■ 岩崎良雄コーチ、阿部 淳コーチ
■日 時■ 2013年4月6日(土曜日) 
       10:30~16:30(受付開始10:15~ )
■場 所■ 海老名市文化会館 352室 
   (小田急小田原線海老名駅、相模鉄道海老名駅、
    JR相模線海老名駅徒歩5分)
http://www.ebican.jp/access/index.html
■定 員■ 20名
■会員(含入会手続中)参加費■  :500円
■非会員参加費■        :1000円

室内での飲食は自由です。ペットボトル等の飲み物持参をお勧めします。
午前午後連続参加の方は昼食持参をお勧めします。

ウルトラマンは食べられない

2013年03月22日 | 身辺雑記
チキンラーメンが発売されてから55年になるらしい。
それを記念して、トミカプレゼントキャンペーンみたいなのをWeb上で発見したんで、直ぐに応募してたんでした。

そんな応募したことも忘れた頃に、小さなダンボール箱が送られてきました。
その中身が、ご覧のチキンラーメン5袋とトミカです。

トミカにはあんまり興味はなんですが、このチキンラーメンはやたらと懐かしい。
今でもスーパーで見かけはするが、まあ、買いませんね。

買いはしないが、懐かしい。

私が小学生の頃に新発売とかなんとか、白黒のテレビでCMを見て食べたいと思ったような、思わなかったような(どっちかハッキリせい!)まあ、ボンヤリとした記憶です。

その頃の我が家はもの凄いビンボーだったらしい。
らしいって云うのも変だが、末っ子の私はその頃はボーッとしてて(誰だ!今でもなんて云うやつは)母が家計のやりくりに苦労しているらしいぐらいの認識しか無かった。
まあ、世間一般を知らなかったってことですな。

6畳・3畳の部屋に一家5人暮らし、トイレと台所、土間に流しと竈(へっつい)石油コンロで煮炊きをしてました。お風呂は銭湯か隣の家(親父が働いていた町工場の社長)の借り湯です。

仕事に忙しい母に頼まれて、買い物篭(竹で編んだ本物の篭)をぶら下げて近くの商店街とかへよくお使いにも行ったな。

両親が仕事で夕飯が遅くなる時には、近所のうどん屋(当時は手打ちうどんの茹でたのを売っていた)で買ってきたうどんと油揚げだけのきつねうどんをあんちゃん(兄のこと)が作ってくれたこともあったな。
この醤油味うどんが結構好きだった。

その頃に、チキンラーメンが発売されて大人気になたんですね。
はじめは、麺を丼に入れて、お湯をかけて3分間、ってやり方だったんです。
麺だけだったですね、具は自前で用意するんです。
尤も家では、具は入れませんでした。

が、冬なんかはこれだとお湯が直ぐに冷めちゃうんですな。
そうなると、麺が半分固いまま食べるんですが、これだとボソボソなんですよ。
ラーメンは今と違って、秋から冬によく食べたんですね。

それで、蓋としてお皿をかぶせていました。

しばらくすると、かあちゃん(母のことを当時はそう呼んでいた)が蓋付の丼を買ってきてくれた。
今だと、カツ丼とかの蓋付の丼があるじゃないですか、あれですよ。

あれは、いいですね。
お湯が冷めにくいから、麺がいい具合にほぐれたんですよ。

やがて、他社からもいろんなインスタントラーメンが売り出されて、お湯をかけるだけじゃなくって、
鍋で調理するようなのが出てきたりして、やがてカップヌードルが登場して、私もカップ麺を愛用するようになったんですね。

今日、ホントに久々にチキンラーメンを食べたんですが、味は昔の味の様な気がします。
でも、麺を油で揚げた昔のやつとはなんか違うような気がしたのは、私の気のせいでしょうか。等と昔を懐かしく思い出した今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

大忙し!

2013年03月02日 | 身辺雑記
ウイークデーは3時起きだが、ウイークエンドはのんびりと6時起きです。
しかし、やることは沢山あって、朝食のパンを齧りコーヒーを啜りながら、メールの整理や溜まっている画像の処理などをしているとあっと云う間に出かける時間になってしまう。

バタバタと出かけ、忘れ物に気づきバタバタと駆け戻り、またアタフタと車に乗り込む。

到着先でもバタバタと会場へ駆けつけ、車に忘れ物をしたと気づき、そそくさと会場から車へ戻り、やれやれと忘れ物を手にして、もう一度バタバタしながら再入場でなんとか間に合った。

これだけ、ドタバタ走り回ったが、日頃の走りの成果で息も上がらない。
立派なもんである。
忘れもんは褒められないが、運動の成果だけはあったと気づいた。

そして、今日の勉強会のテーマが「気づき」でした。

帰宅後、机の前でパソコンに向かい残りの作業をなんとか片付けました。

明日はひな祭り、私は横浜での10kmのレース出場を目論む今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。してきます。

『JA全農ウイークリー』に載らなかった勝谷誠彦の没原稿

2013年02月22日 | 身辺雑記
以前、勝谷誠彦の××な日々と云う、さるさる日記(ブログ以前の個人情報発信)を読んでいた時から、この男は頭に血が登りやすいが、わりとまともなことを言っていると思っていた。
その後、日記はメールに変わり、有料になったが、以来毎日送られてくるメール情報を購読している。

その彼が余程頭に来たんでしょうな、自分のメール情報を外部に流しても良いと言い出した。
それじゃ、ってんで、早速コピペしましたんで読んでみてくださいな。

****************** ここから勝谷誠彦の××な日々の一部コピペ ****************

 TPPにはむろん今の段階では私は反対である。農業が矢面に立って同情論を喚起しようとしているのには、これまでのあの業界の振舞いを見ていて失笑を禁じ得なかったが、しかし頼まれればこたえてあげようと思った。『JA全農ウイークリー』からTPPに関するオピニオンを書いてくれと頼まれて引き受けたのもそのためだ。「反対論で」などと最初から注文をつけられ、普通はこういうのは許容しないのだが、お国のためだと考え直した。とっとと書いて入れたのは、昨日この日記で報告した通りである。すると昨日、担当者からメールがあった。全文を引用する。
 <お世話になります。昨日は原稿を有り難うございました。
 原稿を全農様の担当部署に見せたのですが、「農業団体の企業広報誌」という性格
上、添付の線で囲んだ部分は好ましくないということでした。またこの「全農ウイークリー」は、農水省にも送っているため役人に刺激を与えるような表現も控えてほしいとのことでした。
 そのかわりに、農業以外の医療や保険分野などに与える影響を述べていただけたらと思います。勝谷様は、昨年秋に尼崎で医療フォーラムのパネリストとして出席されたと聞いております。そのあたりの話を交えていただくと有り難いです。
 テレビ・ラジオや雑誌と違い、企業や組織サイドに立って編集しなくてはいけなくなりますので、申し訳ないのですがそのあたりの事情もご配慮いただきたいと存じます。
 よろしくお願い申し上げます。>
 はははは。いま真っ青になった編集者やディレクターの方々がいたでしょう。カツヤにこんなことを言えばどうなるのかわかっているのかと。ええ、そうなるんですよ。もちろん即座に原稿を引き上げた。いやはや、なるほどどういう連中がこの国の農政の周囲で蠢動しているのか、まことによくわかった。
 原稿料、首をひねるほど高かったんですよ。同じ時に入れた『古典酒場』の十数倍だ。文章量はそうは違わないのに。なるほどそういうことだったんですね。それだけ払えば、言いなりに書くだろうということか。これが農協のやり口なんだね。ということは、これまで同じコーナーで書いてきた方々は、むこうの言い分に従って筆をまげてきたのかな。直近だと森永卓郎さんとか。おっと失礼(笑)。もちろん私は、タダ働きにした。
 先方は私の原稿に赤字を入れてこられた。バッサリといくつもの段落がまるごと削られていたりする。少しでも作者に敬意を持つ編集者なら、作業として怖くてできないことだ。なるほど、ずっとこういうことをしてきた方々なのだなと、わかった。編集者じゃなくて一種の総会屋ですね。では「幻のボツ原稿」の全文をここで公開することにしよう。

 <言葉を紡ぐことを商売にしているので、私は用語には比較的厳格である。だからTPPという言葉に関しては、最初から怪しいと思っていた。TPPに懐疑的な人々はまずここから入ればいいと思うのだが、この協定の正式名称を英語で言える人も実は少ない。
 正式には『Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement』である。これを霞が関はどう訳してきたか。言うまでもなく『環太平洋戦略的経済連携協定』だ。
 英語が少しでもわかる人なら「あれ?」と思いませんか。Teans を英和辞典で引くとこう出る。<「越えて」「横切って」「貫いて」「通って」「…の向こう側の」>。これのどこをどう読めば「環太平洋」になるのだろうか。もし「環太平洋」ならばPan-Pacific にならなくてはおかしいでしょう。現にさまざまな団体や条約の名称はそうなっている。
 言葉は真実を語る。つまり「太平洋のあっちとこっち」の条約なのである。もっとあからさまに言うならば「アメリカと日本の決まり事」なのだ。これは御存知のように、全体で扱う金額などのほとんどを日米が占めていることでもよくわかる。「アメリカに言われて従わざるを得ない命令」であることを誤魔化すために「環太平洋」などというデタラメな翻訳を役人はしたのだと私は思う。このことを霞が関の連中に指摘すると、みんな黙ってしまう。ホントだからだろう。
 日本人は「みんな仲良く」に弱い。大東亜戦争の戦勝国の仲良しクラブに過ぎない国連に過大な期待をするのでもわかるように。「シンガポールも、ブルネイも入っていますよ。ここで経済大国の日本が欠けるというのは国際協調を国是としているプライドにもとりませんか」と言われると、日本人はついグラリと来る。日本の役人は外交で他国をやりこめられないくせに、自国民を騙す技術は天下一品なのだ。その結果が積み上がっている国家の債務であることは言うまでもない。
 私はまずこの「すべてが嘘つきから始まっている」という認識を持つことが大切だと思う。あらゆる業界で横断的にだ。
 この国は長年の利権談合共産主義によって、業界団体がタコツボ的にオノレの利権を守ることに慣れてきた。だから今回の国際的な詐欺にしてもすぐにそれぞれの事情を持ちだして来る。たしかにいずれも根拠のあることだが、こうなると互いの足を引っ張り合うのもまた、私たちの宿痾だと自覚しよう。
 農業は特に国内の批判にさらされてきた。さまざまな問題はある。しかし、だからといって「外に放り出して鍛えてもらえ」というのは乱暴すぎる話だ。いま問題になっている体罰ではないが「根性を叩き直す」だけではなく、殺されてしまう可能性もあるのではないか。だが、他の業界の中には農業を目の敵にして、こういうことをしきりに主張する向きも目立つ。「自分はそう見られているんだ」という自覚と謙虚さはまさに「戦略的に」農業界は持った方がいい。
 それには被害者面をやめることだ。もっと雄々しく立ち回ることだ。これが日本の農業界にもっとも欠けていた。さきほど体罰について書いたが、いまもうひとつの大きな問題として「いじめ」がある。さまざまな業界にとって農業って「いじめたくなる存在」だという自覚はありますか?数をたのみ、先生という名の政治家に可愛がられ、過保護な扱いをされているのに、外でケンカするとすぐに負けて泣いて帰ってくる。こんな子どもがいたら、よくないことではあるが、いじめたくなる奴も出て来ると思いませんか?
 日本酒の本をたくさん書いている私は、長く酒蔵の方向から農業を見てきた。有名な産地の山田錦の蔵への割り当てが、いかに利権と談合にまみれているかも知ってきた。今や立場は逆転し、山田錦を蔵に「買ってもらう」時代になったのは慶賀の至りだ。
 日本酒業界はこの農業界からの逆な「いじめ」に耐えてきた。自らを鍛え、昨年度はついに日本酒の出荷量は底を打ち、反転攻勢に立っている。「クール」な日本酒は今やわが国が誇る輸出産業だ。誰も守ってくれてはいない中、自助努力で復活したのだ。これはひとつの学ぶべきモデルではないだろうか。
 農業だけではなく特に医療や保険など明らかにマイナスとなる部門は多い。極端な話、モノを書いて飯を食っている私の業界でも「日本語が参入の邪魔になる」として全部英語で発信しろと言われるかも知れないのだ。マンガみたいな話だが、あながち冗談だけではない。それほど「丸飲み」の約束というものは怖い。そんな「詐欺師」を相手にして、いま農業にもっとも必要なのは「ファイティングポーズ」なのだ。国民の同情を引いたり、脅したりすることではない。「こんなかわいそうな農業」ではなく「こんな立派な農業」を危機にさらすわけにはいかない、そう国民に思わせて欲しい。>
****************** ここまで勝谷誠彦の××な日々の一部コピペ ****************

勝谷誠彦に義理はないが、メール記事を購読したい方は以下へ問い合わせしては如何でしょうか。

(c)2013 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved.
問合せ:info@katsuyamasahiko.jp
情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp
発行:株式会社 世論社