一週間、台湾に行ってた夫が、昨夜帰ってきました。これは台南ラーメン、ゆでイカ、豚足のロースト、台湾ソーセージ、台湾ビール4本 二人分400元×3円=1200円位。ラーメンはおいしかったけれど、日本人には他のメニューは甘い目だったらしい。なぜか、仕事以外の写真はこれだけ。
お土産はやっぱりお茶とからすみ。
日本と同じく、不景気で給料減ったり、お休みが増えたりだそうですが、悲壮感はなく、人々は明るいそうです。
日経にカラヤンのことが載っていました。(ベルリン・フィルと日本人2 山崎浩太郎)
ナチスが起した戦争と虐殺の惨禍はドイツ人の心に深い心の傷を残し、自らの文化とその観念的な価値に対する、強い懐疑を生んでいた。・・・・カラヤンは文学や哲学など他の分野にも精通する知識人であろうとする姿勢をまったく見せなかった。ただひたすらに音楽家であり、・・・演奏の周囲の環境を魅力的に整備して聴衆に提供することに専心した。教養人ではなしに音楽文化の中心にいたこと、いわば壮大な虚無であったことが、かれの特徴である。・・・その演奏は、メロディーと響きの流麗な美しさ、肉厚な迫力において傑出する。機能美の極地・・・質実剛健な工芸品というより工業品といいたくなる、高く安定した品質。かれが率いるベルリン・フィルはベンツやポルシェの自動車のごとく、高性能で高品質のオーケストラとなった。(抜粋)
そして、敗戦で、旧来の価値観が崩壊し次代の国家像も考えぬまま、突っ走った日本のビジネスマン。自分の仕事に誇りを持つ、職業的実務家としてカラヤンにあこがれたのも当然だったと書いています。
アバド、ラトルともう2世代もたったのに、ベルリン・フィルと言えば、やっぱりカラヤン。
アバドのベルディは過分なイタリアチックなルバートも、ラトルのアメリカン路線も定着せず。やっぱりベートーヴェン、ワーグナー、ブラームス。
なるほど、カラヤンの仕事は時代とは無縁ではなく、やはり、ドイツの車が性能で世界中から高値で買われた様に、求められたわけ。しかし、帝王でもない、民主主義の申し子のようなラトルはベルリンフィルに何かの萌芽をもたらしたような気がします。世界の価値観が大きく動いている今、音楽も何処にむかっていくのでしょうか?