沖縄2日目。
ホテルの窓から見える夕暮れの海。
軽石が去った跡。
嘘のように海はきれいです。
ボフスラフ マルティヌー(1890-1959年)
オーストリア=ハンガリー帝国ボヘミア ポリチカ生まれ、スイス リースタル没
現在のチェコ共和国のポリチカ生まれ
靴屋の息子で、学校に行きたがらなかったボフスラフはヴァイオリンを与えられると才能を発揮し、上達し、12歳で弦楽四重奏曲を作曲しています。
篤志家の薦めで援助を得てプラハ音楽院に進学するも、学校をさぼり、1910年退学になっています。
1912年から小学校の教師として務めていましたが1917年友だちの世話でチェコフィルのヴァイオリン奏者になります。
1919年チェコ狂詩曲でスメタナ賞を受賞。
勉強して1923年パリ音楽院に奨学金を得て入学。
念願のルーセルに学びます。
1929年、チェコ音楽院の教授に誘われますが断り作曲に専念します。
1931年縫製工場で働く、シャルロッテと結婚。
1940年、ナチスのブラックリストに退廃音楽家とのると、友だちの援助でアメリカにわたります。
1945年再びチェコから教授の招聘をされます。同意しますが、立ち消えになり、バークシャーの音楽セミナーも教授になりますが、この時バルコニーから落ち、耳鳴り、頭痛、難聴に苦しむようになります。
1948年チェコで共産党政権が誕生し、故郷に帰ることを断念します。
プリンストン大学の教授に就任しますが1956年ヨーロッパに移り、ローマで教鞭を取ります。
居を構えず、ホテルを転々とし、1959年スイスのリースタルで癌のため死去します。
1979年になって、彼の遺灰は故郷のポリチカに帰されます。
その墓碑には「Jsem doma」われ、故郷にあり
と刻まれています。
フルート界では1945年作曲のフルートソナタで有名ですが、交響曲、ピアノ協奏曲を多数書いています。
ピアノの小品
海辺の夕暮れH128
第3曲海の嵐
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。
寄せては返す波の音〜〜♬
ピアノ🎹の旋律に思いを乗せて〜〜♬
生まれかわっら〜やっぱり〜ピアノ🎹を
弾けるようになりたいと(^-^)
今日もどうぞお元気でご活躍を。
筆一本の絵手紙も素敵です。
おみかんも美味しそう🤤
札幌も寒いですね。お身体おいといくださいね。