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冬は実のなるきが、お花のかわりで華やかです。
こちらは千両。
黄色い実の千両。
南天。
年によってあまりならない年もあり、今年は少なく、難転寺は最近では名乗ってはおられないようです。
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動植綵絵の南天雄鶏図
動植綵絵は、1757-1766年に描かれた鳥、鳳凰、草花、魚介類30福が描かれたもので、相国寺に両親、弟、自分を永代供養を願って寄進されました。
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雄鶏のとさかと、南天の実の色が同じで、雄鶏の秘めた生命力が外に吹き出しているように見えて尋常ではない力を感じます。
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天明の大火災の年。1788年に交響曲第39番、第40番、第41番(ジュピター)を作曲した年です。
これは海住山寺の境内の万両。
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こちらは千両。
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黄色い実の千両。
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南天。
海住山寺はもともとは南天が多く植わっていて南天寺=難転寺として有名でした。
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年によってあまりならない年もあり、今年は少なく、難転寺は最近では名乗ってはおられないようです。
伊藤若冲(1716-1800年)
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京都錦小路の青物問屋「桝屋」の息子。桝屋はものを売らず場所を提供して商人たちの調整をして売り場使用料をもらう流通業でした。
絵を描く以外は興味のなかった若冲は父の死によって23歳で桝屋を継ぎます。
40歳で引退し、3歳下の弟に家督を譲ります。
1765年49歳のときこの弟が亡くなります。
土地の1部を売ったお金を問屋町に寄進し、若冲の命日に青銅3貫文を相国寺に納める契約をしています。
錦小路の閉鎖の危機から救うために奔走します。
1788年天明の大火で自宅を焼失。
生活のため大きな絵画作品を多く描いています。
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動植綵絵の南天雄鶏図
動植綵絵は、1757-1766年に描かれた鳥、鳳凰、草花、魚介類30福が描かれたもので、相国寺に両親、弟、自分を永代供養を願って寄進されました。
後の1889年廃仏毀釈の際、明治天皇に他のものとともに献納し、その時の下賜金1万円により相国寺は敷地を維持することができました。
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雄鶏のとさかと、南天の実の色が同じで、雄鶏の秘めた生命力が外に吹き出しているように見えて尋常ではない力を感じます。
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背景にも鳥がいますが、こちらは薄いオレンジです。
ウォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教国ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没
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天明の大火災の年。1788年に交響曲第39番、第40番、第41番(ジュピター)を作曲した年です。
1ヶ月半の間にこの3つを書いていますが、どういう経緯で書かれたのかはわかっていません。
91年には亡くなってしまうので、生前演奏されたのかどうかもよくわかりません。
尋常ならざるエネルギーに突き動かされたのでは?と思います。
1789年にはフランス革命が起き、全てが変わる前夜のことです。
僕は39番の第一楽章を聴くと ベートーヴェンの交響曲第三番 「英雄」が心の中で かぶります。
たぶん ベートーヴェンも英雄を作曲するときに この曲を意識したのではないかと勝手に想像しています。
二つとも変ホ長調ですし、、、。
おそくなりましたが 新年 おめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
古楽器の混ざった演奏です。
やっぱり鋭いですね。
英雄と39番ですね。
言われてみればそんな感じがするところあります。
おもしろいですね。