昨日、プリンシパルの帰り道。
筑前橋からの風景。
ジェノヴァ共和国ジェノヴァ生まれ、フランス王国ニース没
1743年もグァルネリ・デル・ジェスが製作したヴァイオリンを1802年付与され演奏したところ、演奏に感動した商人リヴロンから与えられます。
筑前橋からの風景。
今日は、海から上流に向かって流れています。
福岡の筑前藩、黒田藩の藩邸への私設の橋だったそうです。
江戸時代にかけられましたが、台風で破壊され、今の橋は1932年にかけ替えられました。
足元には
ポリゴナムが満開でした。
ポリゴナムが満開でした。
ヴァイオリンがうますぎて「悪魔に魂を売り渡した。」と言われ、コンサートでは十字を切る人がいたり、足が地についているか?と足元ばかり見る人がいました。
挙げ句の果てに、死後、埋葬を拒否されたので、遺体を防腐処理して各地を36年も転々としました。
ニコロ パガニーニ(1782-1840年)
ジェノヴァ共和国ジェノヴァ生まれ、フランス王国ニース没
5歳からヴァイオリンを始め、12歳で学ぶものが無くなり、新しい技術や特殊奏法を開発しては自作の作品に取り入れ練習していました。
ラ カンノーネ
1743年もグァルネリ・デル・ジェスが製作したヴァイオリンを1802年付与され演奏したところ、演奏に感動した商人リヴロンから与えられます。
パガニーニはこのヴァイオリンに大砲ラ カンノーネと名付け愛用しました。
1820年頃から体調不良で毒素を出すためと称して下剤を飲み始め、1823年梅毒と診断され、水銀とアヘンを飲み始めます。1828 年結核と診断され塩化水銀と下剤を飲み続け、1834年水銀中毒でヴァイオリンが弾けなくなり引退します。
1940年ニースで死去。結核の症状はなく、ネフローゼ、腎不全など水銀中毒だったそうです。
ヴァイオリン協奏曲第1番の第三楽章は、「ラ カンパネラ」
シューベルトは家財を売り払ってまで聴きに行ったそうです。
派手な三楽章ではなく、アダージョで「天使の声を聴いた」と絶賛したそうです。
そして1852 年の改定では「ラ カンパネラ」は削除されています。
了解です。
千日紅も、零れ種で発芽しますが時期はやしです。