ひいらぎ通信

日常のささやかな幸せを拾い集ようと、ブログ、始めてみました。

「追跡!佐世保小六女児同級生殺害事件」「手紙」

2005年12月12日 | 本のハナシ

さ、寒い…。何でこんなに寒いんだあ…。
冬だから仕方ないけど…。
えー、今日の話題は、固いです。おまけに、まだ考えが十分に固まっていないので、迷走しています。でも、とりあえず、今の気持ちを書いてみます。

今日も、ニュースを見ると、悲惨な事件の報道が。
昨日、追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」という本を読んだ。事件の真相を知りたいと、文字通り追跡していくジャーナリストの本だ。
「真実を知りたい」と言う気持ちはあるけれど、こういった事件の報道を見るたびに、被害者の身内の方はどんな気持ちで報道を見ているんだろうと思うと、痛ましくて仕方がない。知る権利を振りかざし、加害者、被害者のプライベートを暴くことが、本当に真実に迫ることになるのか。被害者の家族であれば、真実を可能な限り知りたいと思う、それは当たり前のことだろう。だけど、第三者がそれを言う時、どこまでが許されることなのだろう。覗き見趣味ではないと言い切れる人が、どれだけいるだろうか。
こういった報道を見るたび思い出すのが、東野圭吾さんの「手紙」という小説だ。主人公の兄が殺人を犯してしまい、そのことが主人公の人生をも左右していく。この小説の後半である登場人物が、
「犯罪者の家族は、差別を受ける。当たり前のことだ。それこそが犯罪に対する罰なのだ」
という意味のことを語る。(細かいニュアンスは、昔読んだ話なので違っているかもしれないが、大意は間違っていないと思う。)この言葉を是とするか否とするか。私には結論めいたことはいえない。

いずれにしろ、どんな犯罪も許されるものではない。
「こんな思いをするのは、私たちで終わりにして欲しい」
と、多くの被害者の家族の方が口にされる。その願いが、今日もまた届かなかったことが、悲しい。
コメント (2)
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