能楽師の世阿弥は「守・破・離」という言葉を好んだという。まず師匠からの教えを守り、その次に自分なりの創意工夫を加え、守ってきた形を破る、最後には師から離れて自分の形を築く。
学ぶの語源がまねぶにあると言われるように、芸能や伝統はまず師の技術を見てまねることから始まる。日本の伝統芸能は、歌舞伎・能・茶道・香道・華道・三味線・落語など一子相伝や口伝という文字ではない形で伝えられることが多い。技芸は見て盗めとはよく聞く言葉でもある。
茶道の世界では、ある程度まで学ぶと「相伝稽古」というものが加わる。これには教本がない。まさに相伝=代々受け継いで伝える=師から弟子へ一緒にやりながら言葉で伝えられるお点前である。
裏千家で言えば、真之行台子、行之行台子、大円の真、大円の草。これに風炉と炉の2種類が加わり、バリエーションは8種類。わが社中では基本的に毎月1回のお稽古となっている。年間で風炉のお稽古6回、炉のお稽古6回しかできないわけだから、実際のところスムーズに動けるようになるにはそれなりの回数と時間が必要になる。
「相伝稽古」を始めた当初は道具の位置も異なり、新しい扱いや手捌きがたくさんあって、混乱の極み、なんだこりゃの連続だった。順序、動きを学ぶので精一杯。それでも続けていると徐々になんとなく形になっていく。まだまだ“守”にも到達しない段階だが、それでも継続は力なりを実感し、切々と精進する日々である。
新しい難しい手捌きを覚えると、今度は四ヶ伝や小習などの点前に戻った時に余計なことをする。これまで十分難しいと思っていた手捌きが、上の手捌きを学んだことで簡単に感じるのだ。そこで、こういう風に違うのだ、こういう風に点前は変化していくのだと新たな学びが待っている。この瞬間がまたたまらない。
本当はしてはいけないのだろうが、教本もなく、なかなか覚えきれないと危機感を感じた私は最近ノートに書き留めている。それでも細かい部分を都度埋めていく連続で、完璧なものはまだ仕上がらない。毎回お稽古して、人のお点前を見て、先生に確認して早くきちんとしたものにするしかない。そのノートは私の“守”のベース、一生大切なお守りになるに違いない。
以前、先生が言っていた。
「守破離はとても大切です。まずは基本を知り、”守る”。けれど、お茶会やお茶事に行ったら基本でないことがたくさんあるから、基本を”破り”実践する。そして、そういう場では基本という概念を”離れ”、亭主の気持ちや道具に込められた心を感じ、思いを汲み、楽しむ。あの点前・道具立て、間違っているわねと指摘したり、主客に恥をかかせたり、基本を主張したりすべきではない。基本は来るべき本番で臨機応変に動ける為、大きな心で楽しむ為に勉強するのですよ。」
まだまだ“守”に必死な私、尊敬する師や社中から学ぶことばかり。けれど、いろいろな茶会茶事に参加して実践を積み、いつかはその殻を“破”って自分なりの茶道を見つけ、やがては独り立ちし、願わくば“離”れる境地にまで到達したいものである。茶道の究極は禅にありと感じた話だった。
学ぶの語源がまねぶにあると言われるように、芸能や伝統はまず師の技術を見てまねることから始まる。日本の伝統芸能は、歌舞伎・能・茶道・香道・華道・三味線・落語など一子相伝や口伝という文字ではない形で伝えられることが多い。技芸は見て盗めとはよく聞く言葉でもある。
茶道の世界では、ある程度まで学ぶと「相伝稽古」というものが加わる。これには教本がない。まさに相伝=代々受け継いで伝える=師から弟子へ一緒にやりながら言葉で伝えられるお点前である。
裏千家で言えば、真之行台子、行之行台子、大円の真、大円の草。これに風炉と炉の2種類が加わり、バリエーションは8種類。わが社中では基本的に毎月1回のお稽古となっている。年間で風炉のお稽古6回、炉のお稽古6回しかできないわけだから、実際のところスムーズに動けるようになるにはそれなりの回数と時間が必要になる。
「相伝稽古」を始めた当初は道具の位置も異なり、新しい扱いや手捌きがたくさんあって、混乱の極み、なんだこりゃの連続だった。順序、動きを学ぶので精一杯。それでも続けていると徐々になんとなく形になっていく。まだまだ“守”にも到達しない段階だが、それでも継続は力なりを実感し、切々と精進する日々である。
新しい難しい手捌きを覚えると、今度は四ヶ伝や小習などの点前に戻った時に余計なことをする。これまで十分難しいと思っていた手捌きが、上の手捌きを学んだことで簡単に感じるのだ。そこで、こういう風に違うのだ、こういう風に点前は変化していくのだと新たな学びが待っている。この瞬間がまたたまらない。
本当はしてはいけないのだろうが、教本もなく、なかなか覚えきれないと危機感を感じた私は最近ノートに書き留めている。それでも細かい部分を都度埋めていく連続で、完璧なものはまだ仕上がらない。毎回お稽古して、人のお点前を見て、先生に確認して早くきちんとしたものにするしかない。そのノートは私の“守”のベース、一生大切なお守りになるに違いない。
以前、先生が言っていた。
「守破離はとても大切です。まずは基本を知り、”守る”。けれど、お茶会やお茶事に行ったら基本でないことがたくさんあるから、基本を”破り”実践する。そして、そういう場では基本という概念を”離れ”、亭主の気持ちや道具に込められた心を感じ、思いを汲み、楽しむ。あの点前・道具立て、間違っているわねと指摘したり、主客に恥をかかせたり、基本を主張したりすべきではない。基本は来るべき本番で臨機応変に動ける為、大きな心で楽しむ為に勉強するのですよ。」
まだまだ“守”に必死な私、尊敬する師や社中から学ぶことばかり。けれど、いろいろな茶会茶事に参加して実践を積み、いつかはその殻を“破”って自分なりの茶道を見つけ、やがては独り立ちし、願わくば“離”れる境地にまで到達したいものである。茶道の究極は禅にありと感じた話だった。
ご指摘ごもっともです、失礼なことは全くありませんよ。私も知識不足で間違ったこともたくさんあると思うのでいろいろ教えて頂くことは本当に有難いことです。ありがとうございます。
出典については他の方からもご指摘を受けたことあります。確かに正確を期する為にはそうすべきかもしれません。またどこかの本から丸写しする場合はそうすべきと思います。
ただ、このブログはあくまで自分の勉強、まとめのためと位置付けていますので、自分が感じたこと、経験したこと、耳にした(と思ったこと)ことを本で読んだ知識なども交えて自由に書きたいとも思っています。正しいこと、責任を考えたら私のような初心者がネットで茶道のような一種専門的な世界の文章を書くことはできないと思います。
もし、書いたことが間違っていたらご指摘いただければこんなにありがたいことはありません。私自身勉強中の身ですし、その時点でそう思っていても実はあとで違っていたということはたくさんあろうかと思います。
そんな気持ちで書いていますので、皆さんには間違った情報を流してしまうこともあるかもしれませんが、その辺はご容赦頂いて、読んで疑問に思った方に教えて頂き直していければ私も読んでいる皆さんも知識が広がるし、嬉しいなあと思います。
これからもこれは違うとか、こういう意見もあるなどあれば、是非ご教示頂きたく、よろしくお願い致します。
失礼な書き方をしてしまったと、その後自己嫌悪を
感じます。すみません。
その後、思いついて、笠間の世阿弥伝書用語索引を引き
ましたが、守破離はないですし、茶道大事典を引くと、
兵法用語とありました。
思うに、序破急と勘違いされているのではありませんか。
ブログを拝見すると、大変な勉強家なのですから、原典に
あたられればいいのに(例えば、古事記は訳付きで、文庫
まで出てます)と思いました。私など、出典が分からない
ことを書くのは不安ですし、聞かれても、誰が何という本の何ページで述べていると答えられるよう記録しています。
と、前回以上に、無礼を申し上げているような気もしますが、敢えて思ったままを書かせてもらいました。
失礼しました。
ブログの方、徐々に拝見させて頂きますね。
>世阿弥は「守・破・離」という言葉を好んだという
この出典は特にありません。
私が以前耳にしたことを書いたもので、いい加減といえばいい加減なくだりになっています。すみません。
淡交社から能と茶の湯という本が出ており、茶と能の関係、能に由来する茶道具について書かれており読みました。能についても更に勉強する必要あると感じています。
>世阿弥は「守・破・離」という言葉を好んだという
話しは初めて伺いました。
出典などありましたら教えてください。
おっしゃる通り、「守」が充分に足りずに「破」、「離」、に進むとそれは品を失って全く別なものになってしまいますね。
私も定本には書かれていない、独自のおもてなしが出来るようになりたいです。
素敵な時間をお過ごしになったのですね。
お茶事に出席すると、それが稽古茶事であっても本当に学ぶ事が多く、日頃のお稽古にも気持ちが入ります。
先生の美しい離れ業とはどんなものだったのでしょう。
見る人にそこまで思わせるものはこれまでの研鑚、精進と、日々の生活、お人柄と様々なものの融合の結果なのでしょうね。
四ヶ伝、相伝を始めるとこれをやっていた意味がわかりますよ~。
先生の言葉はいつも納得のできる、心に響くものばかりです。
色々な方にきいて頂きたいとご紹介していますので、そう言って頂けると嬉しいです。
本当に台子の点前はいつまでたっても正確には動けません。真台子も、南鐐の皆具もとはうらやましい。皆具、見事でしょうね。確かに道具にも守破離は通じますね。
本、徐々に読ませて頂いております。勉強になります。
やはりネット上だとさらっと読んで終わってしまいますが、本という形になるといいですね~。私もいつか作りたいわって気になります。
また感想はゆっくり書かせて頂きますので気長にお待ち頂ければと思います。スミマセン。
真っ白な気持ちで先ず基本に忠実に。長年かけて大成された茶道は、
その精神と点前所作を連綿と受け継いで、日本の重要な伝統文化になりました。
文化や芸能の頭に伝統がつくと、守破離の、破離の境地に至はとても難しく、
「守」が充分に足りていないと、品を失いとんでもない方向に行ってしまいます。
徹底して基本を忠実に学び研鑽を積んでいくと、「定本」には書かれていない、
その人独自のおもてなしが出来るようになるのでしょうね。
昨日は、堅苦しいと敬遠されがちな表千家の先生のお茶事に招かれました。
私にとっては三年振りの茶事で、客といえどもとても緊張していたのですが、
ご亭主の先生は、良い意味で堅い殻を破り、美しい離れ業を見せて下さいました。
遊び心溢れるお茶事も、茶道の品格を損うことなく充分に楽しめることを、
体感致しました。ここに至るまでのご亭主の厳しい修行に思いを馳せながら。
m-tamagoさんの先生の言葉、私も心に留めてお稽古に励みたいと思います。
守・破・離は便利な言葉で、作成者と話する時にも気持ちを伝えやすく、よく使って頼んでいます。