今年も花粉の季節が😣
もう諸々やる気なし😆
そんな中
ネットを徘徊していると…
え?
文末の○が怖い?
元記事を検索してみたら
へぇ〜😵
要するに
若者が怖がるので
文末は○ではなく
!にしてあげましょう
…ってか?😒
えっと…
これは赤ちゃんに対して
〜でちゅね とか
ワンワンいまちゅね とか
優しく(?)言う感じなのかな?
ということは
若者を一人前でなく
子ども扱いして差し上げるという
結構馬鹿にした扱いを
してあげましょうという記事?
大丈夫か、産経新聞?
子どもの頃は大人の書く
手紙というか文というか
文字も含めて
消しゴムで消せないペンで書くということも
大人って凄いなと
憧れたものだけど
手書きのものを
ほぼ見かけなくなった昨今
機械的な文字から繰り出される
句読点は怖いのか…
少しわからなくもない😁
ただ短文ばかりで
要件だけ伝えることに
慣れてしまって
行間から読み取る力が
落ちていることも否めないような
この人は日頃こういう言動の人だから
こういう意味なんだろうな…と読み取る力ね
私にしたら
職場の若者から来る
やたら『!』だらけの
LINEの方が怖いのだけど😆
敬語表現なのだとか読んだことがある
でも夜中に何でこんなに元気いっぱいの
文章なんだろうと困惑する私😆
で冒頭の俵万智さんの話に戻ると
○で終わることの優しさ…
考えたこともなかった😄
物事を批判的な目で見るのではなく
いいところに気が付く…
そんな視点が持てたら
お互い幸せに
生きていけるんだろうな…
記事中の承知しました。の○は
ちゃんと連絡できて偉いですね
の💮と思えばいい?
バカにしてる?😆
何が正解だか分からないけど
言葉は生き物
変化していくのは当たり前だけど
感情が入らない文だからこそ
読みやすさが第一優先で
句読点も使えば絵文字も使う
場合によってはスペースも活用
使えるものは何でも使う😆
次に誤解されない文であること…
承知しました。の
○がいけないのではなく
その後の静寂が怖いと
思ったのではないかと推察
例えば
気をつけて来てください
とか
ゆっくりで大丈夫ですよ
とか
何か相手を気遣う
一文が欲しいなとは
個人的には思うのだけど😒
既読無視ではなく、承知しました。の
返信が来ただけでも上等とも思える😁
文の終わりは○と
厳しく教育された世代にとっては
短文であっても
文末には○をつけないと
居心地が悪いのかも…
という思いやりの気持ちは
持てないものか😓
ずっと昔
メール全盛時代に
だんかならのメールの最後が
必ず以上。で
ある日私も虫の居所が悪く
前々から思ってたんだけど
プライベートなメールで
以上ってなに?
ビジネスメールじゃあるまいし
しかも○まで付けて😠
ブチッと切られたような
嫌な感じがする
と怒ったことがあり…
結果わかったことは
全然悪気はなく
ついクセで…という結末😅
なので、若者よ
たまには疑問をぶつけてみようよ
勝手に怖がってないでさ😏
若者に好かれようと
思っていないオバチャンより😜
○ ○ ○
私も流れを断ち切る感じがして
このブログではあまり
句読点を使わないように
意識してしばらく経つのだけど
句読点なしで読みやすさを
考えるのもなかなか大変💦
句読点は思いやりでもあるかと😁
世紀の大発明←死語?😆
○ ○ ○
それにしても
何でも〜ハラスメントにするのは
止めようよと思う今日このごろ
上下関係を利用したり
人権を踏みにじるような
理不尽な扱いはダメだけど
何でもハラスメントにされたら
言いたいことも言えなくなるし
お節介もできなくなるし
世界が縮こまってしまうような…
そもそもハラスメントって日本語で言えないの?と
wikipediaを見たら嫌がらせだそう
句読点で嫌がらせ…被害者意識も甚だしい😓
杞憂に終わればいいのだけど
最近のドラマはドラマの主題とは別に考えさせられる物が多いですよね。どの世代間でもある程度の歩み寄りは必要ですが、歩み寄る以前にコミュニケーションが取れないor取るのが下手な人が多いような気がします。それを大人と称する人たちが分かった風に歩み寄ると見せかけて諭すことをしない…そこで諭すとパワハラ?😆どうにもならないですね😅
頑固爺に意地悪ばあさんの存亡の危機です😁
テレビで見ました。
句読点って文章の区切りになったり、
読みやすくなったりと私はよく使います。
。を使わないとなんか区切りが出来てない感じでしっくりきません。
そもそも◯◯ハラって色んなものがあるけど、なんで若者に合わせなきゃいけないんだろう?と思います。
先輩(年長者)に合わすという考えはないんだろうか?
でも若者がみんな誰でもって感じではないと思うんです。
うちの職場の大学生バイトの2人は
そんなLINEを送ってこないし
(私に合わせてくれてるのかな?)
土曜日深夜にやってるドラマ
《おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!》
は主人公の原田泰造さんが昭和の考えを令和にアップデートしていく話なのですが、
そのドラマの中でも若者に合わせていくんですよ。
ドラマとして見るのはとても面白く観ています。
でもなんでも若者に合わせるべきなんだろうか?
疑問です。
長々と失礼しました😊
本当に何でもハラスメントだと言ってみたり、少しの譲り合いでどうにかなりそうなことをお互い譲らなかったり…どうなってしまったんでしょうね😣
不適切にも〜はこの前ちらりと見ました。そうそう、そんなだったよねと笑えましたが、ほんの少し前(?)までは無茶苦茶だったけど、それをなんとか突破してこの時代に生きている者としては、今時の若者は『理不尽』に揉まれることもなく精神的にひ弱なのかなと思います。誰が悪いのではなく、周りの大人が嫌だったことを予め取り除いて安全な道を整備してしまったのが余計なお世話だったのでしょうね😅砂利道で転んだら痛いし魚を食べたら骨が刺さる…いろいろな意味で当たり前のことを経験していないから驚きや怖さが倍増するのかな…なんちゃって😁
私もこの手の記事を読み
マルハラ上等ではないかと
俵万智さんのように優しく表現できれば
良かったんだと思いました。
確かにブログは行を変えるのであまり句読点に
固執していませんでしたが
文章に〇を付けて何が悪いのか全く理解が出来ない私です
ホントになんでもかんでもハラスメントは
自分で自分の首を絞めやしませんかと
不適切にもほどがあるを観て
あるあるを共感するのも
ジェネハラやエイジハラスメントと呼ばれるかも?