京から27宿目、見附宿です。
浜松から見附までは4里7町の長い道のりですが、その途中に「暴れ天竜」と
呼ばれた急流を船で渡らねばなりませんでした。
天竜川の川幅は東海道あたりで約10町(1090m)ほどで、川には中州があり、
大天竜、小天竜と呼ばれていました。この二つの瀬を舟で渡ることを「ニ瀬越え」
と呼んでいたそうです。
この絵も「二瀬越え」の風景を描いたものですが、手前の舟を撮ると向こう側が
見えなくなるので、BEFORE & AFTER で掲載しました。
<Before>
向こう側は行きかう多くの舟や舟待ちの人々がにぎやかですが、手前側は客待ち
の二人の船頭ののんびりした風情が描かれています。
中央の舟待ちの集団の制作に一番時間がかかったのですが、結局はよく見えなく
なっているのは、まだ、未熟な腕のためですね。
<Ater>
原画はこちらです。
浜松から見附までは4里7町の長い道のりですが、その途中に「暴れ天竜」と
呼ばれた急流を船で渡らねばなりませんでした。
天竜川の川幅は東海道あたりで約10町(1090m)ほどで、川には中州があり、
大天竜、小天竜と呼ばれていました。この二つの瀬を舟で渡ることを「ニ瀬越え」
と呼んでいたそうです。
この絵も「二瀬越え」の風景を描いたものですが、手前の舟を撮ると向こう側が
見えなくなるので、BEFORE & AFTER で掲載しました。
<Before>
向こう側は行きかう多くの舟や舟待ちの人々がにぎやかですが、手前側は客待ち
の二人の船頭ののんびりした風情が描かれています。
中央の舟待ちの集団の制作に一番時間がかかったのですが、結局はよく見えなく
なっているのは、まだ、未熟な腕のためですね。
<Ater>
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