前回、子供の頃のことを書いたものだが、その時の土葬には忘れたくても忘れられない後日談がある。
埋葬が終わると、そこには棺の長さに比例した土饅頭が出来る。
月日がたって、そのお墓が平らになりかけた頃の話しだ。
私た悪ガキどもは寺の敷地を縄張りにして遊んでいた。
缶けりなどをやった時には隠れる場所がたくさんありすぎて日が暮れるまで
同じ子が鬼をやらされてたこともあって、子供の間でルールができていた。
足の遅い低学年の子供には不利になるし、皆が同じように楽しく遊べなければ、
その遊びは成立しなかった。
それはグループの中のリーダー格の年長さんの役目であり、彼はいつも遊びの中に工夫を凝らしていた。
彼自身が”みそっかす”時代から培った経験が、現在のリーダーの素質を作り出していた。
今の子供たちはどうだろうか?
力のない弱い子をいじめこそすれ庇うことなく傍観している子が多い。
自分の優位性を誇示するだけで、子供社会の基本のルールをどうやってまなんでいるのだろう?
大人と子供の縦の関係と、子供同士の横の関係を、この時期に学ばなければ
人間関係がうまくいかないのではないのではないのかと心配になる。
「御主人様」などと言わせて弱い女性を思い通りにしようなどという輩は
こうした人間関係を作る過程に問題がなかったか?
ジャイアンの方がまだマシだな。
大人になった現在、人望のない人間は子供の頃はどうだったのか、人望のない人に出会うたびに思う。
私が知る限り、若い医師によく見かける。
全部がそうだとは言わないが、プライド(内容が伴わない自尊心)が邪魔して
先輩や熟練のナースの忠告が中傷にきこえるらしい。
学びの場は学校の授業だけではないのだ。
さあ・・・話がそれました。
缶けりをやってた時、そろそろ”みそっかす”から脱出しかけていた私は、
リーダーのお兄ちゃんと一緒に逃げていた。
彼は私より4歳年上で、子供の頃の4歳上というのはかなり大人に思えたものだ。
誰かが缶を蹴ったと同時に、繋がれていた子供たちが蜘蛛の子を散らすようにいっせいに逃げた。
私も兄ちゃんと逃げたのだが、信じられないことがこの後おこる。
私たちが例の土葬墓の上を走り抜けたときに、あっという間にそれが起きた。
リーダーの兄ちゃんの足が墓のある地面に陥没したのだった。
つまり、土葬した墓の棺の蓋が腐ってきて足を突っ込んでしまったわけだ。
一瞬、何が起きたのか、考える暇もなく私たちは叫びながら逃げた。
カンケリはそこでお開きになった。
リーダーの兄ちゃんはその後、1週間ほど学校を休んだらしい。
らしい・・・というのは、私は隣町の学校に行ってたから知らなかったのだった。
気になった・・・気にするな、というのが無理な話なのだ。
その後、この一件がどうしても忘れられず、30年も過ぎた頃、当時の遊び仲間と
”同窓会”をやることになった。
リーダーの彼は”良いおじさん”になっていた。
あのときの話がでた。
「あのときね~びっくりしたよね~ホント!」
「私なんか死ぬかとおもったよ」 と言ったら・・・
「死んでたのは中の人でさ、オレふんじまったよ」 (やっぱり覚えてた)
学校を休んだのは水疱瘡が原因だったという。
本人が意外とケロッとしていたので、30年の胸のつっかえが嘘のようにとれてしまった。
でも、あの時、彼を助けないで逃げたあの「罪悪感」は消えることがない。
埋葬が終わると、そこには棺の長さに比例した土饅頭が出来る。
月日がたって、そのお墓が平らになりかけた頃の話しだ。
私た悪ガキどもは寺の敷地を縄張りにして遊んでいた。
缶けりなどをやった時には隠れる場所がたくさんありすぎて日が暮れるまで
同じ子が鬼をやらされてたこともあって、子供の間でルールができていた。
足の遅い低学年の子供には不利になるし、皆が同じように楽しく遊べなければ、
その遊びは成立しなかった。
それはグループの中のリーダー格の年長さんの役目であり、彼はいつも遊びの中に工夫を凝らしていた。
彼自身が”みそっかす”時代から培った経験が、現在のリーダーの素質を作り出していた。
今の子供たちはどうだろうか?
力のない弱い子をいじめこそすれ庇うことなく傍観している子が多い。
自分の優位性を誇示するだけで、子供社会の基本のルールをどうやってまなんでいるのだろう?
大人と子供の縦の関係と、子供同士の横の関係を、この時期に学ばなければ
人間関係がうまくいかないのではないのではないのかと心配になる。
「御主人様」などと言わせて弱い女性を思い通りにしようなどという輩は
こうした人間関係を作る過程に問題がなかったか?
ジャイアンの方がまだマシだな。
大人になった現在、人望のない人間は子供の頃はどうだったのか、人望のない人に出会うたびに思う。
私が知る限り、若い医師によく見かける。
全部がそうだとは言わないが、プライド(内容が伴わない自尊心)が邪魔して
先輩や熟練のナースの忠告が中傷にきこえるらしい。
学びの場は学校の授業だけではないのだ。
さあ・・・話がそれました。
缶けりをやってた時、そろそろ”みそっかす”から脱出しかけていた私は、
リーダーのお兄ちゃんと一緒に逃げていた。
彼は私より4歳年上で、子供の頃の4歳上というのはかなり大人に思えたものだ。
誰かが缶を蹴ったと同時に、繋がれていた子供たちが蜘蛛の子を散らすようにいっせいに逃げた。
私も兄ちゃんと逃げたのだが、信じられないことがこの後おこる。
私たちが例の土葬墓の上を走り抜けたときに、あっという間にそれが起きた。
リーダーの兄ちゃんの足が墓のある地面に陥没したのだった。
つまり、土葬した墓の棺の蓋が腐ってきて足を突っ込んでしまったわけだ。
一瞬、何が起きたのか、考える暇もなく私たちは叫びながら逃げた。
カンケリはそこでお開きになった。
リーダーの兄ちゃんはその後、1週間ほど学校を休んだらしい。
らしい・・・というのは、私は隣町の学校に行ってたから知らなかったのだった。
気になった・・・気にするな、というのが無理な話なのだ。
その後、この一件がどうしても忘れられず、30年も過ぎた頃、当時の遊び仲間と
”同窓会”をやることになった。
リーダーの彼は”良いおじさん”になっていた。
あのときの話がでた。
「あのときね~びっくりしたよね~ホント!」
「私なんか死ぬかとおもったよ」 と言ったら・・・
「死んでたのは中の人でさ、オレふんじまったよ」 (やっぱり覚えてた)
学校を休んだのは水疱瘡が原因だったという。
本人が意外とケロッとしていたので、30年の胸のつっかえが嘘のようにとれてしまった。
でも、あの時、彼を助けないで逃げたあの「罪悪感」は消えることがない。
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