春に始まったF1シーズンもちょっとの間、夏休みということで、各チームも後半戦に向けて英気を養っているところです。F1ではありませんが、先日開催されたル・マン24時間レースではトヨタの小林可夢偉選手組の7号車が優勝、可夢偉選手にとってはル・マン初制覇となりました。これまでいいところまで行きながら勝てなかったので、喜びもひとしおでしょう。ただ残念な話もあり、やはり、と言いますか今年のF1日本GPが中止となりました。来年こそは、と思うのですが・・・。
さて、昨年のオフに「飲むF1」と題して拙ブログで思いつくまま記したのですが、今日はもう少しまじめに、飲み物とF1の関係を記していきたいと思います。
その昔、F1のコンストラクター(チーム)の多くは、マシンの塗装もシンプルなもので1960年代までそれぞれ定められたナショナルカラーを身をまとっていました。スポンサーというと自身のチームに供給しているオイルやタイヤなどのメーカーなどで、車体の片隅にステッカーを貼る程度のささやかなものでした。やがてチームロータスがタバコメーカーのスポンサーを受け、車体にスポンサーカラーをまとうようになります。1968年のことでした。
飲み物とF1の関係も意外に早く始まっています。1970年にはマルティーニ&ロッシ社(本稿ではマルティーニ社と略)がテクノというチームにスポンサーを開始しています。マルティーニ社は食前酒やスパークリングワインなどで知られるイタリアの酒造メーカーです。水色と赤のカラーリングが有名で、F1に限らず、ラリーなどにもスポンサーとして参画していましたので、ご覧になった方も多いでしょう。マルティーニ社というと有名なのが1970年代のブラバムチームとの関係で、三角断面モノコックのBT44の車体に映えておりました。また、1979年にはJPSタバコの代わりにロータスのスポンサーにもなっていました。
しばらくF1とは縁がなかったマルティーニ社ですが、近年にはウィリアムズチームのスポンサーになっていました。
(写真は2016年・鈴鹿にて筆者撮影)
お酒と自動車の運転となりますとどうしてもネガティブなイメージが強いこともあってか、酒造メーカーとF1チームのスポンサーシップはかつてのタバコ広告に比べると限定的に見えます。
マルティーニ社ほど有名ではありませんが、かつてはビールの銘柄が車体を彩っていたこともありました。
かつて存在したアロウズチームは、1978年から1980年にかけてドイツのビール、ヴァルシュタイナーのスポンサーを受けておりました。
マシンの写真は1979年のマシン、アロウズA2で、かなり特徴的なスタイルです。ヴァルシュタイナーは世界的にも知られたブランドで、ウィンタースポーツではノルディックスキーのワールドカップなどで冠スポンサーを務めていたこともあり、ポイントリーダーが身につける「ゴールデンゼッケン」にもヴァルシュタイナーのマークが入っていました。
近所のスーパーで普通に売られていました。
黄金色が美しく、すっきりと美味しいビールです。
なお、ブラジル初のF1チャンピオンとなったE.フィッティパルディが自身の名を冠したF1チームを持っておりましたが、1980年シーズンには「スコール」というブラジルのビールのブランドがスポンサーとなっていました。こちらの「スコール」という言葉はスウェーデン語で乾杯の合図に使われる言葉ということで、かつて伊豆急がサントリーと組んで走らせていた食堂車「スコールカー」と語源は同じようです。
ビールのメーカーのスポンサーというのはここまで大きなものではありませんでしたが、前述のウィリアムズチームが、1990年代にラバット(カナダ)、フォスターズ(豪州)のスポンサーを受けておりました。ビールメーカーというとインドの「キングフィッシャー」も2000年代のフォース・インディア(現レーシングポイント)のスポンサーでした。
ウィリアムズチームはアルコール飲料関連のスポンサーが多く、1990年代半ばにはドイツの葡萄酒のブランド「BLACK TOWER」もマシンのノーズに描かれていました。黒い独特の形の瓶で知られる銘柄です。
お酒のスポンサーではイタリアの弱小(失礼)チームだったコローニで、おそらくポルトガル人ドライバーがいたからでしょうが、こちらも独特な形の瓶でおなじみのマテウス社がスポンサーになっていました。
2000年代に入ってからはジョニーウォーカーがマクラーレンのスポンサーになったことも話題になりました。タバコ広告の禁止でスポンサーマネーを確保するためにもう一つの嗜好品であるお酒に目が行ったのもうなづけます。しかし、近年では中近東のイスラム教国でF1が開催されることが増え、写真を掲載したウィリアムズチームのマシンもマルティーニ社のロゴを消し、塗装も少し手直して出走していました。表彰台ではシャンパンの代わりにローズウォーターが撒かれるくらいですから、スポンサーとしての参画は難しさもあるように思います。
お酒の話でだいぶ使ってしまいました。この話の続き、もう少し書きたいことがありますので、またお目にかけたいと思います。
さて、昨年のオフに「飲むF1」と題して拙ブログで思いつくまま記したのですが、今日はもう少しまじめに、飲み物とF1の関係を記していきたいと思います。
その昔、F1のコンストラクター(チーム)の多くは、マシンの塗装もシンプルなもので1960年代までそれぞれ定められたナショナルカラーを身をまとっていました。スポンサーというと自身のチームに供給しているオイルやタイヤなどのメーカーなどで、車体の片隅にステッカーを貼る程度のささやかなものでした。やがてチームロータスがタバコメーカーのスポンサーを受け、車体にスポンサーカラーをまとうようになります。1968年のことでした。
飲み物とF1の関係も意外に早く始まっています。1970年にはマルティーニ&ロッシ社(本稿ではマルティーニ社と略)がテクノというチームにスポンサーを開始しています。マルティーニ社は食前酒やスパークリングワインなどで知られるイタリアの酒造メーカーです。水色と赤のカラーリングが有名で、F1に限らず、ラリーなどにもスポンサーとして参画していましたので、ご覧になった方も多いでしょう。マルティーニ社というと有名なのが1970年代のブラバムチームとの関係で、三角断面モノコックのBT44の車体に映えておりました。また、1979年にはJPSタバコの代わりにロータスのスポンサーにもなっていました。
しばらくF1とは縁がなかったマルティーニ社ですが、近年にはウィリアムズチームのスポンサーになっていました。
(写真は2016年・鈴鹿にて筆者撮影)
お酒と自動車の運転となりますとどうしてもネガティブなイメージが強いこともあってか、酒造メーカーとF1チームのスポンサーシップはかつてのタバコ広告に比べると限定的に見えます。
マルティーニ社ほど有名ではありませんが、かつてはビールの銘柄が車体を彩っていたこともありました。
かつて存在したアロウズチームは、1978年から1980年にかけてドイツのビール、ヴァルシュタイナーのスポンサーを受けておりました。
マシンの写真は1979年のマシン、アロウズA2で、かなり特徴的なスタイルです。ヴァルシュタイナーは世界的にも知られたブランドで、ウィンタースポーツではノルディックスキーのワールドカップなどで冠スポンサーを務めていたこともあり、ポイントリーダーが身につける「ゴールデンゼッケン」にもヴァルシュタイナーのマークが入っていました。
近所のスーパーで普通に売られていました。
黄金色が美しく、すっきりと美味しいビールです。
なお、ブラジル初のF1チャンピオンとなったE.フィッティパルディが自身の名を冠したF1チームを持っておりましたが、1980年シーズンには「スコール」というブラジルのビールのブランドがスポンサーとなっていました。こちらの「スコール」という言葉はスウェーデン語で乾杯の合図に使われる言葉ということで、かつて伊豆急がサントリーと組んで走らせていた食堂車「スコールカー」と語源は同じようです。
ビールのメーカーのスポンサーというのはここまで大きなものではありませんでしたが、前述のウィリアムズチームが、1990年代にラバット(カナダ)、フォスターズ(豪州)のスポンサーを受けておりました。ビールメーカーというとインドの「キングフィッシャー」も2000年代のフォース・インディア(現レーシングポイント)のスポンサーでした。
ウィリアムズチームはアルコール飲料関連のスポンサーが多く、1990年代半ばにはドイツの葡萄酒のブランド「BLACK TOWER」もマシンのノーズに描かれていました。黒い独特の形の瓶で知られる銘柄です。
お酒のスポンサーではイタリアの弱小(失礼)チームだったコローニで、おそらくポルトガル人ドライバーがいたからでしょうが、こちらも独特な形の瓶でおなじみのマテウス社がスポンサーになっていました。
2000年代に入ってからはジョニーウォーカーがマクラーレンのスポンサーになったことも話題になりました。タバコ広告の禁止でスポンサーマネーを確保するためにもう一つの嗜好品であるお酒に目が行ったのもうなづけます。しかし、近年では中近東のイスラム教国でF1が開催されることが増え、写真を掲載したウィリアムズチームのマシンもマルティーニ社のロゴを消し、塗装も少し手直して出走していました。表彰台ではシャンパンの代わりにローズウォーターが撒かれるくらいですから、スポンサーとしての参画は難しさもあるように思います。
お酒の話でだいぶ使ってしまいました。この話の続き、もう少し書きたいことがありますので、またお目にかけたいと思います。