寝そべるという意味の「躺平」がいま中国で最新の流行語になっている。
だらっと寝そべって、何も求めない。マンションも車も買わず、
結婚もせず、消費もしない。
最低限の生存レベルを維持し、他人の金儲けの道具や搾取される
奴隷になることを拒絶する。それが「寝そべり」族。
中国の若者に広がる「寝そべり族」
向上心がなく消費もしない寝そべっているだけの人生
最近この寝そべり族の話題がいろんな海外メディアが取り上げている
その中で、ドイツのメディアの記事にこんな記事がある。
にわかに注目される中国の「寝そべり族」とは?
日本にも似た現象-独メディア
「1990年代のバブル崩壊を経て経済の停滞が始まり、社会に出られない
自己閉鎖的な“引きこもり”が生まれた」としたほか、
人口減少、超高齢化、向上心や欲望を失った若者の増加などから
「低欲望社会」が形成されたと紹介した。
「経済体はある段階に達すると、一定の社会保障機能を持ち、
経済機会の選択は多元的になる。残業による限界利益は低下し、
自然と向上心のない若者が生まれる」
こんな記事ですが、
社会全体が何か、無気力があふれる、世の中のことなどを
自分の位置を「寝そべり」的にして見てみたいという気持ちは
誰にでもあるような気もします。
日本の引きこもりはイメージとして当事者が隠したいとか何か
マイナスのイメージを持つが、中国のこの寝そべりはオープンで
自分の生き方だというポジティブな感じもする。
これってよく言われるような猫と犬のような感じですね。
日本はこんな世の中一般から違っ集団に対して社会が少し差別的な目線を
持つケースが多い、村社会的な雰囲気がありますが、人の生き方
もっと自由でいいし、ひきこもりが病的だと感じる必要はなく、
これも生き方というような強さも必要な気がしますね。
中国の政治の良しあしは別にして、民衆は何か生きることに大陸的というか
強さというものを感じてしまいました。
こんな強さって日本にもあっていい。のでは、なんでもかんでも
世間体ということを気にする必要はなく、あることを受け入れて
自分の人生だという強さを持つのも大事かもしれません。
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