今日は昨日とは激変。
寒くて雨。
とっても暇な日になってしまいました。
うっっっ、辛い。
明日はまた暖かくなるようですね。
こうも温度の変化が続くと、体調を崩してしまいますよね。
皆さんお気をつけください。
さてさて、そろそろくどくなってきたUK回想記。
今回で最終回!
嫌々日本に帰国(させられて?!というのも学費は誰がだしてやったんだ!っとまで言われていたので・・・)し、日本での初社会人生活が始まりました。
ちなみに先にお伝えしておきますが、結論的には日本に帰ってきて良かったのだと思っております。
全く違う文化に突然放り込まれて、
さらには全く違う職種で、しかも社長の息子ということで精神的にもとても辛い日々が続きました。
新入社員歓迎会では、
突然「社長の息子だからって、すんなり社長になれると思ってんじゃねぇよ」
などと言われたり、
冷たい視線を浴びせられているのが痛いほど分かりました。
っていうか、好きで自分も入ったわけではないし、
隙があればいつでも辞めてやるよ!!畜生!っと心の中でぐっとこらえていました。
最初に配属させていただいたのが、国内営業部。
国内のお得意様の工場を定期的に訪問し、
問題などがないか巡回、また新しい製品を紹介したりするお仕事でした。
主に担当になったお客様は切削油を使って下さっているお客様でした。
機械で金属を加工するときに油、もしくは油を水に混ぜたもので潤滑・冷却をして加工をするのですね。
その切削油です。
自分の所属した営業部隊は人数がとても少なく、
慣れてきた頃には一人で営業をすることが多かったですね。
作業着を着て、時には工作機械の切削油タンクの液交換を一人で10台(2台でも大変なことです)おこなったり、
夜工場が止まった後、暗い中一人で工場内に入り、
切削油タンクの交換を行ったりしたものでした。
他社の分野を自社ので切り替えてもらうときには最初にテスト期間があります。
その時には営業自らサービスで油の交換作業をするのですね。
一生懸命頑張れば頑張るほど辛い思いをするわけです。
シティーの金融街をスーツで闊歩していた自分から、
作業着を着て油まみれになって一人で夜、油交換をしている自分。
あまりの差に本当に悲しくなりました。
必死で油交換をしまくりました。
朝6時には家を出て、2時間半くらいかけて週二回静岡県の富士市までドライブ。
一日営業をして研究所のある神奈川県に着くのは8時過ぎ。
それから事務処理をして研究所を出るのが10時過ぎという日が暫く続きました。
工場が稼動しない週末は油交換というのが通常でしたね。
車に泊り込んで加工試験の立会いなどもやったものです。
真夏の車中泊は蚊にさされて大変でした。
別に宿泊代が出ないわけではなく、
経費がもったいないという気がしたわけですね。
誰の為に働くのか?!
営業が仕事を取ってきて、自社製品をお客様に使っていただくことにより、
会社が潤う。
会社の従業員は300人程度。
300人には家族があり、会社が養っている人数は1000人以上に達するわけです。
会社の為に=皆を食わす為に、そんな気持ちで自分は頑張っていました。
この時の経験は一生の財産です。
汗水垂らして作業着を着ながら汚い工作機械のタンクの底を這いつくばって、
無我夢中で綺麗に掃除をするわけです。
イギリスで学士を取り、英語がペラペラに話せて、銀行に就職して金融街で働いていました、などという過去は他人は知る必要が無く、
ただ自分という人間がお客様にどれだけ尽くせるか、
自分という人間をどれだけ無にできるか、
自分との戦いであったのですね。
ちなみに同期がライバルとかそんな話がでたりしますが、
他人をライバル視すると無駄なストレスが発生するだけで、
良いことはありません。
本当のライバルは自分なのですね。
人間は楽をしよう、楽をしようとする生き物です。
時間があれば休みのことを考え、
自分が楽しむにはどうすれば良いのだろうって。
人間って本当は怠惰な生き物なのですね。
その怠惰な心に打ち勝つ事が必要なわけで、
本当のライバルって自分自身なのですよね。
国内営業部から海外営業部へ異動させていただき、
韓国、米国を主に活動し、ロシア、中国などにもいかせていただきました。
会社では煙たい存在であり、
仕事は辛く、
悩みを打ち明けられる同僚もいなければ上司もいなかった。
そんな中で楽しみは休日の友達との国内旅行でした。
佐渡島、神戸、京都、奈良、沖縄、長野などなど、
休みを利用して色々回ったわけですね。
帰国した当初は日本が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
東京は無機質な鉄筋コンクリート作りの建物ばかりで、
美意識のかけらもない建物ばかり(例外も勿論ありますが)。
個々のお店や建物を主張するために電飾をとりとめも無くつけ、
更に景観を汚していると思いました。
しかし日本を観光しているうちに、
神社やお寺はなんて素晴らしい繊細なデザインをしているのだろう、
近代化の波が来るまでの建物は質素にも関わらず、
均一に柱が立っていて、屋根の裏など素晴らしいデコレーションがされている。
窓枠一つにもこだわりがあり、
いや、日本のデザインって凄いのだ!
っと気がつくようになりました。
まあありきたりの話ですが。
もともと何か自分で始めたいと思っていました。
インテリア関係の仕事をしたかったのですね。
時間が経つにつれ日本って素晴らしい国だったのだよね、
っと思うようになり、
それがMA by So Shi Te につながった訳ですね。
日本という国は素晴らしい。
もっと日本を大切にしなければなりません。
イギリスへ渡ったその日から、
ここへ辿り着くまで、
全てが経験となりその経験は互いに連鎖して、
新たな感情を創造する。
カナダに行っていれば全く別の人生があり、
それなりに生活をしていたと思う。
帰国命令を出し、
協同油脂退社の時には激怒をした父、
事細かく口うるさい母、
しかしこんなに素晴らしい両親は世界中に他にはいない。
やはり自分の国に帰ってきて本当に良かった。
終わり。
寒くて雨。
とっても暇な日になってしまいました。
うっっっ、辛い。
明日はまた暖かくなるようですね。
こうも温度の変化が続くと、体調を崩してしまいますよね。
皆さんお気をつけください。
さてさて、そろそろくどくなってきたUK回想記。
今回で最終回!
嫌々日本に帰国(させられて?!というのも学費は誰がだしてやったんだ!っとまで言われていたので・・・)し、日本での初社会人生活が始まりました。
ちなみに先にお伝えしておきますが、結論的には日本に帰ってきて良かったのだと思っております。
全く違う文化に突然放り込まれて、
さらには全く違う職種で、しかも社長の息子ということで精神的にもとても辛い日々が続きました。
新入社員歓迎会では、
突然「社長の息子だからって、すんなり社長になれると思ってんじゃねぇよ」
などと言われたり、
冷たい視線を浴びせられているのが痛いほど分かりました。
っていうか、好きで自分も入ったわけではないし、
隙があればいつでも辞めてやるよ!!畜生!っと心の中でぐっとこらえていました。
最初に配属させていただいたのが、国内営業部。
国内のお得意様の工場を定期的に訪問し、
問題などがないか巡回、また新しい製品を紹介したりするお仕事でした。
主に担当になったお客様は切削油を使って下さっているお客様でした。
機械で金属を加工するときに油、もしくは油を水に混ぜたもので潤滑・冷却をして加工をするのですね。
その切削油です。
自分の所属した営業部隊は人数がとても少なく、
慣れてきた頃には一人で営業をすることが多かったですね。
作業着を着て、時には工作機械の切削油タンクの液交換を一人で10台(2台でも大変なことです)おこなったり、
夜工場が止まった後、暗い中一人で工場内に入り、
切削油タンクの交換を行ったりしたものでした。
他社の分野を自社ので切り替えてもらうときには最初にテスト期間があります。
その時には営業自らサービスで油の交換作業をするのですね。
一生懸命頑張れば頑張るほど辛い思いをするわけです。
シティーの金融街をスーツで闊歩していた自分から、
作業着を着て油まみれになって一人で夜、油交換をしている自分。
あまりの差に本当に悲しくなりました。
必死で油交換をしまくりました。
朝6時には家を出て、2時間半くらいかけて週二回静岡県の富士市までドライブ。
一日営業をして研究所のある神奈川県に着くのは8時過ぎ。
それから事務処理をして研究所を出るのが10時過ぎという日が暫く続きました。
工場が稼動しない週末は油交換というのが通常でしたね。
車に泊り込んで加工試験の立会いなどもやったものです。
真夏の車中泊は蚊にさされて大変でした。
別に宿泊代が出ないわけではなく、
経費がもったいないという気がしたわけですね。
誰の為に働くのか?!
営業が仕事を取ってきて、自社製品をお客様に使っていただくことにより、
会社が潤う。
会社の従業員は300人程度。
300人には家族があり、会社が養っている人数は1000人以上に達するわけです。
会社の為に=皆を食わす為に、そんな気持ちで自分は頑張っていました。
この時の経験は一生の財産です。
汗水垂らして作業着を着ながら汚い工作機械のタンクの底を這いつくばって、
無我夢中で綺麗に掃除をするわけです。
イギリスで学士を取り、英語がペラペラに話せて、銀行に就職して金融街で働いていました、などという過去は他人は知る必要が無く、
ただ自分という人間がお客様にどれだけ尽くせるか、
自分という人間をどれだけ無にできるか、
自分との戦いであったのですね。
ちなみに同期がライバルとかそんな話がでたりしますが、
他人をライバル視すると無駄なストレスが発生するだけで、
良いことはありません。
本当のライバルは自分なのですね。
人間は楽をしよう、楽をしようとする生き物です。
時間があれば休みのことを考え、
自分が楽しむにはどうすれば良いのだろうって。
人間って本当は怠惰な生き物なのですね。
その怠惰な心に打ち勝つ事が必要なわけで、
本当のライバルって自分自身なのですよね。
国内営業部から海外営業部へ異動させていただき、
韓国、米国を主に活動し、ロシア、中国などにもいかせていただきました。
会社では煙たい存在であり、
仕事は辛く、
悩みを打ち明けられる同僚もいなければ上司もいなかった。
そんな中で楽しみは休日の友達との国内旅行でした。
佐渡島、神戸、京都、奈良、沖縄、長野などなど、
休みを利用して色々回ったわけですね。
帰国した当初は日本が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
東京は無機質な鉄筋コンクリート作りの建物ばかりで、
美意識のかけらもない建物ばかり(例外も勿論ありますが)。
個々のお店や建物を主張するために電飾をとりとめも無くつけ、
更に景観を汚していると思いました。
しかし日本を観光しているうちに、
神社やお寺はなんて素晴らしい繊細なデザインをしているのだろう、
近代化の波が来るまでの建物は質素にも関わらず、
均一に柱が立っていて、屋根の裏など素晴らしいデコレーションがされている。
窓枠一つにもこだわりがあり、
いや、日本のデザインって凄いのだ!
っと気がつくようになりました。
まあありきたりの話ですが。
もともと何か自分で始めたいと思っていました。
インテリア関係の仕事をしたかったのですね。
時間が経つにつれ日本って素晴らしい国だったのだよね、
っと思うようになり、
それがMA by So Shi Te につながった訳ですね。
日本という国は素晴らしい。
もっと日本を大切にしなければなりません。
イギリスへ渡ったその日から、
ここへ辿り着くまで、
全てが経験となりその経験は互いに連鎖して、
新たな感情を創造する。
カナダに行っていれば全く別の人生があり、
それなりに生活をしていたと思う。
帰国命令を出し、
協同油脂退社の時には激怒をした父、
事細かく口うるさい母、
しかしこんなに素晴らしい両親は世界中に他にはいない。
やはり自分の国に帰ってきて本当に良かった。
終わり。