prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ソルジャー・ストーリー」

2009年07月16日 | 映画

第二次大戦中・1944年のアメリカ南部の軍事基地内で起こった黒人下士官殺害事件と、その捜査の過程を追う舞台劇の映画化。原作・脚色ともチャールズ・フラー。
当然、黒人と白人の人種差別問題がベースにあるわけだが、そこからの問題の手繰り寄せ方が、「市民ケーン」ばりの過去の場面を交錯させる構成とともに、何重もの厚みがあって見ごたえあり。

人種間の階級差に軍隊内の階級差が交錯し、さらに野球の技量に長けた特別待遇の兵士たちと、その中でもさらに音楽の才能にも恵まれている人気者の黒人がいるという設定だが、彼らがその才能を生かして階級を破ろうとする単純な話にはまったく終わっていない。

特に複雑なのが殺される軍曹の設定で、黒人とはいってもかなり色が白く、長いキャリアを軍隊で積んで軍曹にまで出世し、それだけに「仲間」の黒人に白人より高圧的に当たる、という、いわゆるアンクル・トムか思わせるだけでも十分にややこしい。
が、話はそこで終わらず、軍曹の前の戦争のパリでの原体験が回想で語られる。そこである黒人が「猿の王」としてお面をかぶせられて見世物になっていた、という「人間動物園」か「キング・コング」(コングの黒人の象徴としての一面は、現在ではかなり有名のはず)を思わせる光景の長いモノローグが続き、演出(ノーマン・ジュイソン)はここだけ例外的に舞台演出的になりながら、鏡の使い方など映画的な処理を加えて見事。
この屈辱から黒人は「道化」であってはならないという心情が生まれて暴走したらしいとわかる。スポーツや音楽でみんなの「気に入られる」のも道化ととるような原理化した理屈だが、異様な迫力がある。

もう一つ、戦争で実戦に出て行くことは黒人にとっては「社会的に認められること」だという理屈は、とにかく戦争は悪という紋切り型が未だに跋扈する日本にいると考えにくいが、一種目を開かされるような感じがある。なぜこれが「ソルジャー」ストーリーという題名がついているのかも。

教会のオルガン弾きの黒人兵が、ずっと型通りの演奏をしていたのが、ラストでちらっとだけゴスペル調に崩す、それを聞いた白人の牧師が一瞬妙な顔をするあたりの複雑なニュアンス。
バーの場面など随所にはさまれる音楽シーンの処理が光る。

25年前の映画なので、デンゼル・ワシントンがタイトルで四分の一の扱いになっている。オスカー助演賞をとった出世作「グローリー」と似た、白人に反抗的な役柄で、最近の融和的なイメージとはずいぶん違う。
(☆☆☆★★)