「脚本 倉本聰」ではなく「作 倉本聰」というのは、役割を分担したスタッフとしての脚本家ではなく、全体の作者であることを示すのだろう。
絵画を描く映画というのは、ここで使われた絵にはそれなりの説得力はあるにせよ、それとは別にどうしても作中の絵画の作者と俳優との齟齬が感じられて絵そのものの出来とは別にすきま風が吹き込むように思えるのだが、ここでは塗りつぶされた絵の上に描かれた絵という仕掛けを持ち込むことで画面に出ない概念としての美の存在を示唆しているように思う。
本木雅弘と小泉今日子が昔アイドルだったことと、それぞれ違う境遇で過ごしてきたのを同時に表現している。
石坂浩二がかなり凝ったメイクで栄達した画家役をやっているが自身二科展入選の実績がある画家でもあるわけで、役と本人とをはっきり分ける必要があったのだろうなと思う。
清水美沙は美人の割に相当変な役をやること多いが今回もかなりのもの。