日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

舞岡公園と日限山4丁目

2009年07月15日 | 日記
今から約30年前のことです。
横浜市港南区日限山4丁目の西側には広大な市街化調整区域が広がっていました。
いわゆる谷戸構造を持った森林が広がっていました。
谷部には小川、沼沢があり、葦が生い茂っていました。
小川には蛍が舞い、藪からは蛇が出て来、いろいろな野鳥がさえずっていました。
桃源郷とはこういう所だろうと思えました。

ある時、この地域の南端に、ある宗教団体が墓地を建設するとの連絡が4丁目の西洗自治会に入りました。
驚愕した住民はすぐ自治会に反対組織をつくり、各班から1名の代表を募って反対運動を開始しました。
代表だけでなく、多くの住民が反対運動に参加しました。
宗教団体と住民の争いは熾烈を極めました。
住民は横浜市に何度も陳情に行きました。

この陳情の過程でもっと驚くべき墓地建設計画が横浜市にあることがわかりました。
当時4丁目の西側の市街化調整区域は、市営公園墓地にする案と、自然公園にする案が拮抗していたのです。
たいせいは公園墓地でいいという考えになっていました。
住民の危機感は極度に達しました。
まず、死力をつくして宗教団体の墓地建設を阻止しなければならないと思いました。

墓地建設業者が工事用の高い柵を数十mにわたってつくると4丁目の住民は大挙して押し寄せ、その柵を全部破壊してしまいました。
とうとう宗教団体は裁判を起こしました。
長い論戦の後、裁判所の調停で、墓地建設予定地を4丁目からちょっと遠くする、墓地の規模をちょっと縮小するとということで宗教団体と住民は和解しました。

この激しい反対運動を見た横浜市は市営公園墓地建設はもっと激しい住民の反対運動を食らうと予感しました。
そして横浜市は自然公園がいいという方向に傾き、そのように決定し、神奈川名勝100選に入っているあの有名な「舞岡公園」が誕生しました。

住民の墓地反対運動は宗教団体の墓地建設に対しては失敗しました。
しかし西側の市街化調整区域の公園墓地化の阻止に成功しました。
反対運動に参加した人は今はすべて老人です。
亡くなってしまった人もいます。
まだ生きている人は、会えば、当時のことを思い出して、4丁目がいい住環境であること、舞岡公園が誕生したことを喜び合っています。

4丁目の住民のこの住環境を大切にする心は次の世代にも引き継ぐべき素晴らしい心です。
その意味でも今4丁目で起こっている三井のリハウス上永谷店が戦略的に企画している宅地二分割狭小分譲住宅建設計画は住民が協力して死に物狂いで阻止すべきです。
こうして次の世代に4丁目をいい住環境のまま引き継ぐべきです。
きっと次の世代は、舞岡公園に感謝するように、住環境が素晴らしい4丁目に感謝します。

三井のリハウス上永谷店およびその親会社の三井不動産販売(株)は、住民が大変な苦労をしてつくり上げてきた4丁目のいい住環境を、自分の収益のためだけに破壊するようなことは決してしてはいけません。

引越しをして宅地を売却する場合、4丁目に住んでいた人が亡くなって相続人が宅地を売却する場合、売主は、住民の心を察して4丁目の住環境保全に配慮してほしいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする