雲南、見たり聞いたり感じたり

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丹増あらわる②

2017-09-03 14:30:28 | Weblog
写真は雲南北西部・徳欽県を流れる怒江。昔から3000~5000メートル級の急峻な崖の合間を猛スピードで駆け抜ける河のために橋がなかなか架けられず、舟の行き来も難しい地域とされていた。「中国のグランドキャニオン」と呼ぶ人もいる。この崖のわずかな縁に道を作り、茶や塩などを馬に背負わせてチベット族は北京やインドを目指して長い旅をしていた。この道を「茶馬古道」と名付けて、意義が見直されている。下記の映画「茶馬古道」はその光景を追っている。崖にともすると馬が荷物ごと落ちるなど、たいへん危険で命がけの旅であることが伝わってくる。
 また、19世紀にはフランス人宣教師がこの地で布教をし、教会も建てている。たまたまこの地でおじいさん(?)が宣教師をしていた、という老婦人が訪ねてきて、熱心に絵はがきなどを買い、人々に聞いて回っている光景にも出会った。
 

【壮壮たる監督、降臨】
 また、2004年には田壮壮監督(日本では『青い凧』で名声を博す)のドキュメンタリー映画「茶馬古道・徳拉姆」が上映されました。
 この映画は茶馬古道が学術上の関心を呼び、調査が進められているなかで1999年より田壮壮監督が昆明、シャングリラ地方、麗江などを8回にわたって視察し、その後、映像を撮り進めてつくられた作品です。この作品によって彼の長いキャリアの中で初めて中国映画祭の最優秀監督賞に選ばれました。丹増が呼んだプロジェクトではありませんが、公開時期がその頃に重なったため、雲南でも大きくポスターがバス停など各所に貼られていました。

 さらに2005年10月には、中国映画誕生100年と銘打って、その式典の一環として蒙自で中国紅河映画周という式典を催し、謝晋監督、田壮壮、姜文ら世界に響く映画関係者を集めて式典を催し、成功に導いたのでした。

 その目的は彼らに雲南で映画を撮って欲しい、ということを伝えるためでもあったのですが、謝晋は別のインタビューで
 「雲南の指導者は協力的だし、よく知っているし、世界でも珍しいほど多くの少数民族がいて、みな映画に協力的だ。だが、たとえば上海で映画を撮るとすると、上海は中国最大の大都会という以外に特徴がないように(雲南にもそれ以外の特徴が今ではない)。海南島には映画を撮りたいと思わせる熱いものがある。」(2012年のテレビインタビューより抜粋)

 と断言しています。たしかに当時より少数民族の生活様式を見せたり、歌舞音曲をショー的に見せることが、雲南でも強力に推し進められた時期でもありました。西部大開発の余波でダム建設のためなどで、村ごと移転するといった社会変動もあり、昔ながらの伝統的なくらしはどんどん見えなくなってきました。
 一流監督らがのぞむ本来の自然ゆたかな大地や、暮らしに根ざした祭りや衣服がなくなり、博物館や民族村でしか見られないものとなっていったのでした。
  (つづく)
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