とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)

2021-07-15 19:19:55 | 熊野古道
2日目の夜は、農家民宿山本さんに宿泊した。自宅で取れた野菜や卵など、新鮮な食材をふんだんに出してもらい、静かな山の農家の雰囲気を充分味わうことが出来た。朝食の後、ご主人と一緒に写真を撮って出発する。


御主人と奥さんの運転する車2台に分乗して、前日の小辺路ルートのゴール地点だった三浦口バス停まで送ってもらう。再び三浦口にある吊橋から、3日目の小辺路ルートが始まる。


廃墟となった民家の横を登っていく。


石畳道が残っている。


さらに登っていくと、吉村家跡防風林という場所に着いた。ここは、旅籠を営んでいた吉村家の跡で、昭和23年ころまでは居住もされていたらしい。


そして、その一帯には、樹齢500年前後と推定される杉の巨木が立ち並んでいる。


垂直にまっすぐ伸びている若い杉とは別に、胴まわり4~8メートルにもなる大杉があり幹の太さとその迫力に圧倒される。うねうねと蠢く様に大空を目指す枝、それを支える幹には主幹と言えるものは無く、根元近くで何本にも別れ、まるで炎が燃えさかっているかのような異質の杉だ。


登山道から10mほど下ったところにある「三十丁の水」という水場。冷たい水を確保できる。


三浦峠を過ぎ、下っていくと古矢倉跡に着いた。看板には、以下のような説明がなされている。
『熊野めぐり』に、「下り道よし、三十六丁下れば茶店二軒有」、また『熊野道中記』には「当所一軒矢迄ツマ下リ計」と記されておりこの辺りの状況を記している。屋敷跡の西側に天保十年と記された地蔵菩薩座像があり、その前に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱がある。当時の戸数は一軒で、屋号を「古矢倉」といい茶屋兼旅籠があったが昭和10年には廃屋になった。古矢倉には恐ろしい伝説がある。昔、古矢倉坊主なる者がいたが、屋敷に釣天井を仕込み、旅人を殺害して軍資金を作り、大阪の陣に出たといわれている。


矢倉観音堂に到着。


案内板には、耳を患う人が願をかけ菩薩様の頭を撫でると治ると言われていると書かれている。みんな何を願って願掛けしたのだろうか。


観音堂の前で記念撮影。


途中から、道路崩落の為、迂回路を通り西中バス停方面に向かう。本来の下山口だったところは雑草が生い茂り、通行止めとなっていた。


お昼を回り、お腹が空いてきたので、どこか涼しい場所がないかと探していくと、水場とベンチがあるいい場所を見つけ、ランチ休憩する。


川合神社の前を通過。


3日目の後半は、十津川温泉まで舗装道路を9キロほど歩かなければならない。


無人販売で売っていたトマトを食べながら進む。


昴の里を過ぎ、トンネルを抜けると柳本の吊り橋前に出る。


この日も、ここで小辺路ルートから外れ、この日の宿となる十津川温泉静郷の宿・山水まで2キロほど歩く。

宿に行く間にあった「野猿(やえん)」。十津川村の「人力ロープウェイ」だ。両岸から川の上に張ったワイヤーロープで吊り下げられた「やかた」に乗り、自力で引き綱をたぐり寄せて進む。猿が木のつるを伝って行く様子に似ている事からこの名がつけられたそうだ。元気なメンバーが、野猿を楽しんでいた。




参考1.3日目の高低図&タイム


参考2.3日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-4日目(十津川温泉~熊野本宮大社)」に続く。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-2日目(大股~三浦口)

2021-07-14 22:24:44 | 熊野古道
2日目の朝、野迫川温泉・ホテルのせ川周辺は好天になっていた。


スタート前の集合写真を、ホテル前で撮る。


ホテルからは、マイクロバスに乗り、前日ゴールとした大股バス停にまで送ってもらう。


大股バス停から、すぐに集落内の急坂を上っていく。


少し上がって行くと、バス停の下を流れていた川原桶川が良く見える。


この先は伯母子岳登山口だ。


40分ほど歩くと小屋が見えてきた。


看板を見ると萱小屋跡と書いてあった。跡とはいえ、今もきれいな避難小屋が建てられている。いざとなれば、避難小屋として宿泊もできるようだ。


小屋の裏に水場があるというので、回ってみると、冷たい水の中にビールが冷やしてあった。こんなところにビールがあるとは思いもよらなかったが、小屋番の気持ちが嬉しくて、2本分のお金を箱に入れて、有難く、みんなで分け合って飲んで行く。


さらに進んで行くと、木が倒れ、道をふさいでいる場所がいくつもあった。


登り始めて約2時間。伯母子岳山頂が見えてきた。


伯母子岳山頂1344mに到着だ。伯母子岳は紀伊山地西部・奥高野の山であり、日本二百名山の一座でもある。熊野古道・小辺路を通るコースでもあり、名所旧跡など歴史的な側面があるにも関わらず、アクセスの悪さから訪れる人が少なく静かな山だった。当初、二百名山とは思ってもいなかったので、ちょっと得した気分になった。


山頂からの展望は奥高野随一だという。


伯母子峠を経ての小辺路ルートは、登山道が崩落しているらしく、伯母子峠を通らずに迂回ルートを進む。


上西家跡。明治頃まで街道宿を営んでいた上西家の遺構。明治の頃には間口9間・奥行6間の豪邸があり、最後の住人が昭和初めまで住んでいたそうだ。


水ヶ元(茶屋跡)。この場所には、山姥のような老女が一人で住んでいたという。


待平。屋敷跡のある平坦地だ。「熊野案内記」では寺、他の資料では茶店とあり、さらに古老の話では関所跡との伝承があるという。


反対側の伯母子岳登山口に到着して少し歩くときれいなトイレがあった。


腰抜田。案内板によると、「南北朝の頃、北朝方から逃れた大塔宮護良親王が五百瀬を通過しようとした際、荘司に行く手をさえぎられ、通過を認める代わりに錦旗を置いていくこととなった。その後、遅れてきた大塔宮の家来がそのことを知って大いに怒り、荘司の家来を水田に投げ飛ばした。そのとき投げ飛ばされた家来が腰を抜かしたため、その水田を腰抜田と呼ぶようになった。明治の大水害で埋没したため、現在は川底にねむっている」


腰抜田から歩いてすぐに三浦口バス停がある。2日目のゴールは、三浦口バス停としていたが、時間が早すぎてまだ13時半だった。2日目の宿に電話をすれば迎えに来てくれるとの事だったが、早すぎて申し訳ないので、2キロほど先の宿まで吊り橋を渡って歩いていくことにした。


吊り橋を渡ると、小辺路ルートを外れる。


美しい沢が所々に流れていて、気持ち良い道が続いていた。


14時頃、農家民宿山本に到着する。歩行時間5時間50分。距離は15.2キロで、2日目もかなり速いペースだった。

参考1.2日目の高低図&タイム


参考2.2日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)」に続く。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-1日目(高野山~大股)

2021-07-13 23:46:00 | 熊野古道
第8回目の熊野古道は、高野山から本宮大社までの小辺路ルートだ。まずは、南海極楽橋駅から高野山ケーブルに乗って高野山に向かう。急勾配の線路だが、5分で高野山駅に到着する。


お昼近くになっていたので、千手院橋(東)バス停で昼食を済ませてからスタートする。


金剛三味院入口が小辺路ルートのスタート地点となる。


入口にある商店の壁にも小辺路入口と書かれている。


雨がポツポツ降り始めていたが、この時点では大した量ではなかった。


緩やかなアップダウンを繰り返しながら山道を進む。


熊野古道小辺路を辿り高野山を目指した参拝者は、ここ轆轤(ろくろ)峠で初めて堂塔伽藍を眼にした。木々の間に見え隠れする堂塔伽藍を、まるで「轆轤っ首」のように首を伸ばして眺めたと謂われており、これが名前の由来となった。高野七口のひとつ大滝口女人堂が置かれていた場所でもある。


その後、突然雷鳴が鳴り響き雷雨となった。風も雨も強くなり、急いで坂を下っていく。


赤い鉄橋を渡る。


車道と合流する場所まで下りてきたころ、雨が止み静かになった。雨具をぬいで一休みだ。


大滝集落の最後の民家の前を通り山道に入る。


高野龍神スカイラインをしばらく歩いていくと、青空となり好天に変わってきた。


水ヶ峰分岐から再び山道に入る。クマ出没の絵がシュールだ。


水ヶ峰集落跡。ほぼ和歌山との県境に位置し、すぐ北で高野町と接する。熊野古道・小辺路の旅籠として栄えた集落だが、現在は無人となり「消え去った集落」として挙げられている。


舗装道路を進む。


空を見上げると、青空にくっきりと飛行機雲が描かれていた。


回りの山々が良く見える。


平辻から一気に山を下ると、大股バス停だ。1日目は、ここがゴールだ。この日の宿となる野迫川温泉・ホテルのせ川に電話をして、お迎えに来てもらう。


1日目の距離は、16.7キロ。時間にして4時間12分とハイペースで到着する。宿は野迫村にある唯一のホテルだ。野迫川村は奈良県の南西部に位置し、紀伊山地西部の山塊に囲まれた山深い村である。気候は、夏は冷涼で避暑地に適しているが、冬は寒冷で降雪や積雪が多く、梅雨の時期や夏の降水量が多いという。そして、離島を除いて日本一人口が少ない自治体であり、まさに秘境中の秘境だ。

参考1.1日目の高低図&タイム


参考2.1日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-2日目(大股~三浦口)」に続く。

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-3日目(発心門王子~熊野本宮大社)

2021-06-30 22:26:12 | 熊野古道
船玉神社から、わざわざ赤城越をして湯の峰温泉まで行ったのは、約1800年前に発見されたという日本最古の温泉が湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)と言われていたからだ。熊野へ詣でる前に、人々はここを湯垢離場(ゆごりば)として身を清め、長旅の疲れを癒したとされる由緒ある温泉だから、どうしてもみんなに泊まって欲しかった。


湯の峰温泉の宿から少し歩くと、谷合いに湧き出る天然の岩風呂「つぼ湯」がある。1日に7度も色が変化すると言われている風呂だ。平成16年7月には、世界遺産としては唯一の入浴できる温泉として登録されている。




また、「つぼ湯」は、餓鬼病となった小栗判官がこの湯に浸かり、死の淵から息を吹き返したという有名な伝説が「小栗判官照手姫物語」として、今でも歌舞伎の世界で語りつがれている。


さて、我々は、湯の峰温泉からバスで発心門王子に向かう。前日、赤城越の分岐で途切れた続きを始めるためだ。30分ほどで、発心門王子に到着して、船玉神社から上がってきたところの鳥居まで歩く。


発心門王子から熊野本宮大社までの古道は、熊野古道中辺路のクライマックスである。熊野本宮大社の神域の入口とされる別格の「発心門王子」から、中辺路の完踏を目指してスタートする。


まずは、舗装された歩きやすい道を進む。


道案内の八咫烏の指示に従って熊野古道を進む。


水呑王子は古い歴史のある王子社のひとつで、平安末期の藤原宗忠参詣記(中右記)に「内水飲王子 新王子」と記載があり、もとは「内水飲」といわれていた。中辺路町高原の熊野道に古くから参詣人の宿になっている場所の「水飲」という場所と区別する為に、それよりも本宮に近いこの地を「内水飲」と呼んだといわれている。江戸時代になって「水呑王子」と表記されるようになったという。


水吞王子だけあって、近くにある湧水を飲んで行く。


次の伏拝王子に向かって進む。


世界遺産に登録された熊野古道小辺路が通る果無山脈。天空の里ともいわれる果無集落もあり、次回に行くであろう未踏の地に思いをはせる。


伏拝王子跡。長く厳しい参詣道を歩いてきた参詣者が、熊野本宮大社(旧社地大斎原)を、はじめて望むことができたため、遠く望んで伏し拝んだとされる場所。


伏拝王子前にはきれいなトイレと休憩所がある。


三軒茶屋跡前にある九鬼ケ口関所。ここは、小辺路と中辺路の分岐点だ。次回予定している小辺路ルートを下ってくると、ここに出るようだ。


熊野本宮大社は、もうわずかだ。シダの生い茂る道を進んで行く。


祓殿王子跡。本宮大社への最後の王子社で、大社と近接する大樹の陰にあり、石造の小祠が祀られている。この王子は、長かった道中の汚れ穢れを払い、身を浄めて本宮大社に参拝するための禊場であった。


本宮大社の裏鳥居から境内に入る。


本宮大社に無事到着。発心門王子から約2時間。7.1キロの道のりだった。


その後、路線バス、高速バス、JRを乗り継いで帰路についた。残りは、小辺路と紀伊路のみとなった。

参考1.3日目の高低図&コースタイム


参考2.3日目のコースマップ

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-2日目(滝尻王子~船玉神社~湯の峰温泉)

2021-06-29 19:35:15 | 熊野古道
2日目は4時半に起床し、5時から朝食だ。熊野古道シリーズでは、この日が最長の距離を走ることになり、予想走行時間も12時間をみているため、早めのスタートとなった。朝食を済ませ、宿の前で写真を撮り、5時半スタートする。


滝尻王子入り口前でも記念写真。一般的に、中辺路を歩く人は、ここからスタートすることが多いという。


滝尻王子の境内から、中辺路のコースに入っていく。


不寝王子跡。江戸時代の「紀南郷導記」で、ネジあるいはネズ王子と呼ばれる小社の跡があると記され、のちに「不寝」の文字があてられたらしい。


うっすらと霧がかかる森の中を進む。


高原地区に出ると、雲海の上に山々が浮かんでいる。


高原熊野神社は高原地区の産土神で、熊野古道・中辺路(なかへち)沿いにあり、不寝王子と大門王子との間に位置する。高原王子と呼ばれることもあるが、平安時代から鎌倉時代にかけてこの神社は存在せず、熊野九十九王子のうちには入っていない。


霧が晴れてきて、山々の姿がはっきりしてきた。次回、小辺路ルートで通過するであろう果無山脈も見えている。




石畳の道を登っていく。


大門王子跡。高原集落から十丈峠へ向かう山道にあり、かつて付近に熊野本宮の大鳥居があったのが名の由来。


大阪本王子跡。


大阪本王子跡から一旦、熊野古道を外れ、道の駅「熊野古道中辺路」で休憩する。再び、熊野古道に入り、しばらく進むと牛馬童子像に出会う。場所は、箸折峠近く。高さ50cm程度の小さな石像で、文字通り、牛と馬の2頭の背中の上に跨った像である。一説には、延喜22年(922年)に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模して明治時代に作られたとされる。この石像のある箸折峠の由来は、花山法皇が食事のため休憩をした時に、近くの萱を折って箸代わりにしたからといわれている。


さらに進むと、近露王子だ。


熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座して、産土神としても祀られていたという近露王子(ちかつゆおうじ)は、王子社の中でも最も早く現れた王子のひとつ。近くを流れる日置川は近露王子におまいりする前に潔斎をした清流で、川岸には後鳥羽上皇の御所もあったといわれている。


楠山坂からは、乙女が横たわっているように見える「乙女の寝顔」と呼ばれる山(半作嶺:はんさみね)の稜線がみえる。




継桜王子。社殿に向かう石段を挟んで杉の巨木が立ち並んでいる。推定樹齢は800年だという。熊野古道「中辺路」沿いではこれほど大きな杉は他にはないそうだ。


継桜王子の隣にある“とがの木茶屋”で昼食休憩する。


民家の入り口にあった“安倍晴明の腰かけ岩”。陰陽師で有名な安倍晴明がここの岩に腰かけて休んだと言われている。


草鞋峠(わらじとうげ)。案内板には「この付近の山道は、蛭降(ひるふり)峠百八丁といわれ、山ビルに悩まされたところ」と書かれていた。ただ、今はそれほど多くはないという情報もあったので、軽く見ていたが、やはり今もヒルは生息しており、以後、メンバーの足本には、ヒルが何匹もくっついていた。被害にあった人もいて、この辺りを通過する際は、ヒルに十分注意する必要がある。


岩神峠と三越峠の間を流れる湯川川の谷間に位置するのが湯川王子。往時には参詣の途上の宿泊地として機能し、皇族などもこの地に宿泊することが多かった王子だという。


三越峠。ここは昔、関所があったらしく、入り口は門のような造りになっている。門を通り抜け下っていく。


音無川沿いの道は、気持ち良い遊歩道だ。


船玉神社手前で、赤城越の分岐があり、発心門王子方面には行かず、湯の峰温泉方面に向かう。

鍋割地蔵。この地には一遍上人にまつわる伝説がある。弟子が先に赤木越の峠で上人を待ちながらご飯を炊いていると、ご飯が炊きあがらないうちに鍋の水がなくなっているのに気づき、慌てて水を汲みに行って帰ってきたら、鍋が割れて米も黒焦げになっていた。そこに後から発った一遍上人が追いつき、これも如来が与えたもうた試練かと、何も食べずに再び歩き始めた。このことからこの辺りは鍋割と呼ばれるようになり、お地蔵さんも鍋割地蔵とよばれるようになったようだ。


柿原茶屋跡に到着。廃屋があり、昭和の時代くらいまでは営業していたのかもしれない。


その後、岩盤がむき出しになった急勾配の坂道が続く。別名「地獄坂」というらしく、最後の最後になってキツイ下りだった。階段になった道を下っていくと、突然アスファルトの車道が見え、やっと湯の峰温泉に着くことができた。


距離にして35キロ、時間は11時間20分とほぼ半日動き詰めのキツイ行程だったが、無事湯の峰温泉にたどり着くことができた。ただ、さすがに疲労困憊で、風呂から出るとしばらく起き上がることもできなかった。

参考1.2日目の高低図


参考2.2日目のコースタイム


参考3.2日目のコースマップ


「2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-3日目(発心門王子~熊野本宮大社)」に続く。

2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-1日目(紀伊田辺~滝尻王子)

2021-06-28 22:57:25 | 熊野古道
今回は、中辺路編の最終回だ。大阪から特急くろしおに乗って紀伊田辺駅に到着する。大辺路編のスタートもここからだったので2回目となる。


駅からしばらく進むと、道分け石がある。「左 くまの道」と書かれ、その下に小さく「すくハ 大へち」とある。「すくハ」は「真っ直ぐ進むと」という意味で、ここが中辺路ルートと大辺路ルートの分岐点になる。中辺路方面からは「右きみい寺」と案内している。


今回は、中辺路方面に向かう。しばらくすると会津川にかかる大師橋が見えてくる。


大師橋を渡り切ると真正面にあるのが、高山寺だ。高山寺は弘法大師が開創したと伝わる名刹で、墓地には合気道の開祖・植芝盛平や世界的な博物学者・南方熊楠が眠っている。


秋津橋を渡る。


秋津王子跡。藤原定家の熊野御幸記に秋津王子の名が初めて登場する。秋津にあったことは確かだが、このあたり一帯は低地で会津川の氾濫により、元の場所は消滅して確定できないそうだ。


田辺市中万呂(なかまろ)に鎮座する須佐神社。須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神としている。


梅の畑に囲まれた見晴らしの良い場所にある三栖王子跡。




この先から、熊野古道が明瞭でなくなってくる。ここ最近歩いている人がいないようで、草が生い茂り、しばらく付近をうろうろして道を探しながら進む。


みかん畑を歩いていくと、南方熊楠山中裸像撮影場所という看板が出てきた。南方熊楠が裸姿で撮影した場所というのがここというわけだ。残念ながら、写真にある松の木はもうないようだ。


八上王子は西行法師(1118~1190)が歌を詠んだことでも知られ、西行の生涯を描いた『西行物語絵巻』にも、西行が八上王子の社殿の瑞垣に歌を書き付ける場面が描かれている。


稲葉根王子に到着する。


稲葉根王子の境内で、しばらく休憩する。


口熊野古木モニュメント。この大古木は樟であり、明治22年(1889年)、この地方に未曾有の大水害があり、富田川の水源地帯では山崩れが多く、川をせき止め、その堰が切れて鉄砲水となって被害が拡大した。その際、上流から流されて川底に埋没していたものが、平成9年(1997年)に姿を現し、平成11年(1999年)に開催した南紀熊野体験博・中辺路いやしの広場のモニュメントとなったと云う。


一瀬王子跡。かつての熊野詣では富田川対岸の稲葉根王子で馬を捨て、最初に川を渡るのが一ノ瀬であったといわれている。水垢離場として重んじられ、熊野に入るためのみそぎの場所であったという。


鮎川王子跡。


すぐ隣には、鮎川王子が合祀されている住吉神社がある。


能越(のごし)橋の袂に藤原定家の歌碑がある。


富田川沿いの地道を進む。


富田川の流れに癒される。


吊り橋の北都橋を渡る。


橋の上から見た富田川の流れ。


熊野詣にまつわる物語でもっとも有名なのが、道成寺の安珍清姫の物語だ。そのヒロイン清姫は、熊野古道「中辺路」が通る現和歌山県田辺市中辺路町の真砂(まなご)という集落が出身地だとされる。


真砂の富田川のほとり、茅葺きのお休み処「清姫茶屋」の近くに清姫の墓と伝わる石塔が残されていて、石塔の横には「清姫之墓」と刻まれた石碑があり、それには「煩悩の焔も消えて今ここに眠りまします清姫の魂」とのご詠歌が刻まれている。


滝尻バス停から橋を渡ると見えてくるのが滝尻王子だ。1日目は、この滝尻王子がゴールとする。


滝尻王子のすぐ隣にあるのが、この日の宿となる“古道の杜あんちゃん”。翌日は、すぐにスタート地点にたてるので大変便利な場所にある宿だ。


参考1.1日目の高低図


参考2.1日目のコースタイム


参考3.1日目のコースマップ


「2021第7回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その3-2日目(滝尻王子~船玉神社~湯の峰温泉)」に続く。

2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-2日目(川の参詣道)

2021-05-20 18:08:45 | 熊野古道
熊野本宮大社を参拝したあと、バスで道の駅「瀞峡街道 熊野川」まで移動する。その昔、皇族たちが熊野本宮大社と熊野速玉大社を巡拝する際に利用した川舟下りを体験するためだ。

道の駅「瀞峡街道 熊野川」周辺は、カヌー遊びも楽しいらしく、カヌーに乗った人形が大きな看板の前にあり、面白かった。


川舟センターで受付を済ませ、菅笠とライフジャケットを着用する。いかにも、熊野古道の参詣をする旅人っぽくなり、川原に停泊している川舟まで歩いていく。


語り部の女性と船頭が一人ずつ付いてくれる。


乗船前に記念撮影。


いざ、速玉大社に向けて出発だ。


和歌山県側にある、布引の滝。国道の奥にあるのだが、車を止めるところがなく、山陰に隠れて国道からは見ることができないという。舟下りでなければ見えない景色だ。




三重県側にある、蛇和田滝。三段となって蛇のように蛇行しながら落下する滝。三重の滝ともいわれている。


柱が並んでいるような柱状節理の岩。


岩肌に、苔で丸い円が4つ描かれているかのように見える。


骨嶋。真っ白で背骨のような石が横たわっている。熊野権現に切られた鬼神の骨だという。


釣鐘石。釣鐘形の岩の割れ目が川に落ちかかりそうに立っている。この石が落ちるとこの世が滅ぶといわれているそうだ。


波が荒い場所を通る。舟がゆれて少しスリルがある。


高田川と熊野川の合流地点。熊野川は濁っていたが、高田川の水の流れは清く、川底が透き通って見える。


三重県側の山の斜面が削り取られ、いくつもの筋になって見える。


70分ほどの川舟下りで、熊野速玉大社近くの権現河原に到着する。河原では、我々の荷物を運んできた車が待機してくれ、熊野速玉大社まで車で送ってくれた。

川原家横丁。江戸時代から昭和にかけて熊野川河川敷には「川原家」という簡易商店が並んでいた。川が増水すると家をたたみ、水が引くと再び組み立てた当時の簡易商店をイメージした施設が熊野速玉大社近くにあり、語り部の説明を聞く。


その後、熊野速玉大社に少し寄ってから、新宮駅まで歩き、駐車場に止めてあった車で帰路についた。

2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-2日目(小雲取越~熊野本宮大社)

2021-05-19 19:16:31 | 熊野古道
7時過ぎ。小口自然の家を出発する。この日は朝から雨模様だ。


橋を渡り、道路に出る。


道路からすぐに小口トンネルが見える。二つトンネルがあり、車が通らない旧トンネルの中を進む。


旧トンネルを出たところ。


小和瀬の渡し場跡。現在は橋が架かっているので、そのまま橋を渡り、反対岸に向かう。


民家の玄関先から石段を上ると、小雲取越の入り口だ。


小雲取越は、大雲取越に比べれば、比較的アップダウンが少なく、木立の中、快適なトレッキングが楽しめるという事で気楽に進んで行く。


桜茶屋跡に到着する。茶屋の前に桜の木があった事からその名がついたそうだ。


桜茶屋跡から15分ほどで桜峠に到着する。


賽の河原地蔵前に到着する。


賽の河原という事で、お地蔵様の前には、小石が積み上げられている。


小雲取越の最高点である百間ぐらに到着する。小雲取越の絶景ポイントと言われる場所で、熊野三千六百峰が一望できるといわれ、とりわけ夕景は絶景だという。


残念ながら絶景は見えないが、小さなお地蔵さまと共に、霧をバックに記念撮影。


ゆるやかな下りを進んで行く。


下地橋バス停に到着する。小雲取越はすんなり通過できた。ここからは、国道を進み、4キロほど先の熊野本宮大社を目指す。


熊野本宮大社の手前にある、大斎原(おおゆのはら)に寄っていく。熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある大斎原と呼ばれる中洲にあったそうだ。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったという。ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、現在の熊野本宮大社がある場所に遷座したというわけだ。


神が舞い降りたという大斎原。当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったという。


大斎原の巨大な鳥居。いかに当時の熊野本宮大社の規模が大きかったのかが窺い知れる。


現在の熊野本宮大社に到着する。鳥居が大斎原と比べると可愛すぎる。


熊野大権現の幟が立ち並ぶ参道を進む。


神門の前には、今年の干支「丑(うし)」の大絵馬と大しめ縄が掲げられている。


神門から先の御社殿は、撮影禁止になっている。熊野本宮大社は、熊野三山の中心であり、全国に存在する熊野神社の総本宮だ。主祭神は家津御子大神(けつみみこのおおかみ・スサノオノミコト)をお祀りし、第一から第四の社殿は、国の重要文化財に指定され、100年を越える重厚な檜皮葺(ひわだぶ)きの屋根を見ることができる。

拝殿の左右には神の使いである三本足のカラス「八咫烏」のレリーフがある。


八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味だ。八咫烏は太陽の化身で三本の足があり、この三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわすといわれている。




社務所前に黒い八咫烏ポストが設置されている。八咫烏ポストに手紙を投函すると、社務所で“出発の地より心をこめて 熊野本宮”というスタンプを押印してくれるそうだ。


熊野本宮大社を参拝した後は、むかし、上皇・貴族が下った川の熊野古道を体験するために、道の駅熊野川までバスで移動する。

参考1.2日目のコースマップ


参考2.2日目の高低図&コースタイム


「2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-2日目(川の参詣道)」に続く。

2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-1日目(かけぬけ道~大雲取越~小口)

2021-05-18 22:18:19 | 熊野古道
熊野古道「かけぬけ道」とは、「那智山」から妙法山の中腹にある”阿弥陀寺”に通じる古道である。那智参詣曼荼羅絵図に描かれた極楽浄土の入り口「妙法山」へ向かう道で、中辺路の派生ルートとなる。

かけぬけ道に入ると、一層雲が濃く立ち込め、幻想的な道を進む。


1時間10分ほどで妙法山阿弥陀寺に到着する。


阿弥陀寺は標高749mの妙法山の山中にある真言宗のお寺だ。弘法大師空海が高野山を開かれる前の年に妙法山で修行をして、極楽浄土の入り口として山腹にお堂を建て阿弥陀如来をご本尊とされたことから「阿弥陀寺」と名付けられた。


阿弥陀堂で軽く昼食を済ませ、浄土堂に向かう。妙法山の山頂に建つ浄土堂は俗に「奥の院」と呼ばれている。


妙法山山頂から徐々に下っていく。


幻想的な森の中をグングン下っていく。


那智高原公園に到着する。きれいなトイレと広い駐車場があるが、全く人気はない。


熊野古道と白ペンキで道路に書かれた矢印に従って進むと、中辺路の最大の難所と言われる大雲取越の入り口となる。


大雲取越は、雲の中を行くがごとき、大雲取山に分け入り、厳しい坂道を越えるルートだ。


舟見峠にある舟見茶屋跡に到着する。このコース随一の眺めを誇る峠だというが、この日は全く景色が見えない。


舟見峠から少し下っていく。


八丁の掘割の横を通る。山の両側が削り取られ掘割になっているのがわかる。


地蔵茶屋跡で休憩。自販機があり冷たいドリンクを補給する。


地蔵茶屋跡から石倉峠までは、通常20分ほどで行けるようになっていたが、平成29年の台風による土砂崩れで通行止めが続いているので、迂回路で行かなければならなくなっていて、なんと60分もかかるという。アップダウンが続き疲れてきていたので、困った事だと思ったが、とにかく進むしかない。幸い、道幅がありアップダウンもほとんどない林道だったので、走って時間を稼ぐ。60分のところ40分くらいで正規ルートに繋がった。

地蔵茶屋跡からほぼ1時間で越前峠に到着する。標高840mで大雲取越の最高地点だ。この日のゴールとなる小口の標高は60mで、ここから一気に800m近くを下ることになる。


延々と続く長い坂を下っていくと、円座石(わろうだいし)に到着する。


熊野三山の神々があつまって、話をしたという伝説の岩だ。苔むした表面には円で囲まれた熊野三山の本地仏が梵字で彫られている。円座とは藁などを渦巻状に平たく編んだ敷物のこと。


17:20。小口の大雲取登り口にやっとのことで到着する。


10分ほど歩くと、この日の宿となる小口自然の家に到着する。


大雲取越は、やはり侮れないほどきついコースだった。宿に着いた頃は、クタクタになっていて、風呂、夕食を済ますと何もしたくなく布団に入り寝入ってしまった。

参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-2日目(小雲取越~熊野本宮大社)」に続く。

2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-1日目(那智駅~熊野那智大社)

2021-05-17 22:57:12 | 熊野古道
中辺路編の2回目となった。今回は、前日から紀宝町ウミガメ公園で車中泊してから朝早く那智駅まで向かう。那智駅には何度も来ており、勝手知った場所となった。7時半、支度をして中辺路に向けてスタートする。


補陀落山寺を経て那智大社方面に向かう。しばらく国道を進み、途中から“曼荼羅のみち”に入る。


川の堤防を歩き森の中に進んで行く。


山道を進む。


尼将軍供養塔に到着する。尼将軍とは、源頼朝の妻、北條政子のことで、この塔は尼将軍が我が子の供養のために建てたとされている。


ちょうど尼将軍供養塔前で休んでいた青年と出会う。彼は、ヒッチハイクで日本一周をしているという。コロナ禍の世で、ヒッチハイクも大変じゃないかなと心配してしまった。


市野々王子に到着する。那智駅から熊野那智大社・那智山青岸渡寺への参詣道では、最初にある王子社だ。


市野々は八咫烏の子孫が住むといわれている。市野々王子の近くにある市野々小学校の校章は八咫烏だという。


最初の王子社なのでお詣りしていく。


いよいよ那智山の入り口となる「大門坂」が見えてきた。前に見える山が那智山だ。


大門坂の大きな石柱の前で記念撮影。


夫婦杉が見えた。樹齢800年と推定される杉の巨木が2本並んでいる。


熊野古道の中でも、当時の面影を特に美しく残している「大門坂」から聖地「那智山」へと約640mの石畳が続いている。




大門坂を上り切ると、まずは「那智大滝」に向かう。


石段を下り、飛瀧神社に向かうと目の前に大きな滝が視界に飛び込んでくる。那智山の奥山、大雲取山から流れ出る本流にいくつもの流れが重なり合い、原生林を切り裂くように落下しているのがこの「那智大滝」だ。


滝の水柱は落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの名瀑で、落差は日本一だ。銚子口の岩盤に3つの切れ目があって、三筋になって落下し始めるところから「三筋の滝」ともよばれている。


那智山青岸渡寺三重塔。


西国一番札所で世界遺産に指定されている那智山青岸渡寺。那智山青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされる。


青岸渡寺の境内から眺めた三重塔と那智大滝。この組み合わせは、絶好の撮影スポットだ。


青岸渡寺に隣接しているのが熊野那智大社だ。主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)。夫須美は「結び」を意味することから、多くの人がご縁や願いを「結ぶ場所」として参拝している。そして、那智大滝は、熊野那智大社の御神体として祀られているのだ。


雨が降り出してきていたが、鳥居や神殿の朱色が眩しい。


八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである三本足の烏だ。より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、熊野那智大社の境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされている。


この後、青岸渡寺横から“かけぬけ道”を通り、妙法山を経て大雲取越に向かう。

「2021第6回熊野古道ジャーニーマラニック:中辺路編その2-1日目(かけぬけ道~大雲取越~小口)」に続く。