とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2016氷ノ山登山ツアー:余部鉄橋~城崎温泉編

2016-06-21 22:02:59 | 観光
氷ノ山下山後、3名は帰ったが残りの5人で観光地巡りに向かう。今後の観光地は、全て地元のイノさんの案内でまわる。まず、向かったのが、余部鉄橋だ。余部鉄橋は、明治45年に建設された東洋随一の鋼トレッスル橋で、我が国有数の橋梁として、多方面から多くの人々が訪れる観光名所として親しまれてきたが、昭和61年の列車転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みがなされ、平成22年8月に現在の余部橋梁が完成している。

現在は、鉄橋の一部(餘部駅側の3橋脚3スパン)が展望施設として残され、旧鉄橋直下に自由広場等からなる公園施設とあわせ、余部鉄橋「空の駅」として整備されている。この階段を上り、地上40mの「空の駅」に向かう。


途中で眺めた余部鉄橋の様子。赤い鉄骨部分が明治45年に建設された橋の一部だ。隣のコンクリート部分が現在使用されている余部橋梁である。


昔の余部鉄橋の様子。


これは、余部鉄橋「空の駅」の配置図だ。


「空の駅」に到着。線路は、当時のままである。


現在も、山陰本線「餘部」駅として利用されている。


展望施設部を歩いていくと、鉄橋下が見られるのぞき窓がある。この窓の上に立つと40mの高度感を感じスリルがある。


ベンチからは、日本海のパノラマが楽しめる。


しばらくすると、いいタイミングで電車がやってきた。


ホームには、たくさん人がいるが、電車に乗るわけではなくみんな観光客ばかりである。


昭和61年の列車転落事故は、次のような状況だったという。 山陰本線余部鉄橋を、福知山発浜坂行下り回送列車が走行中、 最大風速33m/sの突風にあおられて客車7両が約41m下に転落し、 水産加工工場と民家を直撃した。車掌1名と水産加工工場女性従業員5名が死亡し、 6名のけが人が出た。列車指令員が、運転停止とすべき状況を知らされているにもかかわらず、 列車を抑止しなかったことなどが原因であったということだ。こんなにも高い場所にある鉄橋だから、強風に煽られたらひとたまりもなかったのだろう。


現在の余部橋梁の下には、慰霊碑が建てられている。


余部鉄橋を見たあと、登山後の汗を流すため城崎温泉に向かう。開湯1300年の歴史を持つ兵庫県随一の名湯地。温泉街には7軒もの外湯が点在し、それぞれ趣の違う温泉浴を楽しめる。城崎温泉の通りには、三階立ての木造旅館が立ち並んでいる。


昭和の雰囲気を残す射的場。


7軒の外湯の一つ「御所の湯」。南北朝時代の歴史物語「増鏡」に文永四年(1267年)後堀河天皇の御姉安嘉門院が入湯された記事があり、御所の湯の名はこれに由来する。京都御所を彷彿させる造りで、歴史を感じさせる。




こちらも歴史がありそうな旅館だ。


浴衣姿でそぞろ歩きをしている観光客も見受けられる。


これは、城崎温泉の元湯だ。


付近には、薬師堂、温泉寺、美術館などもある。


ロープウェイで大師山山頂へ行けば、円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観が眼下に広がるという。


我々は、城崎温泉の一番奥にある「鴻の湯」に入る。1400年前、コウノトリが足の傷をいやしたことから発見されたといういわれにもとづいて名づけられた素朴な様式の建築で町の奥深く街路から離れた閑静な湯である。


この日に泊まる民宿の前では、夕日に照らされた雲が不思議な色合いに染まっていた。


夕食は、漁師の宿らしく盛大な海鮮料理が出された。ありあまるほどの魚介類の料理でお腹も大満足だ。




翌朝、民宿の周りの海岸を散策する。日本海は、波が高いというイメージがあったが、静かで穏やかな海だった。




朝食も味噌汁を入れると10品も出て、朝から満腹である。


早朝は曇り空だったが、宿を出る頃、雨がしとしと降り始めていた。前日の天気が良かっただけに、ついに雨に降られて残念だったが、梅雨時だから仕方がない。

「2016氷ノ山登山ツアー:玄武洞~コウノトリの郷公園~竹田城編」に続く。