13:29。大門から、いよいよ壇上伽藍へと向かう。壇場とは曼荼羅の道場の意味で、小高い場所に位置することから「壇上伽藍」と呼ばれる。高野山の中核となる場所だ。そして、この中門は、昨年172年ぶりに再建されたばかりだという。
中門から入っていくと正面に見えるのが、金堂だ。一気に増えた観光客の波に乗って、中に入っていく。
この日は午後2時から、比叡山延暦寺の大法会があるというので、そのまま金堂の中で待つ。ちょうど、秘仏である本尊の薬師如来像が特別開帳されていた。残念ながら、写真は厳禁だ。
大法会が、なかなか終わりそうもないので、そおっと中から抜け出し先を急ぐ。金堂の隣にあるのが根本大塔だ。さすがに、高野山のシンボルとも言っていい立派な塔だ。数日前まで、根本大塔を使って3Dプロジェクションマッピングが行われていたそうで、それを見ることが出来なくて残念だった。
14:55。根本大塔のすぐ近くに1町石があった。この先が、金剛峯寺だ。
15:00。総本山金剛峯寺に到着する。
主殿に参拝し、御朱印と墨書を貰う。
そのまま、内部を拝観することにした。ほとんど撮影禁止の場所ばかりだったが、華道高野山と高野杉だけは、撮影を許された。
蟠龍庭(ばんりゅうてい)。2,340平方メートルの石庭は、国内では最大だという。この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているそうだ。
15:35。金剛峯寺を出て、この日に泊まる宿坊に寄る。荷物を置いて、奥の院まで行こうと思ったが、今からだと往復2時間半くらいかかると言われ、夕食の時間に間に合わなくなりそうなので、奥の院に行くのはやめる。
16:15。そのまま、宿坊にいるのはもったいないので、別方向にある女人堂まで歩いていく。その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていたようだ。この女人堂は唯一現存する建物だという。
女人禁制が説かれるまで、女性はこの先には入っていけなかったのだ。
16:25。女人堂からの帰り道にある徳川家零台にも寄る。1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側が二代将軍・秀忠が祀られている。こちらが家康の霊舎。
こちらが秀忠の霊舎だ。決して大きい建物ではないが、細かな彩色や彫刻が施され、金の飾り金具が使われるなど豪華な造りになっている。
16:50。宿坊に戻り、明日の奥の院行きの計画を練る。
この日の歩行距離:約26キロ。
高野山への道「3日目」に続く。
中門から入っていくと正面に見えるのが、金堂だ。一気に増えた観光客の波に乗って、中に入っていく。
この日は午後2時から、比叡山延暦寺の大法会があるというので、そのまま金堂の中で待つ。ちょうど、秘仏である本尊の薬師如来像が特別開帳されていた。残念ながら、写真は厳禁だ。
大法会が、なかなか終わりそうもないので、そおっと中から抜け出し先を急ぐ。金堂の隣にあるのが根本大塔だ。さすがに、高野山のシンボルとも言っていい立派な塔だ。数日前まで、根本大塔を使って3Dプロジェクションマッピングが行われていたそうで、それを見ることが出来なくて残念だった。
14:55。根本大塔のすぐ近くに1町石があった。この先が、金剛峯寺だ。
15:00。総本山金剛峯寺に到着する。
主殿に参拝し、御朱印と墨書を貰う。
そのまま、内部を拝観することにした。ほとんど撮影禁止の場所ばかりだったが、華道高野山と高野杉だけは、撮影を許された。
蟠龍庭(ばんりゅうてい)。2,340平方メートルの石庭は、国内では最大だという。この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているそうだ。
15:35。金剛峯寺を出て、この日に泊まる宿坊に寄る。荷物を置いて、奥の院まで行こうと思ったが、今からだと往復2時間半くらいかかると言われ、夕食の時間に間に合わなくなりそうなので、奥の院に行くのはやめる。
16:15。そのまま、宿坊にいるのはもったいないので、別方向にある女人堂まで歩いていく。その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていたようだ。この女人堂は唯一現存する建物だという。
女人禁制が説かれるまで、女性はこの先には入っていけなかったのだ。
16:25。女人堂からの帰り道にある徳川家零台にも寄る。1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側が二代将軍・秀忠が祀られている。こちらが家康の霊舎。
こちらが秀忠の霊舎だ。決して大きい建物ではないが、細かな彩色や彫刻が施され、金の飾り金具が使われるなど豪華な造りになっている。
16:50。宿坊に戻り、明日の奥の院行きの計画を練る。
この日の歩行距離:約26キロ。
高野山への道「3日目」に続く。
で過ぎてしまったようです。
とっちーさんのブログで知らない所が随分UPされていてやっぱり自分の計画で自分の足で、目で、耳で、鼻で、肌で感じなければと思いました。
北海道JMの時は、お遍路で予習する時間がなく、皆さんの行く所に付いていった感じでしたが、一人で行くとなるといろいろ調べなければなりません。
自分で計画することで、その場所の記憶が強く焼き付けられる事は間違いありませんね。