とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024岡の里名水マラソンツアー:1日目竹田観光

2024-03-05 22:34:18 | 観光
先週末、岡の里名水マラソンに参加するため、大分県に向かった。大会は、大分県竹田市で開催されるため、大分空港からレンタカーで熊本県境に近い竹田市の白水の滝に向かう。

白水の滝は、大分県と熊本県の県境の大野川の源流にある高さ約38mの滝だ。阿蘇山系の伏流水が岩盤から湧き水となって湧きだし、幾筋もの糸のような滝となって流れ落ちて、その滝水が白く見えることから、白水の滝と呼ばれる。また、99本の滝筋があり、100に1つ足りなかったので、百から一の横棒を抜いて白水の滝としたとの説もある。


駐車場に着くと、入り口にはお茶屋が建っている。かっては幅約100mに及ぶ壮大な滝で日本一の飛泉と讃えられ、岡藩主の中川氏によって滝見物のためのお茶屋も設けられたという。


滝壺までは歩いて15分と言うことで遊歩道を歩いて行くと、岩盤の隙間から水が流れ落ち、小さな滝がいくつも見えてきた。


名前の通り、白い筋となって滝が流れ落ちている。


更に奥に進むと、高いところから流れ落ちている滝も出てきた。


画聖田能村竹田は、備後(岡山県)の学者を伴ってここに遊び誇らしげに白水の滝を讃えたとも言われ、途中途中に見事な滝が出てきて、飽きることがない。


そして、一番上流まで来ると、思わず声を上げてしまうくらい見事な滝が現われてきた。江戸時代、ここを訪れたある学者は、この滝について「水の白きこと雪にもまさり、たとへんものなし」と感嘆し、「この滝のたたずまいは、いかに見るともあくことなし」と讃えたというが、まさにその通りだと感じた。


白水の滝が一番遠い場所だったので、次に向かったのは、マラソン大会会場となる竹田市の中心部だ。竹田市の一番の観光スポットは、岡城跡である。1185年に源義経を迎えるために築城されたと伝えられ、南北朝期から戦国期までは志賀氏の支配下にあり、江戸時代には中川氏の居城として重要な役割を果たしたという。


急坂の石段を登っていく。


石段を登っていく途中に見えた山は、九重連山の大船山。数日来の冷え込みで山頂にはうっすらと雪が被っている。


岡城の入り口となる大手門跡は、まるでヨーロッパの古城のような形の石垣を見ることができる。とても日本のお城とは思えないような景色に驚嘆した。


西の丸跡は、広大な敷地で、御殿のほかに馬場や庭園等があり、城内で最も広い場所だったそうだ。


西方向に見える山脈は阿蘇山だ。お釈迦様が寝そべっているように見えるからすぐ分かる。


明治に廃城となった後、城内の建物は取り壊されたため、現在は石垣しか残されていないが、断崖絶壁上を石垣で取り囲んでいるので、いかにも難攻不落の城だったことが窺い知れる。


隙間なく積まれた石垣は、藩主の権威の象徴であり、岡藩の石積技術の高さが伺えるものとなっている。


近戸門から「七曲り」と呼ばれるつづら折りの坂道を下っていく。通用口としての機能を持ち、家臣や領民の日常的な出入りに使用されていた道という。しかし、道の上には断崖絶壁がそびえ立ち、まさに天然の要塞と言うことがよく分かる。


岡城跡から、豊後竹田駅まで戻り駅前駐車場に車を止める。


竹田駅前の商店街は、城下町の風情を残した歴史ある町並みだ。


城下町の一角にあるのは、滝蓮太郎の旧宅だ。


滝は東京生まれだが、父親の仕事の関係で少年期を竹田で過ごしたという。ここから約1キロメートル先の小学校に通学し、学校の裏にある岡城跡で遊んだり、石垣に座り尺八を吹いたりしていたという。この時期の経験から有名な「荒城の月」がつくられたそうだ。


蔵の中は、展示スペースとなっており、滝廉太郎の像がある。「荒城の月」以外には、「箱根八里」「鳩ぽっぽ」「お正月」等も作曲していたとわかり、後世に残る曲をいくつも作っていた人だったのだとあらためて感心した。


竹田の商店街では、岡藩城下町雛まつりが行われていて、多くの店でお雛さまが飾られていた。


その後、宿泊先のホテルに行き、翌日のマラソン大会参加に備える。

「2024岡の里名水マラソンツアー:2日目岡の里名水マラソン」に続く。

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