起村は小村であったので、富田・東五城・西五城・小信中島の村々を加宿とし、 この起 五か村で伝馬役・人足役の宿役を負担した。 親村である起宿の天保12年(1841)の家数は230軒・1033人で、本陣・脇本陣各1軒のほか、 問屋が2軒、旅籠屋は22軒 あった。 将軍・朝鮮通信使・琉球使節・茶壷・象などのほか、多くの大名の通行でにぎわった。