(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
第3章 アラーの恵みー石油ブームの到来(12)
075 歴史の表舞台に躍り出たサウジアラビア(4/4)
サウジアラビアはセブンシスターズとの直接交渉に加えもう一つの戦略を推し進めた。セブンシスターズの息のかかっていない石油企業、或いは石油を大量に必要としている消費国に未開発の鉱区の利権を直接与えることであった。国内の鉱区の殆どはすでに米国系セブンシスターズが押さえていたが、未開発の鉱区がただ一つ残っていた。クウェイトとサウジアラビアの中間地帯に広がる「中立地帯」である。北側のクウェイトにはすでに生産中の巨大なブルガン油田があり、また南側のサウジアラビアも陸上のガワール油田、そして海上のサファニア油田が操業中であり、両者に挟まれた中立地帯で石油が見つかる可能性が極めて高いと考えられた。
海上鉱区の開発に手を挙げたのが日本であった。事業家精神旺盛な山下太郎は石坂泰三、小林中など当時の財界の重鎮を担ぎ上げ、1958年に石油開発の利権を獲得した。こうして設立されたのが「アラビア石油」である。同社は2年後に首尾よく石油を掘り当てペルシャ湾のカフジに生産出荷基地を建設する。
石油基地を運営するためには建設作業員のみならず事務員、技術者など多数の現地従業員が必要である。会社は広くアラブ人を求めた。ヨルダンからクウェイトに移り住んでいたパレスチナ人シャティーラ家の長男アミンは大学を卒業、当時24歳の若者であった。シャティーラ家に限らず故郷を追われ各地を転々とするパレスチナ人たちは教育だけが子供に残してやれる財産だと考え、いずれも教育に熱心であった。アミンはアラビア石油の採用募集に応募し1961年、一家と離れ独身のままカフジに赴任した。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com