Part II:「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」
51. 長女アナット(3)
父親と娘の意見は一致した。いつしか二人の間で青年パイロットのことを『エリート』と呼びならわすようになり、娘が年頃になるとそれは結婚と言う自然な帰結となった。アナットの結婚は友人たちからうらやましがられ、その後、夫が同期の先頭を切って出世街道を驀進すると、彼女には羨望の眼差しが向けられた。彼女は夫の出世が鼻高々であった。彼女自身には夫の出世の秘密は自分が父親に働きかけたことにあるという確信があった。
父親の有能な秘書として衆目が一致するようになると彼女の態度は次第に傲慢になっていった。優秀な秘書となると面会の予約は全て秘書次第である。ボスの部下やボスに面会を求める者は秘書のご機嫌を伺うようになる。自分と父親の一体感に酔ったアナットは高慢な女に変身した。彼女は周囲に集まる全ての男性は自分がコントロールしていると錯覚するようになった。今や夫すらその一人である。男性としての唯一の例外は彼女がこの世で絶対神聖視する父親だけであった。
勿論賢明な彼女は公の場では夫を支える貞淑で控え目な妻の役割を忘れなかった。絶対服従の軍隊組織では妻が夫に服従する態度を見せることこそ評価される。そして将校クラブの夫人たちの集まりでは夫の序列がそのまま妻の序列になる。夫の位階が上がれば妻の立場も強くなる。だから夫には何としても出世してもらわなければならない。アナットの生きがいは夫を父親と同じ将軍にすることであった。そしてこの作戦は結婚以来ずっとうまく運んでいた。
(ついこの間までは------------)
彼女の眉間にしわが寄った。
<また埒も無いことを考えてしまったわ。>
彼女は誰に言うともなくつぶやきながら電子メールの受信画面をスクロールした。あるメールに目をとめた彼女は父親に語りかけた。
「お父様、また例の男からメールが来ているわ。本当にしつこいと言うか何と言うか------」
「例の男って誰だい?」
「ほら、昔シャロームを追っかけ、あの娘と結婚したいって厚かましくもお父様に会いにきた男よ。」
「そうか、あの『ドクター・ジルゴ』のことか。あの時あいつをシャロームから引き離すために米国留学の話をちらつかせたら大喜びで飛びついて確かワシントンの国立衛生研究所に行ったはずだが----------」
(続く)
荒葉一也
(From an ordinary citizen in the cloud)
前節まで:http://ocininitiative.maeda1.jp/EastOfNakbaJapanese.html
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