LOS NIÑOS DE LA CALLE ロス・ニーニョス・デ・ラ・カージェ
(ストリート・チルドレン)
エクアドルの首都キトで勉強していたころ、カトリカ大学の先生に連れられて子供たちの施設を慰問したことがあります。授業中だったか放課後だったか覚えてないのですが、強制ではなく自由参加で、慰問団はクラスの米国の学生たちと、日本人(私)ひとりでした。子供たちはそういうことに慣れているらしく、外国人を珍しがることも恐れることもありません。みんな人なつっこく集まってきたので、初め私たちはボール遊びなどをしました。
そこは宗教組織が運営している施設のようでした。その日は設立記念日か何かで、(たぶん宗教的な)お芝居や朗読などの、子供たちの発表が始まりました。必死で暗記した神への感謝の言葉を述べながら、感極まって泣き出す子もいました。長い間CALLEで暮らしていた、あるいは屋根のないそまつな小屋で両親の虐待をうけていた、心に傷をもつ裸足の子供たちが、靴を履き、ここでの規律ある暮らしになじみ、人間らしさを取り戻すのには、時間がかかるといいます。
シスターの話では、「食べ物も着る物も、暖かいベットもある」と説得してCALLEから連れてきても、なじめずに逃げ出して“自由な”CALLEに戻ってしまう子供も多いということでした。神という屋根の下か、CALLEという自由か、そのふたつしか選択肢がないとしたら、どちらを選びましょうか。風と埃にさらされ眠り、裸足でパンをさがし歩く、そんな悲しい自由を求めて逃げる子供がいるのかと思うと、泣きたくなってしまいました。
最後はラテン音楽をかけて、お決まりのダンス・タイムでした。どんなにつらいことや悲しいことがあっても、踊り始めればみんなハッピー、そんなラテンの乗りがいいですね。踊りは、お金のかからない娯楽です。庶民の、そして貧困者の心の糧なのです。やっぱりラテンの血は違うな~、こんな小さい子でも、うまい、うまい。リズムに乗った子供たちの笑顔は明るく輝いていました。
米国の学生のほとんどはリズム音痴らしく見物をきめこんでいたけど、私?もちろん踊りましたわよ~。あの子たちと踊ったひととき、一生忘れないでしょう。
(ストリート・チルドレン)
エクアドルの首都キトで勉強していたころ、カトリカ大学の先生に連れられて子供たちの施設を慰問したことがあります。授業中だったか放課後だったか覚えてないのですが、強制ではなく自由参加で、慰問団はクラスの米国の学生たちと、日本人(私)ひとりでした。子供たちはそういうことに慣れているらしく、外国人を珍しがることも恐れることもありません。みんな人なつっこく集まってきたので、初め私たちはボール遊びなどをしました。
そこは宗教組織が運営している施設のようでした。その日は設立記念日か何かで、(たぶん宗教的な)お芝居や朗読などの、子供たちの発表が始まりました。必死で暗記した神への感謝の言葉を述べながら、感極まって泣き出す子もいました。長い間CALLEで暮らしていた、あるいは屋根のないそまつな小屋で両親の虐待をうけていた、心に傷をもつ裸足の子供たちが、靴を履き、ここでの規律ある暮らしになじみ、人間らしさを取り戻すのには、時間がかかるといいます。
シスターの話では、「食べ物も着る物も、暖かいベットもある」と説得してCALLEから連れてきても、なじめずに逃げ出して“自由な”CALLEに戻ってしまう子供も多いということでした。神という屋根の下か、CALLEという自由か、そのふたつしか選択肢がないとしたら、どちらを選びましょうか。風と埃にさらされ眠り、裸足でパンをさがし歩く、そんな悲しい自由を求めて逃げる子供がいるのかと思うと、泣きたくなってしまいました。
最後はラテン音楽をかけて、お決まりのダンス・タイムでした。どんなにつらいことや悲しいことがあっても、踊り始めればみんなハッピー、そんなラテンの乗りがいいですね。踊りは、お金のかからない娯楽です。庶民の、そして貧困者の心の糧なのです。やっぱりラテンの血は違うな~、こんな小さい子でも、うまい、うまい。リズムに乗った子供たちの笑顔は明るく輝いていました。
米国の学生のほとんどはリズム音痴らしく見物をきめこんでいたけど、私?もちろん踊りましたわよ~。あの子たちと踊ったひととき、一生忘れないでしょう。
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