121頁
(ジェローム、情熱的に。) ぼくは、思い上がりにはぞっとする。思い上がりは、ぼくが多分この世でいちばん嫌うものだ。ぼくたちは、自分に嘘をつくためにしか、他人に嘘をつくことを止めない ― そしてそういう嘘こそ、最も軽蔑されるべき嘘だ。
(ヴィオレット) あなたは公平ではないように、わたしには思えるわ、ジェローム。
(ジェローム) 生は公平だろうか?
(ヴィオレット) 生… 生… それはひとつの作り話以外のものなの? 多分、けっきょく、生とは、わたしたちが生のなかでそれを見いだすのが、わたしたちに相応であるようなものでしか、決してないのよ。
(ジェローム) ぼくらに相応の… (不信げに。)アリアーヌの言葉みたいだな。
第十場
同上の人物、アリアーヌ
(アリアーヌ、少し用心深すぎるようにしてドアを開けたところである。) ごめんなさいね。あのソナタ集を見つけることがもう出来なくなっていたの。(つづく)
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(つづき)多分、私が貸して、返してもらっていないのね。(掃除婦が盆を持って入ってくる。)待って、エリーズ、この小円卓を片付けるから… ジェローム、手伝ってよ… いちばん困るのは、調律師が約束を守らなかったことね。私のピアノはほんとうに随分狂っているみたいだわ。あなたの処へ行くほうがよかったわね。あなたのプレイエルは素晴らしいわ。
(ヴィオレット) わたし、あのピアノを手放さざるをえないでしょう。
(ジェローム) 何だって?
(ヴィオレット) 偶然にでも、買い手がいるかもしれないという話を、あなたがたがお聞きになられていたら…
(ジェローム) でも、ありえないことだ…
(アリアーヌ) あなたの伴奏練習のために…
(ヴィオレット) わたしの処で練習することはほとんどありません。友人が、自分の使わないアップライト・ピアノをわたしに貸してくれるでしょう。それでまったく充分ですわ。
(アリアーヌ) がっかりしますわ。
(ヴィオレット) 必要なことなんです。悲劇でも何でもありません。
(ジェローム、失言して。) ぼくは慣れていたんだ、(つづく)
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(つづき)あのピアノに。(ふたりの女性は、この失言に気づかないふりをする。)
(アリアーヌ) ともかく、あなたの決意が揺るがないのでしたら…
(ヴィオレット) はっきり申し上げますが、ほかにどうしようもないんです。
(アリアーヌ) 私の周りでもそのことを話してみますわ。それに、もう或る当てがありそうな気がしています。
(ヴィオレット) どうもありがとうございます。ご親切ですわ。
(アリアーヌ、ヴィオレットに紅茶茶碗を差し出して。) お茶が濃すぎなければいいのですが。すこし水を足せますよ。
(ヴィオレット) ちょうどいいです。どうも。
(アリアーヌ) ねえ、あなたのほうは、不眠だと言うのだから、ごく薄くしたお茶をあげるわ。そのうち、お茶の代わりに… 例えばココアにするのがいいわね。
(ジェローム) 何というアイデアだ!
(アリアーヌ) オランダのトレードマークのものが最高よ。請け合うわ。
(ジェローム) お茶はぼくの眠りの妨げになったことはない。
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